2019 12/16? 17?

 

師走という名の通り、12月に入って日々何かの締め切りに追われ走り回る日々。

仕事の裏番組では、2019のビッグイベントを畳み掛けるように味わい尽くす日々。

もうこれは両A面の12月だ。

 

 

12/5

 

13年振りのU2来日公演!!

 

13年待ちに待った来日公演は30年前にリリースされた「The Joshua Tree」の再現ツアーという

壮大なテーマが掲げられた特別なコンサート。

 

その、コンサート参加の為に半年以上前から入念なスケジュール調整を行なっていたにも関わらず

直前にトラブルに巻き込まれ、開演寸前まで会場入りできるかどうかが分からなかったという

私の運命の12/5。

 

 

 

その日のことを語る前に、U2というアイルランド出身の4人組バンドについて、

有名すぎる彼らではあるけれど、改めてざっくり歩みをまとめて見たいと思う。

 

まずは世界史から。

 

アイルランドという島国は、

紀元前に住み着いた人々が、独自の叙情性、神話性、スピリチュアリティーで作り上げた、

ケルト文化をベースとする神秘的な国。

動物や樹木、泉を崇拝する原始宗教はどことなく日本の八百万の神の価値観にも通じるところがあるように思う。

(ちなみに、こうした伝統的な民謡をロックに取り入れたのがヴァン・モリソンで、スピリチュアルな音楽性は日本でも人気のエンヤの作品にもうかがえる)

 

 

伝統的なケルトの音楽を継承するチーフタンズ

 

 

 

 

 

 

 

 5世紀頃、アイルランドにカトリックの信仰が渡来。カトリックとケルト文化をうまく融合させ、妖精とキリスト教という

厳密には相容れない信仰を持つ「カトリック教徒アイルランド人」がこの頃誕生した。

 

 

この緑の島にイギリス側(プロテスタント)が侵略を開始したのが1171年。

これを契機に後800年にわたり、島はイギリスの植民地とされ、原住民アイルランド側の反乱→英国軍の弾圧、の繰り返しにより

島には死体が積み上げられていく。

英国による原住民のプロテスタント化および奴隷化、プロテスタント大量入植etc

英国政府はアイルランドを強引に武力併合。1801年「グレートブリテン&アイルランド連合王国」を誕生させる。

 

アイルランドの悲惨は続く。19世紀の半ば、主食であるジャガイモに疫病が広がり大飢饉発生。

5年間で100万人近いアイリッシュの餓死者を出す。そして事実上英国政府は彼らを見殺しにした。

 

そしてこの「ジャガイモの大飢饉」こそがロック誕生の源となっている。(大胆解釈)

 

圧政、貧困、大飢饉、踏んだり蹴ったりのアイルランド人は、故郷を捨て、

イギリス本土、アメリカ、オーストラリアへと旅立った。

 

アメリカに渡ったアイリッシュが路上生活をしながら故郷を思って歌ったソウルミュージックが、

いわゆる「フォークミュージック」の始まり。

 

イギリス本土に移民労働者として渡ったアイリッシュの中に、ビートルズのジョン・レノンやポール・マッカートニー、エルヴィス・コステロの祖父母、曾祖父母がいた。

 

オアシスのギャラガー兄弟もアイルランドからの移民労働者の子孫にあたる。

 

ボブ・ディランが歌うフォークソングも、ビートルズが起こしたロック革命も、全てはアイルランドをルーツにしていると言って過言ではない。

 

 

さて、島に残されたアイルランド人は反英政府運動を活発化させていった。しかし、大量の餓死者、移民により、人口は激減。

慢性的な栄養失調状態のアイリッシュが、大英帝国の武力にかなうわけも無い。

そこで、発達したのが手を変え品を変えの「テロ戦略」。

 

そう、アイルランドは、ロックとテロが産声をあげた島。

 

カトリックの原理主義組織、『IRA』は世界トップレベルのテロ組織に成長していく。

(一方カトリックアイルランド人を憎むプロテスタントの原理主義組織が『UFF』や『UDA』)

 

そしてついに全面的な「対英独立戦争」へと発展。

第二次世界大戦後1949年、アイルランドは北アイルランド(プロテスタントである英国)とアイルランド共和国(カトリックの独立国家)の二つの国に分断されることになる。←これが現在の地図

互いを憎み合うテロ合戦は続く。

 

 

 

 

U2のメンバーはアイルランド、ダブリンに住む10代の少年達だった。

通り一つ隔てたところで、爆弾が飛び交う。

引き裂かれた世界の中で、彼らはロックに希望を見出した。

 

 

U2の「ブラッディー・サンデー」

1972年、北アイルランド地域に取り残されているアイルランド人が英国での選挙権を求めて、デモ行進している最中、

英国軍が発砲。非武装の一般市民13人死亡。

そのニュースを見た若い彼らは

湧き上がる憤りを「ブラッディーサンデー」という曲にした。

 

内容は英国への憎しみではなく、英国との戦いの宣言でもなかった。

 

『今日、耳を疑うニュースを目にした。

 

僕らはいつまでこの戦いをうたい継がねばならないのだろう。

 

僕たちは戦いへの招集を無視し続ける、

 

もうこんなニュースはうんざりだ。僕たちは今夜一つになれるかもしれないのに』

 

 

 

 

それは「共存」という難題に向かう新たな理念を叫びにしたロックだった。

 

 

 

 

 

 

 

この曲の影響でU2は母国『IRA』のテロ対象リストに入ってしまう。

 

けれど、この「ブラッディー・サンデー」を含む「ヨシュア・ツリー」というアルバムは全世界で2500万枚が売れた。

しかも、プラチナディスクに到達するまでの時間が世界最速でその記録は未だ誰にも破られていない。

 

武器は持たずロックで世界を席巻し繋ぎ合わせていく。

 

もちろんライヴにはカトリックもプロテスタントもやってくる。

 

そして1998年、和平協定調印

(IRA武装解除。北アイルランドでのカトリック・プロテスタントによる平等議会成立を英国が約束。)

 

彼らはアイルランドが産み落とした引き裂かれた世界の子であり(実際voボノの父はカトリック信者、早くに失った母はプロテスタントだった)その成長の旅の舞台は世界へと広がっていく。

 

80年代、同じくアイルランド人ボブ・ゲルドフの呼びかけで世界的チャリティーソング「We are the world」

が制作される。U2のメンバーはアフリカへ行きその悲惨な現状を目の当たりにする。

「夜が明ける前に、保養施設には長蛇の列。もう腕の中で死んでいる我が子を僕に差し出し、『この子を貴方に預けます。この子は私といたら死んでしまうから』という父親を前に、自分は何も出来なかった」とボノは語る。

 

その時に作られた決意の歌が「where the streets have no name(約束の地)」

 

『僕は逃げ出したい

 

僕は隠れたい

 

僕を閉じ込めるこの壁を打ち壊したい

 

僕は手を差し伸べて炎のような輝きに触れてみたい

 

そこではまだどの通りにも名前が付けられていないはず

 

そして僕は愛を燃焼させる

 

そこへ僕がいく時は君も一緒だよ

 

それが僕にできることの全て』

 

 

 

 

 

 

 

そして必ずこの現状をどうにかする、と彼らはボブ・ゲルドフとともに

「バンド・エイド」「ライブ・エイド」という大きなチャリティーライヴを立ち上げる。

 

世界中からミュージシャンが集まり「we are the world」以上の大きな収益を上げることに成功。

その全てをアフリカに持っていくも、その金額は、アフリカが先進国に支払っている借金の返済額数日分にすぎないことが分かる。

 

「これは構造の問題だ。チャリティーは焼け石に水にしかなっていない」

 

そして彼らの運動は先進国相手の「負債の帳消し運動」へと繋がっていく。

 

彼らがロックで成し遂げたことの大きさは言葉では語り尽くせない。

 

誰からからも守ってもらえない人々、出口が見えない人々、一人で戦う人に

いつも寄り添い励まし続けてきた

 

 

 

 

 

これら全ての曲が聴ける13年ぶりの来日公演。

 

12/5、開演前ギリギリ、私は半泣きで埼玉スーパーアリーナに向かって走っていた。

前日は徹夜、普段全く走らない、老人のような体を奮い立たせ、走ってアリーナのゲートをくぐった。

 

 

あ、やばい!もう出勤しないと!!続く。

 

 

❇︎参考文献「Rock Encyclopedia」