今年の桜
この二ヶ月間…母との別れ
三月、母は旅立ちました。
二月半ばに入院して、1週間も経たない頃、とてもさびしがりやな母は家族が近くに居ない事で淋しく不安になり、興奮して暴れて、迎えにきて欲しい、と着信電話が何度も入っていました。その後すぐ、病院から呼吸が弱くなっている、と電話があって、その都度もちなおして、命を繋いでくれました。
関節リウマチからの影響か…骨が細く弱くなって、何度も圧迫骨折を繰り返し、からだの所々の骨が崩れて手や指が使えなくなり、ここ数年は息苦しいからと、寝込む様になりました。
昨年のいつからだったか…
「淋しいから毎日メールが欲しい」と言われて、ずっとやり取りしていました。メールや電話のメッセージを聞き返して、読み返しては泣いてしまう。
母が元気な頃、家族皆を守るという想いがとても強く自分の事より家族優先で愛情深く、さびしがりやで、負けず嫌い、勉強や学ぶ事、お魚やパンが大好きな母でした。
大阪から松本に戻り3日後、「病院から電話があったから行ってくる」と言う父からの電話で、私はじっとしていられなくなり、また急遽実家へ帰省させてもらい、翌日から病院へ毎日通いました。
肺が悪いので、声が出なくなっていて、息苦しそうに寝ている日ばかりだったけど、たまに会話出来る日があって、それが何より私は嬉しかった。
その数日間に、兄も帰省してきて、父、妹と皆で面会に行った時は、来る事がわかっていたかの様に起きていてくれて、母が好きだと言っていた賑やかに笑い合って会話ができたよね。
私以外の三人は、それが母と最後の会話だったね。
最後の最後まで生きる希望を捨てず、弱音を吐かない、とても強い母でした。
今でもとても愛しい存在の大好きな母です。
お母さんの娘でよかったよ
たくさんの愛情をありがとう
また会いたい
たくさん話したい
皆さんのブログに訪問できず、申し訳ありませんでした。
三月の終わり、家族葬で告別式を終えました。
入院した当日に撮ったレントゲン画像から肺が手遅れの状態まで悪化していた事がわかりました。
入院して一ヶ月と少しで逝ってしまいました。
母の存在が大き過ぎて、まだ今も思い出したり、会いたくなっては涙が溢れ出てしまう。
読んでくださり、ありがとうございました。