現在開催中のサッカーワールドカップで今朝、劇的な勝利でグループ首位通過を決めた日本代表🇯🇵
まさに「決戦は金曜日」でしたね⚽
「決戦は金曜日」といえば、ドリカムの歌と
F1予備予選…(笑)
予備予選は、エントリー台数が予選出走台数の30台を超えた時に実施されます。
前年の成績などを踏まえて一部のチーム・ドライバーに出走義務が課せられ、金曜日朝8時から1時間の間に出したタイムで30台に絞られます。
シーズン折り返しで予備予選組の入れ替えが行われます。
過去には一度も予備予選通過できずに1年終わった者もいれば、シーズン途中でF1から去った者も…
その一例が、1989年にザクスピードチームから参戦していた鈴木亜久里で、開幕戦から最終戦まで全戦予備予選落ちでシーズンを終えました…
その1989年は、予備予選が最も激化していた年と言っても過言ではないと思います。
開発経費がかかるターボエンジンの廃止などが影響し、前年18チーム31台だったエントリー台数が20チーム39台に増加。予選出走できる4枠を13台で争う狭き門でした。
しかもシーズン前半に限っては、1年ぶりに復帰したブラバムチームの2台が常に上位を独占していたため、実質残り2枠獲得を11台で狙う大変過酷な状況でしたね…
マニアックなマシンのモデルカーを作ることが多い自分ですが、意外にも89年予備予選組のモデルカーはそんなに作ったことはありません。ただキットはいくつか持っているので、いつか作るつもりでいます。
昔作った、1991年予備予選組のうちの2台のモデルカーを出してみました。
タメオ製 コローニ・C4・フォード
こちらは予備予選突破できずに1年が終わり、さらにその後チームを売却したコローニチームのマシン。ドライバーはポルトガル人のペドロ・チャベス。予備予選落ちが続く状況に、地元のポルトガルGPを最後に自らチームを離れ、次のスペインGPはドライバーが見つからず欠場。次の日本GPからは日本人ドライバーの服部尚貴が参戦。チームの資金の少なさから1口2万円でスポンサーを募り、「耳なし芳一」と言われていましたね…
C4のキットは発売されておらず、確かAGSのキットを改造して作ったと思います。当時はまだデカールを自作する設備も技術もなかったので、一部のスポンサーロゴは手書きです😅
BBR製 モデナ・291・ランボルギーニ
91年から参戦開始したモデナチームのマシン、しかしこの年限りでF1から去ることに…
元々はランボルギーニがメキシコのチームとしての参戦予定で準備を進めていましたが、チーム創設を企画したメキシコ人実業家が突然、資金を持ち逃げ… 急遽イタリアのモデナに本拠を移し参戦にこぎつけました。
ドライバーはリジェから移籍したニコラ・ラリーニとルーキーのエリック・ヴァン・デ・ポール。ラリーニは16戦中決勝進出は5回、最高位は開幕戦アメリカでの入賞まであと一歩の7位。ヴァン・デ・ポールはサンマリノの1回のみでしたが、入賞圏内の5位を走行しながらゴール直前にマシンがガス欠… 9位完走扱いとなりました。
自分が作った中で数少ないレジンキット。リアの足回りの基部となるパーツが欠品していて、急遽他キットの似たようなパーツを複製して半ば強引に仕上げてます… 予期せぬ欠品は勘弁してほしいものですね😥
最後に予備予選が行われたのが、30年前の1992年。あの熾烈な1時間が復活することは、もうないでしょうね😅