MP4/9完成しました、1994年のマクラーレンチームのマシンです。

フォードのカスタマーエンジンで93年シーズンを戦ったマクラーレン、ホンダ以来の独占供給を求めて、93年シーズン途中からランボルギーニと交渉を始めます。

ランボルギーニは当時、ラルースチームにエンジンを供給していましたが資金力に難があり、実力、資金力でラルースを上回るマクラーレンからの交渉は順調に進みました。

マクラーレンはランボルギーニV12エンジン搭載のMP4/8Bで、極秘でシルバーストーンサーキットでテスト。フォードV8エンジンより2秒近い速いタイムを記録!

その後、ポルトガルGPが終わった後のエストリルサーキットでテスト。


エストリルでも速いタイムを記録、テストを終えたアイルトン・セナはよほど感触がよかったのか、残りの2戦(日本、オーストラリア)はエンジンを変えてほしいと発言するほどでした。

ランボルギーニとの契約が実現の方向に進む中で

監督のロン・デニスはランボルギーニに対し、無償でエンジンを供給するのみで、それ以外は一銭も出す気がなかったことへの不満、当時最強のエンジンだったルノーV10の優位性は突出していた観がありV12はもはや過去の物かもしれない、いう不安がありました。

それらの思いが思わぬ行動を起こしてしまいます。ルノーに対抗できるとしたら、同じフランスのもうひとつのメーカー。



当時スポーツプロトタイプで独壇場を演じていた、プジョーとの提携を即決でまとめてしまうのでした。




そんな顛末があり始まったマクラーレンの94年シーズン。

しかしプジョーから提供されたエンジンは信頼性が低く、エンジンブローを連発。上位を走りながら、マシン後方から煙を吐きレースを落とすシーンがよく見られました。




プジョーにとって地元レースのフランスGPでは、ミカ・ハッキネン、マーティン・ブランドル共々ライバルメーカー、ルノーの看板近くでエンジンブロー。




後半戦から信頼性が向上、ハッキネンは第11戦ベルギーから第14戦ヨーロッパで4戦連続3位以内の入賞。ブランドルも完走すれば入賞、というレースが増えました。

コンストラクターズランキングは4位、かろうじてトップ4の座を死守。しかし優勝はできず、1980年以来の未勝利のシーズンとなってしまいました。

3年契約の予定だったプジョーとのパートナーシップはこの年限りで解消…




マクラーレン・ランボルギーニでの戦いぶりが見たかったですね (^_^;)




キットはタメオ製。元々の仕様は開幕戦のブラジルですが、ブランドルが初めて完走したサンマリノに改造。リアウィングを小型化、給油口と車載カメラの位置を逆にしました。

ボディのカウルの形状をパテを盛って、やや丸味を帯びるように整形。第2戦からラジエーターが大型化されサイドの開口部が大きくなったため、削って整形しました。




ようやく今年最初の完成になりました (^_^;)
次のザクスピードも頑張って作ります。