八重の桜、大きな前半の山場を迎えましたね。


幕末から明治維新には、こんなに大きな戦いがあったのか・・・。

なぜかこの時代にあまり興味もてず(新撰組好きの方とか多いですけど)教科書の字面レベルの知識ですごしてきたワタシですが、


八重さんの旦那・川崎尚之助さんが地元付近・出石の出身で、めちゃかっこいい設定(長谷川博己さんだし)でドラマが進んでるので、ということもあり、またモチロンドラマ自体の良さがあってですが、見続けています。


(出石は落ち着いてて、素朴で、出石蕎麦が美味しい小京都。時間あったら立ち寄ってほっとしてます(*^_^*))



日本は今、自殺多くて問題になってますよね。ちょっと減ったとはいえ、毎年人口3万人の小都市がそっくり1個ずつ彼岸に旅立ってると思えばたいへんなこと。大学生の自殺が多いことも問題視されてます。


一方、日本はちょっと前まで自殺容認(美化・場合によっては推奨)文化じゃなかったの?っていうキモチがどこかにあって、これってどう考えたらいいのかなと思ってました。


武士の文化のなかでは、自殺じゃなく、自決、自刃、自害・・・なのかな。

結果としては自分でこの世の生命を断つってことだけど、そのカタチで肯定も否定もされる・・・のかな。

むしろ、生命を輝かせるために選びとるものかも。


安楽死モンダイはどうなんでしょ。


今の社会で「自殺」で一括りにされてることも、いろいろ。

自殺する勇気あるならこの世でガンバレっていういい方も、すべての対象者にあてはまると単純に思ってたこともあったけど、そうでもないのかもしれない。


・・・でも、この世は解釈ひとつによって、否定的なものも肯定的にとらえられる。

行き止まりだと思ってても、ちょっと脇に目をやったら抜け道あったりとか、

ジャッキーみたいに、発想かえて空やら地下やら道なき道を面白おかしパワーで作っちゃったりとか。


魂は無限かもしれないけど、このいまのワタシは超~有限、唯一無二、貴重、自分でコントロールできる唯一の思考・感情・行動兼ね備えた存在。


命を大切に、この世に在ること自体を楽しんで生きてと、今に続く時代を切り開いてくれた方々、魂さんたちも、そう伝えてきてはりまする。


☆感謝☆鎮魂☆