ニューヨーク ゼロ泊(一泊?)の旅 | NPO法人Ubdobe(ウブドベ)

ニューヨーク ゼロ泊(一泊?)の旅

あれはいつのことだっただろうか。
僕はリラクセーションサロンの店舗開発部でバリバリのサラリーマンをやっていた。
家に帰れるのは週に2回くらいで、あとは会社で寝泊まりするか出張で地方を廻っていた。
あまりの業務とストレスで僕のアトピーは極限状態。それでも自分のその生活がおかしいとは思っていなかった。家族はみんな僕がその会社にい続けることに反対していた。
家族にも自分の弱い心にも「うるせー!」って言って日々頑張っていたわけですね。

そんなある日、「夏休み」という名目でふと2連休ができた。珍しいことだった。
「休み」というものに慣れていなかった僕はどうやってその休みを埋めようかと迷いに迷った挙げ句、予定を決められずに結局前日の夜になった。

どーすっかなー、と携帯の電話帳を見回していた時に、ニューヨークに住んでいる兄貴から電話があった。
これもけっこう珍しいことだった。
兄「おー、げんきか?何してるの?」
僕「いや、なにもしてないよ。休みの使い方考えていたよ。」
兄「おー、休みなんて珍しいなー。いいじゃん、有意義に使えや」
僕「そうだねー、金もないし二日しかないから何もできる気がしないよ。」
兄「そっかー。 ちょっと、かけなおしていい??」
僕「? おーいいよ。じゃー。」
ポチっと電話を切った。

数分後。。。
また兄貴からの電話。

僕「もしもし、どうしたのー?」
兄「おー、明日の朝の便でニューヨーク行き取ったから、乗って来いよ」
僕「は?何言っとるねん。」
兄「まーとにかく便名とか送っておくから、明日来な。よろしくー。」
僕「おいおい。。。」
ポチっと電話が切れた。

数分後。。。
PCに送られて来たのは本当に飛行機の便名と時間だった。

半信半疑のまま翌日僕は空港に向かい、見事に飛行機に乗れた。
ドキドキしながら十数時間。
NYに着いた。
何回か来てたから大して感動はしてなかったけど、到着に合わせてタクシーで空港まで迎えに来てくれていた兄貴には感動した。

タクシーに乗ってマンハッタンへ。
兄貴はタクシーのなかでJames Bluntの「You're Beautiful」を聞かせてくれた。
冒頭の歌い出しからヤバい。
「My life is brilliant. My love is pure...」
http://www.youtube.com/watch?v=HZf1Emh2gSo&feature=related

疲れ果てて道標を失った心にはこの曲はしみた。
涙をこらえて兄貴の自宅へ。

荷物をおいてすぐにステーキを食べに行った。
イタリアン人が経営する超有名店で、そのお店の前では数年前にイタリアンマフィアの銃撃事件が起こっていた場所だった。
そんな恐い話を聞きながら店に入ると、イタリアンマフィアのファミリーが座っている席の真横に案内された。
マフィアどんだけいるんだよ。こわ!
けどステーキうま!!
食べている途中でマフィアのボスらしき人がいきなり奥さんにオペラを歌い始めた。大声で。どうやら結婚記念日かなにかのようだ。
とっても素敵な光景だったが、恐過ぎて誰も見ようともしない。

そんな素敵なものをみてしばらくして、お店を出た僕らはそのマフィアのボスが携帯でしゃべっているとこに遭遇した。
イライラした様子で、小さな声で「Just, do it... Do it!!」と言っていた。
ナイキのCMじゃないよ。マフィアの殺しの命令だよ!
こわ!ニューヨークこわ!!

そのあと兄貴が「クラブでも行くか」と言い始めた。
兄貴はエリート君なのでクラブなんて行った事もあまりないような人だった。
僕はのりのりでNY中のクラブを調べた。
まずは一番でっかいクラブ(名前忘れた)へ行った。
そこはチャイニーズマフィアが仕切っている地区で、クラブの横の駐車場にはチャイニーズマフィアの子ども(ティーン)達がたむろっていた。
一般のニューヨーカーが長蛇の列に並んでいるにもかかわらず、チャイニーズマフィアの子ども達は顔パスでどんどん店内に入っていった。
僕らもやっとのことで店内に入る。物凄い人でごった返していた。

フロアの真ん中で僕らは踊った。兄貴は踊りながら「こんなに楽しかったんだなー、クラブって!」と嬉しそうだった。
僕も楽しかった。
フロアの真ん中から後ろはチャイニーズマフィアとその子ども達がたくさんいて、前方に白人と黒人とその他の人種が入り交じっていた。
チャイニーズマフィアの知り合いらしき女の子が僕らの近くで踊っていた。
僕らはあんまり気にする事なくお互い笑顔で踊っていた。
そしたら首まで入れ墨の入ったムキムキのタンクトップチャイニーズマフィアが現れ、その子に声をかけた。
何を言っているのかは分からないが、たぶんナンパ。
女の子は明らかに嫌そうな顔をして、マフィアを追っ払おうとした。
それに対してじょじょに怒りはじめたマフィア。
険悪なムードが全開になったとき、とうとうマフィア君は女の子の腕をつかんでどこかに連れて行こうとした。
お、やばいぞ!と思ったその瞬間、うちの兄貴が笑顔でマフィア君に話しかけた。
聞こえなかったけど、たぶん「楽しい空間なんだから、そういうのやめとけよ。」みたいな感じだと思う。
そこからは兄貴とマフィア君のトークバトルですよ。兄貴はアメリカ人より英語ができるほど英語がしゃべれた。
べらべらしゃべりまくって、なんとうまくマフィア君を言いくるめていた。
女の子も無事、なにごともなかったように別の場所で踊り始めた。

兄貴はいつもそう。冷静沈着に物事をおさめるのが得意だった。
昔、僕が六本木で恐そうなあんちゃんに絡まれた時もそうだった。
「おいこら、ボケーコラーどこ見てんねん」と言う恐そうなあんちゃん。
「はー?俺が何したって言うんですかー?ねーねー。」と返す俺。
「お互いそんなことして、なにになるんよ?はい、解散!」と言う兄貴。
なぜかそれで解散することになるんだよねー、不思議と。

そんな兄貴とNYで一番でかいクラブの後に、NYで一番アングラなクラブに潜入。
とにかく朝まで飲んで踊り明かした。

朝になってタクシーで自宅へ戻り、2時間仮眠して、荷物まとめてまたすぐ外出。
ブランチを食べにRue57へ。
http://www.rue57.com/
おいしいブランチを食べながらどうでもいい話をしながら2時間くらいいた。

僕「いいよなー、ニューヨークに住んで生活して。」
兄「そうか?日本のほうがいいじゃん、安全で。」
僕「そうかー?こっちのほうがいいよ。」
兄「おまえも来ればいいじゃん。」
僕「いや無理だよ、シゴトあるし。」
兄「こっちでシゴトすりゃいいじゃん。別になんだってできるよ。」
僕「。。。確かに。」

僕は毎日のシゴトと自分の弱い疲れた心のせいで、どれだけ視野が狭くなっていたのだろうか。
目の前のことだけをこなして、血が出るほど仕事して。
それはなんのため?誰のため?
俺は幸せ?俺は何がしたいの?
これでいいの?それでいいの?
どこに行き着くの??

どんどん疑問が湧いて来た。

「My life is brilliant.」あの曲が頭のなかで流れた。

「俺の人生は光り輝く素晴らしい人生」
そうだった。
自分の人生を光り輝く素晴らしいものにするために仕事をしているんだった。
そうだった。自分のためだった。
そうだったそうだった。

ニューヨーカーが行き交う街角のレストランで、僕は自分の人生を自分で動かしていく力を思い出したかのように拳を握りしめた。

そのあとJ.F.K空港まで兄貴がタクシーで送ってくれた。
降り際に、「また来いよ」って言われた。
兄貴に「ありがとう」とだけ言った。
それしか言えなかった。それで十分だった。

日本に戻った僕がどれだけのスピードで会社を辞めてUbdobeを組織化し始めたかは容易に想像できると思います。

Life is a journey.
Life is so brilliant.
Life is emotional.
Life is LIFE.

<プロフィール>
1981年 東京生まれ、AB型。
3歳でアメリカ・カリフォルニア州サンフランシスコへ移住。
あらゆる人種のなかでヒップホップにまみれて生活し、12歳で帰国。
19歳で民族音楽に目覚め、ディジュリドゥの演奏を始める。
20歳でストリートパフォーマンス集団「ウブドべ共和国」を創り、活動開始。
21歳で母親を癌で亡くし、人生観を根底から覆される。
その後、屋久島/カンボジア/フィリピン/インドネシアなどの地をディジュリドゥと共に旅をする。
帰国後ホームヘルパーの資格を取得するも、その後リラクセーションの会社に就職。
現場スタッフ/エリアマネージャーを経験後、店舗開発営業担当として日本全国47都道府県すべてを廻る。
26歳で退社し、音楽療法の学校に通いながら介護と整体の仕事を始め、任意団体「Ubdobe」を立ち上げる。
29歳で医療福祉・音楽・アートを融合させた「NPO法人Ubdobe」の代表理事に就任し、現在に至る。


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