2020 3/12
生徒がいなくなった学校はとても静かで、
職員室では先生たちがパソコンに成績入力をする「カタカタカタカタ」という音だけが鳴り響いている。
突然のこの時期の休校で、子供達がいきなり社会から切り離され感は否めない。
どんな気持ちで毎日過ごしているのかな?
モヤモヤとしたこの気持ちの正体を上手く表現出来ないのは、きっと大人以上だろう。
登校できない、卒業予定の生徒たちに代わって、先生たちで「光の声」を歌う動画を限定配信した。
笑顔になってくれたら嬉しいな。
「卒業式ができなかったことも、思い出の一つになるんだよね」
と、「ザ・第三者の意見」をテレビで言っている人がいたけれど、
「それは思い出の種類が違う」と思わず声に出た。
私たちは思い出作りをしているわけではない。
それぞれが「今」を、ただ自分なりに精一杯生きているのだ。
過去はもう存在しない。未来も不確か。
あるのは「今」のみ。
「過去を振り返って、前を向く」のも「今」の自分。
その「今」に惜しみない拍手が送られる瞬間が人生に何回も訪れるわけではない。
自分に自信が持てない中、それぞれに、正解かどうかもわからない毎日を過ごす10代の彼らに、
「君たちはまぎれもなく今輝いているんだよ!」という賛辞が送られる瞬間の価値と、
社会的「安心、安全」というものの価値の間には、そもそも比べることが出来ない次元の乖離がある。
今日しかない授業、今日しかない昼休み、今日しかない放課後、そして卒業式。毎日最後を生きている。
「今日」は「今日」しかないのだ。
みんなと過ごせる「今日」を突然奪われたことの代わりになるものはない。
数年前に卒業した教え子がメールをくれた。
「卒業式を控えている中3生のこと、人生最後の音楽の授業を受けるはずだった高2生のこと。
二度と取り戻せない大切な時期に立っている中高生のことを、臨時休校が要請されてからずっと考えていました。
もし私だったらと考えると、とても空虚な気持ちです。悔しくてたまらないのに、自分たちの声だけではどうしようも出来ない。
過ごした時間はもちろん大切、けれどその日、その場所でしか生まれないものがあることを忘れないでいたいと思います。
その感覚はこの先胸の中にある限り、ずっと熱を帯びていて、起き上がるのを支えてくれるから。」
彼らにとっての「思い出」とは「今」の自分を支える体験であり、「今」ここにある実感のことなのだ。
おまけ
歯医者さんへ行ったら、コップが可愛くなっていた。
先生「ねずみ年やしな」
私「めっちゃかわいい〜!」
先生「ほな持ってかえり」
3つもくれた。
やりました!!


