T93/30完成しました、1993年のスクーデリア・イタリアチームのマシンです。





前年、念願のフェラーリエンジンを獲得しながら期待外れの結果に終わり、チームは前年のF192シャーシの精度不足を受けて、シャーシの製造委託先を、ダラーラからイギリスの名門レーシングビルダー、ローラに変更。




この契約がまとまったのが、92年8月頃。ローラは早急に製造に取り掛かりますが

(ローラによると)時間がなかったため、92年のF3000マシン、T92/50をベースにして製造されました。モノコックはそのまま使用されたとか…




F1用に大型の燃料タンクを配置。そして元々V8エンジンのシャーシにV12エンジンを搭載したため、ホイールベースが93年の参戦チームの中で最長となりました。

デザイン自体は非常にシンプル。耐久性と軽量化に重点を置いて、いつでもハイテク装備を搭載できるように余裕を持たせたそうです(結局搭載されず)




ドライバーは、フットワークチームから移籍のミケーレ・アルボレートと92年国際F3000チャンピオンのルーキー、ルカ・バドエルとラインナップを一新。2人ともドライバーが変わるのは、この年が初めて。

スポンサーは参戦当初からサポートしてきたマルボロが、フェラーリへの支援集中にスイッチしたため、マルボロの兄弟ブランドのチェスターフィールドに変更。その影響で、マシンカラーリングも派手な稲妻模様に変更されました。




シャーシの完成が遅れ、テストはほとんどできず… 頻発するギアボックスのトラブルを解消できないまま、シーズンを迎えます。

ちなみに、アルボレートがこの時のマシンについて「とてもドライブできるものではない」と述べていたそうです…




開幕を迎えると、2台とも常に最下位争い。ギアボックスの問題は解消されてきましたが、開発費を抑えるために回転数が制限されパワーが出ないエンジン、サスペンションとトラブルが出てきます。そしてチームとローラとの関係も悪化していきます…




シーズンが進んでもマシンの戦闘力が向上することはなく、チームとローラとの関係はさらに悪化。ヨーロッパラウンドが終わる頃には、お互いの批判が飛び出す状況に…

この状況に、チェスターフィールドは早々とスポンサー撤退を表明。そしてチームも、ヨーロッパラウンド最後のポルトガルGPでF1から退くことを発表。6年間のF1参戦に終止符が打たれました…




結果、アルボレートは14戦中完走4回、予選落ち5回。バドエルは14戦中完走6回、予選落ち2回。決勝最高位はサンマリノGPでバドエルが記録した7位。90年以来のノーポイントのシーズンに終わりました。

シーズンを終えて、アルボレートは「(他チームと)争える状況ではなかった。(フットワークに)残っていた方がよかったね」バドエルは「やれる限りのことはやった。ただ、このマシンが本当にF1だったのか僕にはわからない」と散々なシーズンを振り返っていました。




キットは、前回のF192に続きMGmodel製。ボディの気になるところをいじっていたら、ほとんどすべての箇所をいじってましたね😅




今回も、塗装を始め失敗しまくりでしたが… なんとか最低限の形にはできました。



ということで








スクーデリア・イタリアすべてのマシンが揃いました…☆





ダラーラシャーシ、フェラーリエンジン、ピレリタイヤ、イタリア人ドライバー。絶妙なニアミスで、この4者がマッチングした「オールイタリアン」は実現しませんでしたが、それでもチーム名に偽りない、ナショナリズムを感じるチームでした🇮🇹


かなり長文になってしまいましたが、年内のF1・モデルカー記事は、今回で最後にさせていただきます。今年はスクーデリア・イタリア4台、オゼッラ1台の計5台製作、ドライバーはすべてイタリア人と、チームもドライバーもイタリアンな1年でした🇮🇹

来年も色々製作したいと思うので、お付き合いいただければ幸いです。最後まで読んでいただきありがとうございましたm(_ _)m