NPO法人Ubdobe(ウブドベ) -12ページ目

力を貸して下さい。

いま、僕たちは断崖絶壁のがけっぷちに立たされている。
UbdobeをNPOにして早1年、まだ1年。
なのに、断崖絶壁に立たされている。
数えきれない人や団体に応援してもらい、1年間運営してきた。
それなのに、断崖絶壁に立たされている。
ただただ自分自身が恥ずかしいし、力不足と自分の甘さに起因している。

僕たちはKodomo Music & Art Festivalという児童福祉イベントを企画運営している。
約1年かけてプランニングからファンディングまで行い、ワークショップを繰り返し行って当日を迎えるフェスだ。
このイベントの主役は子ども達で、開催を思いついたのは今から5年ほど前の夏だった。
その頃僕は音楽療法の学校に通いながら介護の仕事をしていた。
たまたま遠征演奏で訪れた、とある島の障がい児者福祉施設。
そこは島の中心部分に鬱蒼と広がる森の中にぽつんとある施設だった。
僕たちはバンドで演奏するために、施設の体育館に楽器をセットし、その時を待った。
ちなみに僕の担当はドラムで、真新しいスティックを用意していた。
じょじょに会場に現れる参加者の方たち、、、その数ざっと200人はいただろうか。
みんなが席に座るのを確認してすぐにエレキギターとベース、キーボード、ドラム、そしてボーカルが一気に音を出した。
「ジャーーン!!」「ズカダカズカダカ!!」「キーーン!!」
大音量のなかで「イエーーイ!!」というボーカルのコールに返してきた観客からのレスポンスは、
オールスタンディングで、拍手をしながらの「イエーーイ!!」という歓声だった。
それから約1時間、ジブリの名曲のロックカバー、THE BOOMの島唄、昔の童謡を織り交ぜながら熱演したバンドメンバーそして僕。
最後には観客も施設職員さんもバンドメンバーもみんな入り乱れて汗だくの笑顔でがっちり握手していた。

明くる日、施設職員さんが島の案内をしてくれながら障がい児者福祉業界の現状についてお話してくれた。
それはとても悲しいけど受け入れざるをえない現状だった。
よく耳にする「障がい児施設」。種類は様々あるが、就学児で何かしらの障がいのある子どもがいる施設と想像するのが一般的だと思う。
しかし現実はそうではなく、ほとんどの施設入所者が成人していた。
なぜかというと、一度その施設に子どもを預けた親が次に顔を出す事はほとんど期待できないとのことだった。
そこはフェリーに乗って行く事しかできない孤島。二度とお迎えのこない、預かり施設だった。
こんな悲しいことがあっていいのだろうか!!ありえないよ!!
僕は職員さんに泣きながら訪ねた。「これを知った僕はこれからどうすればいいんでしょうか?」
そうしたら職員さんは笑顔で、「また遊びに来てください!」と言った。。。

同じような境遇にある子ども達が日本全国、そして世界中に一体どれだけいるのだろうか。
きっと統計や自治体の調査では明らかになっていない、物凄い数の子ども達が同じような状況にあるに違いない。
もしかしたら、とても身近なところにもいるのかもしれない。自分の住んでいる町や働いている地域にも実は同じような問題があるのかもしれない。
僕は自分の知識不足や力不足を恥じた。
そして決めた。
子どもを置いて行った親を攻めることならいくらでもできるが、そうじゃない。
その施設に住んで日々生活している子ども達のことを考えようと。
僕ができることと言えば、ちょっとだけ楽器ができるアマチュアバンドを率いてライブミュージックを届けること。
ただそれだけだった。

それから数ヶ月間、色々な施設や学校をまわって訪問演奏を続けた。
そしてふと気づいた。
これは、一人や二人では無理だと。仲間が必要だと。
それも数百人規模の仲間がいないと、孤島には辿り着けない。
たとえ孤島に辿り着けたとしても、その活動を継続させる仕組みを作らねばと。
そこで、Kodomo Music & Art Festivalというイベントを思いついた。
障がいがあっても病気であっても国籍が違っても、根本的なところはみんな一緒だということを子ども達自身が、幼少期から感じられるイベント。
これだー!!と確信して2008年に第一弾を自分の住む町で開催した。
偶然にもイベント当日の朝に僕の祖父が亡くなり、個人的にも大きな意味を持つ日となった。
それから2009年に代々木公園の野外ステージを借りて開催し、2011年にはさらに巨大な会場であるよみうりランドをお借りして開催させてもらった。
これから先も大いなる志と地道な努力で、ひたすらに継続していかなければならないこのイベント(プロジェクト)が今、危機を迎えている。
なんと、2011年に開催した際の『開催一日目、荒天中止』という痛手が相当な打撃となって、団体の運営が非常に厳しい状態なのであります。

危機にまで陥れた責任は全て代表である僕にあるわけですが、この期に及んでも諦めたくはない。
どれだけ深刻な危機と言われようとも、それを前を向くための原動力としてがっちり受け止めたい。
なんとかふんばりたいのです。
そして、僕たちがふんばれるようにすでに協力してくれている人がたくさんいる。
僕たちが任意団体の頃からずっと変わらぬ声をかけてくれる人も大勢いる。
最近出会ったばかりなのに、真剣に耳を傾けてくれる人がたくさんいるのだ。
その人たちも自分の立場や生活などの状況をかえりみずに僕たちをサポートしてくれている。
そう、ふんばりたいんだよ。ふんばった先に必ずや実現するべき光みたいなものが見えているから。
諦めたくない。


だから、このような公の場であえて発言します。
『力を貸してください』
正直、僕一人とかUbdobeだけの知識や財力ではどうしようもなく厳しい状態です。
完全に自分達の見通しや準備不足で生じた問題ではありますが、
イベント後からの約3ヶ月、どうにか自分達の力で、と思ってはみたものの
恥ずかしながら解決には至る事のできない現状にあります。

どのようなことでもいい。力を貸して欲しい。

会員やご寄付などの資金としてのご協力、
相談にのってくださる方のご紹介、
資金調達の為に一緒に動いてくださる方、
この文章を転載してくれるだけでも嬉しいです。
どのような形でもかまいません。

それがどれだけ自己中心的な考えなのかは計り知れないけれど、
そんなわがままな発言に対して批判する人もいるかもしれないけれど、それも受け止めます。

力を、貸してください。



2012年2月24日
NPO法人Ubdobe
代表理事 岡勇樹


★ご寄付のお願い★
 Ubdobeでは、常時ご寄付を募集しております。下記の口座までお願い致します。
 三菱東京UFJ銀行 三軒茶屋支店
 普通0055963
 特定非営利活動法人Ubdobe(ウブドべ)

★会員募集★
 会員として継続的に応援してくださる個人/団体/企業様を常時募集しております。
 入会申込書をお送りさせて頂きますので
 NPO法人Ubdobe本部事務局( info@ubdobe.jp )までご連絡ください。
 会員に関する情報はこちら→http://www.ubdobe.jp/sponsor/


------------------------------------------------------------------------------
岡勇樹(NPO法人Ubdobe代表理事) プロフィール

1981年 東京生まれ、AB型。
3歳でアメリカ・カリフォルニア州サンフランシスコへ移住。
あらゆる人種のなかでヒップホップにまみれて生活し、12歳で帰国。
15歳くらいから米軍基地に住む友人とライブハウス・クラブなどに通い始める。
19歳でテクノと民族音楽に目覚め、ディジュリドゥの演奏を始める。
20歳でストリートパフォーマンス集団「ウブドべ共和国」を創り、活動開始。
21歳で母親を癌で亡くし、人生観を根底から覆される。
ホームヘルパーの資格を取得するも、その後リラクセーションの会社に就職。
現場スタッフを経験後、エリアマネージャーを経て開発営業担当として日本全国47都道府県すべてを廻る。
26歳で退社し、音楽療法の学校に通いながら介護と整体の仕事を始め、任意団体「Ubdobe」を立ち上げる。
Kodomo Music & Art Festival '08開催当日の朝に祖父が亡くなり、忘れられない日となる。
29歳で医療福祉・音楽・アートを融合させた「NPO法人Ubdobe」の代表理事に就任し、現在に至る。

URL:http://www.ubdobe.jp/
Twitter:http://p.tl/e1ir
Facebook:http://p.tl/5uAA

2011年3月、あの頃の福島  

みなさん、初めまして!
『Ubdobe Caravan』新リーダーのゆのです。
今日からブログに参加することになりました。
よろしくお願いしま~す。

さて、わたしは普段、ゆび編みを伝承するお仕事をしています。
その伝承デビューがまさかの地元福島だったのですが、
今日は、昨年の3.11東日本大震災を受けて、
わたしが福島に帰省したときの様子をお伝えします。

3.14、わたしは福島行きのバスに乗り込み、
東京から新潟経由で7時間かけ、故郷に辿り着くことができました。
帰省を止めた友人もいれば、マスクや昆布等をお土産に、
バス停までかけつけてくれた友人も。

「くれぐれも気をつけて」。

この言葉の意味を、「余震があるから」ではなく、
「放射能が危険だから」だったことに気付くのは、ずいぶんあとのことでした。

道中、一緒に乗り合わせていた青年が誰かと会話をしている。

「爆発した? 水素? ならまだ平気だ」。

全然意味がわからないけど、どうやら大丈夫のようだ。

福島市にある実家は、日本沈没かと思わせた大地震が
あったとは思えないほど『日常』でした。
食器が数枚割れただけみたい。
親戚や友人宅は家中バラバラだったというので、
同じ市内でも地盤の違いで差があるのでしょうね。

井戸水を貯めたバケツが風呂場にいくつもあって、
まだ寒い3月のこの時期、水も電気もない中で、
重たいバケツを年老いた父母だけでこうして運んでいたのかと思うと、
胸が苦しくなりました(><)

心細かったろうに、怖かったろうに。

わたしが帰ってきたことで何が変わることもないだろうけど、
こうして水運びをするだけでも、
親のそばにいるだけでも、帰って来たかいはあったのだろうと思えました。
  
2~3日は自宅から出なかったでしょうか。
父母はガソリンを手に入れるべく6時前に起床し、
早々と自宅を出て、買い物もすませ、帰宅したのは11時過ぎ。

そんな毎日。

わたしはあの時期、放射能のことなど全くちんぷんでした。
バカみたいな発言ですが、正直なことを言うと「興味がなかった」のです。

新聞に書かれている放射能の内容も、
「理解できないや」と、チラ見止まり。

それ以上に、実家の近くに点在している避難所での
ボランティア活動ばかりで頭がいっぱいでした。

東京にいる姉や友人からの連日のメール、「避難してくれ」はストレスに。
わたしも東京にいたら、父母や親戚、友達に必死になって同じことを
言っていたと思います。

でもみんなに言いたかった。「ここに来て、まずは見てくれよ」と。
直線距離で60km離れている福島原発で必死に働いている人、
家の近くに避難している、沿岸部の人たち。
福島に残っている人たち。いや、残らざるを得ない人たち。
その人達を間近で見て、どうして避難できよう?

「みんなでがんばっぺ」。この『故郷愛』が、逆に不幸を招く、
とあの頃、専門家たちは言っていました。それも分かります。
避難は逃げじゃない。命をつなぐもの。

でも本当にあの時期は辛かった。判断はジレンマ続きで辛かったんです。
右に行くべきか、左に行くべきか、自分で判断することが
あんなに苦しかったのは初めてでした。

いっそ、福島市も避難警告になってくれれば。と何度も思いました。
国のせいにしたかったのです。

もちろん、避難した人もたくさんいます。
数カ月経って、今からでも遅くないと、子どもの学期末を終えて、
米沢や新潟に避難する友人家族も少しずつ増えてきました。

わたしはというと、数回の福島⇔東京の行き来生活で
放射能の知識を得たり、市民活動に参加しました。
そうです。放射能に「興味を持ち始めた」のです。パチパチ

避難するに越したことはない。けど、どうか、避難できない人たちの
気持ちも分かってほしい。避難できない人たちへのケアも考えてほしい。
わたしはそればかりでした。

もうすぐあれから一年ですね。

Ubdobeでは、Action For Japan Projectという被災地活動を
今も続けています。こちらをクリック!→http://afj.ubdobe.jp/

わたしは今は東京に戻ってきましたが、ここにいてもできる福島支援を
これからも行っていこうと思います。

福島は、生きています。


ゆの

逆カルチャー・ショック

みなさん、逆カルチャーショックってご存知ですか?

逆カルチャー・ショック

これは地元に戻った際に今まで馴染んでいたはずの文化・価値観や
母国の政治・教育に疑問や抵抗感が沸いてしまうことです。

外国留学やビジネスでの長期滞在から帰って来た人に見られ、
研究者によっては外国に行く際に感じるカルチャー・ショックよりも、
帰国してから感じる逆カルチャー・ショック(別名、リエントリー・ショック)の方が大きい、
と言う人もいます。

その要因としては、「自分の文化に帰る」という期待が大きかっただけに、
実際は自分や母国が思ったより変わっていて「裏ぎられた」、
という失望(disconfirmed expectations)が大きいからではないだろうかと考えられています。

この逆カルチャーショック、僕少しなりました。

アメリカにいた時は、日本に帰りたいなと思うことが何度もありましたが、
日本に対する期待が大きかっただけに、いざ帰ったときに変な違和感を感じていました。

日本教育委員会のサイトに、留学生の経験するプロセスが説明されています。

以下抜粋↓

カルチャーショックを受け異文化に適応していく過程は諸説ありますが、
よく以下の4段階で説明されます。

 1.蜜月期:
到着後、数週間の間は見るもの聞くものすべてが新鮮に思える。
授業が始まり、生活リズムに馴染むべく忙しくしているうち、
母国を恋しく思う気持を感じずに過ごす。

 2.葛藤・闘争期:
余暇を過ごす目的で渡米したのではなく、
勉学を修めるために渡米したという現実と向き合い、実生活を送るということに気づく。
困難に直面する場面も経験し、苛立ったり、怒る。
些細なことでさえ、気に障り、アメリカ人やアメリカの習慣に対し、敵がい心を感じる。

 3.理解・適応期:
時間が経過するにつれ、新しい環境にだんだん馴染み、
自分自身も気づかぬうちに違和感を持たなくなっている。
苛立ち、怒りなどを感じる機会が少なくなる。

 4.融合・受容期:
少なくともある程度は、入学した大学やまわりの環境が自分のものに感じるようになる。
心を許せる友人・知人もでき、周囲から自分が受容れられたと感じると同時に、
自分自身も周囲を受容ることができてきたと感じる。

(日本教育委員会webサイトより)


帰国してからの逆カルチャーショックは、この融合期の後に起こるのですね。

ある方は、この逆カルチャーショックの後、自国の文化に再適応した時に、
初めて視野が広がり冷静に物事を見れるようになる、と言います。

僕はまだ逆カルチャーショックの時期かもしれないです。

しかし、最近考えるのは、カルチャーショックだろうが、逆カルチャーショックだろうが、
結局僕は無い物ねだりなんだろうなぁって思います。

今ある物に目を向けず、満足せず、ない物ばかり気になって満たされない。

みなさんも、そんな一面はありませんか?

わかっていても、結局は無い物ねだりの性格はなかなか治らないんですけどね。

そんな事をふと考えた日でした。

リョーエイ

3月4日Unplug Tokyoのオススメ!~その1~

こんにちは!おまつです。


さて3月4日Sunday Aftarnooon PartyとしてUnplug Tokyoというイベントを行います!


このイベントは私がまだ指音のスタッフとして
一人で活動していた2009年に行っていたイベントでして、
本当に楽しくて気持ちよいイベントで是非またやってほしい~~~!!って凄く思っていたのです。
でもまさか自分が関わって開催するとは思っていませんでした(笑)

さて、Unplug Tokyoゲストを紹介したいと思います!

まずはこの方、DJ YOGURTさんです!


出会いは2010年に指音で出店していたSYNCRONICITYにて。
ちらっとDJブースまで宣伝をしに行った時にちょうどYOGURTさんがPLAY中だったのです。

なんだか心が洗われる、とても気持ちのよいSOUNDに一瞬で一目惚れ。
翌日にすぐ音源を探しに行ってしまいました。

さて、そんな私がYOGURTさんが携わっているオススメ音源を紹介したいと思います!


◎YOGURT&KOYAS / SOUND OF SLEEP&MEDITATION

音で心と身体を緊張から解放するノンビートの名盤です。
これを流してリラクセーションの施術をすると不思議と身体がとても緩んでくれるのです。
初回盤はもうYOGURTさんのRIMIXがついていたのですがこれを聞いて電車に乗ると絶対寝過ごします。笑
ちなみにiPhoneのアプリでもSOUND OF SLEEPがあります。
タイマーやミキサーが付いているので時間や音量を調整することが出来ます。
是非iPhoneユーザーはダウンロードしてみてください♪



◎DJ YOGURT AND KOYAS / HARVEST DUB BEATS 70'S TO 00'S MIX

このアルバムはSTRICTLY ROCKERSというシリーズでして、
レゲエやダブのDJではない人たちが作る面白いMIX CDなのです。
そしてそこにYOGURT & KOYASが登場!
ノリノリなレゲエやオーガニックなレゲエとはまた違う、
YOGURT & KOYASならではの気持ちよさがレゲエで感じられる1枚です。
レゲエ好きもそうでない人もこのアルバムの気持ちよさにウットリしちゃいますよ!



他にも様々なジャンルのMIXを手がけていらっしゃるのですが、
共通して感じることが「気持ちいい」ということです!

3月4日Unplug TokyoではYOGURTさんの気持ちいい生DJを聞きながら、
気持ちいいリラクセーションが受けられるなんて贅沢です!!

是非3月4日、この気持ちよさを味わいにいらしてください!!


【Unplug Tokyo】
Sunday Afternoon Chillout Party for Hard Workers.
Organic & Electronic music with Relaxation.
極上のリラックス空間で過ごす日曜日の午後。
今回は「香り」をテーマにDJ/Workshop/BodyCareが繰り広げられます。
Kids Lounge(個室)完備なのでお子様連れでも安心してお越し下さい。


■Date:2012/03/04(sun.)
OPEN 13:00 / CLOSE 20:00

■Venue:『原宿 Ucess the lounge』 http://www.ucess.jp/

■DJ:YOGURT (Upset Recordings)/Kuni Lopez (7Hz)

■Relaxation BodyCare:指音

■Kids Lounge:Ubdobe

■Charge:1,500yen(with 1Drink)
※15歳以下無料

■Aroma Goods Workshop:shukra. (野呂雅代)
※15:00~、18:00~の二回開催。
※参加費500円でお土産付き。
※予約制10名まで(定員になり次第、受付終了)

■Reservation:ticket@ubdobe.jp
[件名] Unplug Tokyo 予約
[本文] 1.氏名 2.予約人数
※先着順受付で定員(100名)になり次第、受付を終了致します。
※定員制のイベントですので、予約後のキャンセルはないようにお願いします。
※Aroma Workshop参加ご希望の方はその旨ご記入ください。


●Information:
『NPO法人Ubdobe』 http://www.ubdobe.jp/

[Artist Profile]
■DJ Yogurt(Upset Recordings)
DJYOGURTHIGHQUALITYPHOTO.JPG
シスコテクノ店等でバイヤー勤務しつつ96年からDJを開始。
98年には音楽製作ユニットUpsetsと自身のレーベル Upset Recを始動。
テクノ~ハウスからDUB、アンビエントまで幅広い作風の自身の楽曲リリースを11年間続けている他に、
NABOWAやDACHAMBO、曽我部恵一や奇妙礼太郎トラベルスイング楽団等の楽曲のダンスリミックスもおこない、
2011年には大澤誉志幸のリミックスも手がけた。
2007年以後は楽曲制作をKOYASと共におこない、2010年にはAmbient Album"CHILL OUT"を、
2011年11月にはTechno/HouseAlbum"Sounds From Dancefloor"等をリリースして話題を呼び、
12月にはケンイシイの新曲をYogurt&Koyasがリミックスしたトラックもリリース。
2011年はSONAR JAPANや、2010年に続きフジロックフェス等様々なイベントに出演して、Techno~Houseを軸に、
Rock、Soul、Jazz、Reggae、R&B、BreakBeats、WorldMusic、Ambient・・・等々
様々なジャンルの音楽性を交錯させた選曲で毎週のように日本各地でDJをおこなっている。
http://www.djyogurt.com/


■Kuni Lopez
Kuni Lopez.jpg
緩めのハウスを軸に、様々なジャンルを自由に横断するスタイルが好評を得ている。
negoと渋谷PLUGの共同企画、「DISSECTED」でレギュラーを務めるかたわら、
自身で手がけるラウンジパーティ「7Hz」も奇数月、第三金曜日に開催。
野外音楽フェス「CAMPS」や「Kodomo Music & Art Festival」
「DANCE FOR THE CURE」「SOCiAL FUNK!」など、多数出演。
http://kunilopez.blogspot.com

遊びでも勉強でも仕事でもなく

SOCiAL FUNK! WEB担当のえりこです。

SOCiAL FUNK! WEBに関わるようになったのは、
ちょっとしたご縁からです。

単なる遊びでもなく、学校の勉強でもなく、
生活のための仕事でもない、
誰かから言われてすることでもないこと。

関わりはじめ、しばらくたったある時、
すっかり忘れていたことを思い出しました。

私が通っていた中学と高校では毎年11/23にバザーがありました。
生徒は夏休みに3点手作りのものを作り、バザーで販売、
売上は様々な団体に寄付されていたと思います。
どういういきさつか覚えていないのですが、
バングラディシュを支援しているNPOの協力のもと、
地元の手作り雑貨を委託販売した年もありました。

学校の中で社会貢献活動的なことを
なんとなしにやっていたわ、そういえば・・・と。

さらに、大学では発展途上国の開発経済学を
お勉強してた~と思い出しました。
思い出すくらいだから「勉強していた」なんて言えないのですが、
一応そんなゼミに所属しておりました。

ぼんやりとしか勉強していなかったのですが、
途上国の発展にはとにもかくにも「教育だ!」
ということだけはインプットされています。
2年学んでそれだけか!って自分で突っ込みたくなるけれど。

その後社会人になってからは、
途上国からもボランティアからも遠ざかりました。
問題意識があるものの、自ら何かをすることはなく、
日々をこなすことでいっぱいいっぱい、追われる毎日。
学校でのことは、すっかり頭の引き出しにしまい込まれました。

平成20年の国民生活白書によると、
日本の成人約70%が社会参加・社会貢献したいと考えているとか。
にもかかわらず、実際活動している人は20%。
ですから、50%の人はアクションをおこせていない、
きっかけを持てていない、ということになります。

この数字、納得してしまいます。
なにか・・・と思っても、日常で1日が終わる、
仕事だけで終わっちゃうんですよね。
私も、私のまわりもまさにそう。

アクションをおこしたい人がこれだけいるのだから、
負担にならず、継続的に社会貢献できるしくみが、
たくさんあるといいなと思います。
また、実はしくみや環境はたくさんあっても、
機会に出会えていないことの方が多いのでしょうね。

ただ、今は24年。
震災は悲しいきっかけになってしまったのだけど、
人の意識を少なからず変化させたと思います。
今だったら少々違う数字となって表れてくるのかもしれません。

大きななにかをしているわけではないです。
私はきっかけがあり、小さなアクションをおこせました。
自分でもできるのかな~と半信半疑で飛び込んだのですが。
確実に日常とは違う頭を使っていて、
時に大変なこともあるけれど、勉強になります。

小さなアクションでも50%の人全てが何かに関われたら、
すごい力になるように思います。

そんなことを思いつつ、
学校は実はいろんな機会の宝庫だったのね、
と、とお~い昔を思い出してしまったわけです。
私はいかにぼんやり過ごしていたか~
でも種は撒かれていたということで、よしとしますか。

今やっと発芽?
SOCiAL FUNK! WEB がんばりま~す!

えりこ