小説
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みさとケイスケ(1)

ケイスケとみさが出会ったのはこんないきさつだった。

その夏、20年ぶりに「アースエイド」というイベントが世界的に行われることになった。

20年前に「地球温暖化防止呼びかけ」を建前に多くのミュージシャンや政治化がライブイベントを発足し世界中にステージを作って衛星でつなぎ72時間ノンストップでライブステージを流した。

今回も温暖化防止がキャッチフレーズだったが政治的介入がさらに顕著になった。

顕著になっただけで前回も100%政治的に利用されたにすぎなかったが。

みさは珍しく父親の郁夫からアースエイドの北関東会場にライブを見に行かないかと誘われた。

郁夫は言った「母さんは行けないそうだ。」

みさの母いつこは郁夫が仕事以外でどこへ行くにも自分か誰かが一緒でなければ外出を許さなかった。

郁夫は長い海外出向暮らしでとても社交的であった。

男性だけでなく女性からもとても好感を持たれる性質を持っていた。

いつこは郁夫が浮気をしていないかとほとんどノイローゼになりかかっていた。

みさは自分が行かなくては父も行くことができないことを知っていた。

「そうねえ。いいわよ。友達も一緒でいい?」

「誰を連れてくるの?」

「そらちゃん。」

「わかった。そらちゃんのご両親に僕からも電話をしておくよ」

そんな流れでみさのお盆の計画は決まった。

ライブ当日はゆっくりしたいという郁夫の意向でみさとそら、郁夫は北関東会場から15分の立地にあるホテルに泊まった。

ホテルはライブ客がほとんどらしく、にぎやかだった。

会場の周りには多くのキャンパーがいると聞いてみさとそらはそこへ遊びに行くことにした。

「お父さん、私たちちょっと出かけてくるね」

そういって2人はキャンパーたちとパーティーしに出かけた。




家族1

「みさはどうしたいの?学童?家庭教師?」 ママがこう聞いてきた。学童は死ぬほどつまらない。狭い建物と庭…同じ学校のクラスの同じ面々…しかも友達のママはみんな働いていないから学童には私一人。学童では「アクティビティ」とは名ばかりのつまらない活動をやらされる。去年までは良かった。部活があったから。でも今年は受験生になったので部活はもうなかった。私は学校が終わる3時からママが帰ってくる7時までどこかへ預けられなければならなかった。今でもいろいろな法律ができて前よりもっともっと学童にいる時間が増えた。家庭教師と家にいればテレビも見れるし携帯でメールのやり取りもできる。でも私にはわかっていた…ママは私に「学童」って言ってほしいって。だって、学童ならば一ヶ月5万円で済むけれどもママもパパもほとんど家にいないから家庭教師だったらその3倍はするから。

「ん、やっぱり学童。○○ちゃんいるし…。」

「そうよね、しかもこの学区の学童は評判がよいのよ。『アクティビティ』にもすごく力を入れているから。やっぱりこの学区にして良かったわよね。」

私たち家族は私が私立の中学受験に失敗したので「できるだけ教育レベルの高い公立中学校」を探してここへ引っ越してきた。私は中学校受験を失敗したときは本当に死んでしまいたかった。ママに申し訳ない…そんな思いでいっぱいになった。ママは「いいのよ。中学校でがんばればいいじゃない」と言ってくれた。パパもママも優しかった。パパは大手コンピューターソフトウェアメーカーの技術者でママもそう。パパとママはアメリカパパの仕事の関係でずっとアメリカで暮らしていた。ママはそのときにアメリカの大学を出た。そして私はアメリカで生まれて2歳になるまでアメリカに住んでいた。ママはみんなのお母さんより頭も良くてきれいで自慢のママだった。パパはきれいな家を建ててくれたしいくらでもおこずかいをくれたので私はパパとママが自慢だった。私は生まれると3ヶ月で託児所に預けられた。ママが大学を卒業してとっても良い会社に就職できたから。

「日本のほうが保育園も幼稚園も安いからせっかく帰ってきたって言うのに、これじゃあアメリカと同じね」

とママがパパに言った。パパも

「これじゃあアメリカにいて仕事をしていたほうが良かったかもナ。ははは。向こうでは残業も少ないし休日出勤もなし。給料も良いしね。」

「そうよね。向こうにいたら仕事しながら大学院にも行けるしねえ。ただ家が高すぎて…税金払うのがばかばかしくってこっちに来たのよね。」

ママとパパはシリコンバレーの話に花を咲かせていた。

知ってほしいことがあるから

人は皆多かれ少なかれ自分本位な生き物で人を思いやることがなかなかできない。血のつながった家族同士でもお互いを思いやることができないでいる人々がどのぐらいいることか!かくいう私自信も独りよがりで人を思いやることの全くできなかった者である。「である」が過去形なのには意味はなく私は今でも変わらず自分のことばかりよく見せようとしてしまう。変わったことといえば私は親になった。月並みではあるが親になって初めてわかる親の気持ちとはいったものである。私は私の両親がどれだけ私のことを愛してくれていたのかやっと理解できるようになった。あの時は本当に寂しくて心が騒いでとてもそんなことを信じることができなかった。今は彼らが私を愛してくれていたことに感謝している。しかし、である。やはり愛は行動が伴わなければ子供には伝わらない。愛は、愛するとは、どれだけの時間をすごせば伝わるのだろう?何が足りなかったのだろう?私は今家族のために何ができるであろう?私には癒される時間と空間が必要だった。必要なときにそれが与えられたことは今思えば奇跡だった。私は誰をも責めたくて書くのではない。私には伝えたいことがある。それで私のことを書いてみようと思う。