富岡製糸場が140年前の創立当時の原形をとどめているのは、「売らない・貸さない・壊さない」の3原則を掲げ、操業停止後も多額の費用をかけて保全に努めてきた「片倉工業」(東京)の功績が大きい。「西洋に追いつこうと努力した明治の人々の魂を残すという思いがあった」。同社の竹内彰雄社長(65)は、登録決定前に産経新聞のインタビューに応じ、官営工場を引き継いだ老舗企業としてのプライドについて語った。
片倉工業は富岡製糸場が設立された翌年の明治6年に創業。同社によると「売らない・貸さない・壊さない」の3原則は、昭和62年の操業停止当時の柳沢晴夫社長が、富岡製糸場の閉所式で述べたあいさつが基になっているという。
柳沢社長は「歴史的施設を破壊するわけではない」と明言。「富国繁栄、殖産興業に心血を注いでこられた意気盛んな心が、脈々と受け継がれ、この工場が生きながらえていくよう今後の管理運営を図っていく」と決意を示した。
竹内社長は「操業停止後の活用法について、具体的な案があったわけではないが、明治の人々の魂を残すため、建物は最低限、残さなければならないという思いがあった」と話す。
同社は富岡市に寄贈するまでの18年間、3人の職員を置いて保存に努めた。中でも火事には細心の注意を払い、見学者には、たばこを一切吸わせなかった。
コストは年間1億円に上ったが「売らない、貸さない」の方針も貫かれた。テーマパークやスーパーマーケット…。さまざまな提案が寄せられたが、同社は富岡製糸場を守り通した。
竹内社長は「日本の歴史を伝える貴重な史跡を残すことができたことを心から誇りに思う」と話している。
片倉工業は富岡製糸場が設立された翌年の明治6年に創業。同社によると「売らない・貸さない・壊さない」の3原則は、昭和62年の操業停止当時の柳沢晴夫社長が、富岡製糸場の閉所式で述べたあいさつが基になっているという。
柳沢社長は「歴史的施設を破壊するわけではない」と明言。「富国繁栄、殖産興業に心血を注いでこられた意気盛んな心が、脈々と受け継がれ、この工場が生きながらえていくよう今後の管理運営を図っていく」と決意を示した。
竹内社長は「操業停止後の活用法について、具体的な案があったわけではないが、明治の人々の魂を残すため、建物は最低限、残さなければならないという思いがあった」と話す。
同社は富岡市に寄贈するまでの18年間、3人の職員を置いて保存に努めた。中でも火事には細心の注意を払い、見学者には、たばこを一切吸わせなかった。
コストは年間1億円に上ったが「売らない、貸さない」の方針も貫かれた。テーマパークやスーパーマーケット…。さまざまな提案が寄せられたが、同社は富岡製糸場を守り通した。
竹内社長は「日本の歴史を伝える貴重な史跡を残すことができたことを心から誇りに思う」と話している。
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