今日は久々パソコンから書いています。やっと調子が収まりかけてきたからです。

ところで愛知県一宮市でひどい出来事が・・・。ある中学校長が自分のブログに「仁徳天皇の民のかまど」の話を書いたら教育委員会がそれを削除させたと言うことです。特に政治的に偏向しているわけではない話だとしか思えないのですが、教育委員会はそれがお気に召さなかったようですね。


アメブロで安倍総理に強く異をを唱えて居る右方もいますが、いかがお考えでしょうか。抗議に電話が一宮市教育委員会にじゃんじゃんかかってきてういるそうですが、皆さんはいかがお考えでしょう。誹謗中傷で無い限りコメントを頂きたいと思います、。よろしくお願い致します。

小説より奇なり、である。何でパワハラ働いた張本人が「公職選挙法違反」の書籍を私に見せるんだ。あまりにもタイミング悪すぎだろ。馬鹿な退職校長Y、いったいいつまで藤沢市に迷惑をかけるんだ。教育委員記も無責任決め込むから国からしかられるんだろ。


国も県も市も偉いさんが何が起きたか知っていて、本人ばかりがのほほんとしている。謝罪せよ。いつまでもぐずぐず言わずに。

いただいたコメントを拝見していて、今学校がそして教育委員会が何をなすべきか、が見えてくるように思える。それは教員であるより前にまず「人間であれ」ということである。

裁判になったら絶対に勝ってみせると言った校長、実は教育委員会の中のある部分で退職後の生活を送っている。普通なら裁判沙汰になった事件の関係者を組織の中に置いておくなど考えられないのだが、そこが組合運動の強い地域故、現状のようになってしまうのである。

本格的に教育委員会制度を何とかしたければ、実は「大学の教育学部」を変えないとだめである。そこはさすがに文部科学省、今の大学制度改革に織り込み済みである。学問に成果主義ばかりを取り入れるのは賛否両論あるのだが、今までの教育学部は大学の中でも特殊なところで、なまじっか国立大学が多かったために、「自分の言うことは必ず正しい。」とする主に左翼学者を多く税金で養っていたことになる。


教育学部を普通の学部と同じようにしないと、教育そのものは改革できない。与党の政治家の皆さんもそこはもう解っているはず、である。また「レイマンコントロール」などという素人頼みの発送をひくずっていてはいけない。本当の意味での教育のプロを早く養成することが最も大切だと思う。