芥川龍之介「地獄変」より

 

良秀と申しましたら、絵筆をとりましては、良秀の右に出るものは一人もあるまいと申された位、高名な絵師でございます 或日の事、大殿様は良秀を御召になつて、地獄変の屏風を描くやうにと、御云ひつけなさいました 

 

良秀はかう云ひました「私は屏風の唯中に檳榔毛(びろうげ)の車が一輛空から落ちて来るその車の中には、一人のあでやかな上﨟(じょうろう、身分の高い人)が、猛火の中に黒髪を乱しながら、悶え苦しんでゐる顔は煙に烟(むせ)びながら、眉をひそめて、空ざまに車蓋を仰いで居りまする手は下簾を引きちぎつて、降りかゝる火の粉の雨を防がうとしてゐるかも知れませぬさうしてそのまはりには、怪しげな鷙鳥が十羽となく、二十羽となく、嘴を鳴らして紛々と飛び繞つてゐる所を描かうと思つて居りまするどうか檳榔毛の車を一輛、私の見てゐる前で、火をかけて頂きたうございまする」

 

大殿様が御笑ひ声に息をつまらせながら、仰有いますには、「おゝ、万事その方が申す通りに致して遣はさう 檳榔毛の車にも火をかけよう 又その中にはあでやかな女を一人、上﨟の装をさせて乗せて遣はさう」

 

それから二三日した夜の事でございます大殿様は御約束通り上臈を乗せた檳榔毛の車を火にかけたのでございます

 

大殿様の御邸には良秀がまるで気違ひのやうに可愛がつてゐた一人娘が小女房に上つて居りました 車の中の女は良秀の娘に相違ございません

 

炎と黒煙とに攻められて、車の中の女が、悶え死をする 誰でも地獄変の屏風の出来上りを一目御覧になりますと、あの一帖の天地に吹き荒すさんでゐる火の嵐の恐しさに御驚き、思はず知らず膝を打つて「出かし居つた」と仰有いませう不思議に厳おごそかな心もちに打たれて、炎熱地獄の大苦艱を如実に感じるからでございませうか

 

こんなことをするアーティストは今でもいるのです 殺すことはないでしょうが作品を生み出すためわざと人の心を傷つけその悲劇を堪能し創作に利用する者はいるのです 利用した者が良秀のような最期を遂げるよう願っては願った者も同様の最期になるだけ ただ受け止めてこそ愛