近江ゆかりの戦国武将
家紋入り乗車券入場券セット №9
はい~ 今回も
近江歴史回廊~近江戦国の道~ を
かる~く走り 近江八幡駅まで行ってきました![]()
(うちから約20分・・・近いね)
1月の浅井長政から もう9月
はやいねぇ~~~~
さぁ~て 今回の近江ゆかりの戦国武将はぁ~
「蒲生氏郷」 弘治二年~文禄四年(1556~1595)
おっ 先回の藤堂高虎と同じ年生まれやな
ちょっとそれましたが、今回もなが~~~い紹介文を・・・
蒲生氏郷 がもううじさと
名門藤原秀l郷を祖とする近江蒲生郡日野六角氏
重臣蒲生賢秀の嫡男として生まれる。
幼名は鶴千代。
永禄十一年(1568)織田信長の人質となるも、
信長はその才能を見抜き、娘の冬姫と結婚させる。
天正十年(1582)本能寺の変で信長が横死した際
安土城留守役の父賢秀とともに信長の妻子を
日野城に保護し、明智光秀に対抗。
その後、羽柴秀吉に仕え、伊勢松ヶ島十二万五を
与えられるが、天正十六年(1588)伊勢松阪城を
新しく築城。
秀吉の奥州仕置後、陸奥会津四二万石に移封、
町の名を「黒川」から「若松」に改名。
七層の天守は幼名にちなみ「鶴ヶ城」と名付けた。
氏郷の移封に伴い、日野商人も松阪・会津若松と移り、
城下町の発展に寄与。
利休七哲の一人、風流の利発人と評され、
会津から文禄の役に参陣途上、近江国武佐で
故郷日野を偲んで詠んだ
「思ひきや 人の行方ぞ定めなき 我が故郷を よそに見んとは」
が有名。
文禄の役出兵中、癌で死亡。
京都大徳寺黄梅院に埋葬。
近年墓地改装で発掘した際、
刀を抱いた形で埋葬されていたことが判明。
by 滋賀県教育委員会作成
この蒲生氏郷
キリスト教の洗礼を受けてて 洗礼名は「レオン」
ゆかりの地は・・・
もうすぐ この収集も終わりに近づいてきました
毎月行ってる割に 近江鉄道の駅員さんとは
話がはずんでません
毎回違うお兄さんやしかな・・・・・
次の近江ゆかりの戦国武将は・・・
お楽しみにぃ~~~




