↑ずっと続いている習慣、別れ際の握手。

 

 

もう26年も経ったと思うとすごく不思議な思いです。

 

子供心に忘れられないことがたくさんありました。

あの日家の前にあるグラウンドまで家族で逃げたこと。そこから隣町で大火災が起こっているのがよく見えて、風に乗って煤がこちら側にたくさん飛んで来ていたこと。

 

でも大人たちも何もすることが出来なくて、同じようにグラウンドまで逃げ込んで来ていた大勢の人達と夜が明けるまでずーっと無言でその真っ赤な空と大量に飛んでくる煤を見ていたこと・・・。

 

夜が明けてからは移動する車の中から崩れた街並みを見て、「これを自分たちは覚えていないといけないんだ」って漠然と思ったことをいつもこの日になると思い出します。昔から人より記憶力が良かったので同年代の子達よりもかなり詳しく覚えているかもしれません。

 

けど人の温かさに触れた出来事もたくさんありました。

 

震災が発生してからまだ1週間も経ってなかったと思うのですが、「救援物資」として食料や毛布が配られた時に各家庭を自治会の方が回って下さったのですが、妹がまだ赤ん坊だったので

 

「ほんまはくじ引きして当たらんかったらこの毛布はあげられへんのやけど・・・」

 

と言いながら「当たり」と書かれた紙と共にこっそりピンクの一番大きな毛布を母親に渡してくれた自治会のおじさんの事とか、車の中で避難している時に見ず知らずの女性が車の窓を叩いてペットボトルの水を渡してくれたこととか。

 

それから子供の頃ずーっと大人たちに笑い話にされたのですが、避難中に三宮付近の路上で車を止めていたらメチャクチャ強面のおじさん達がやって来て、袋に入ったあんぱんをスーパーのビニール袋からたくさん取り出して

 

「お腹空いてるやろ、これ食べぇ」

 

と言ってくれたのに私はおじさんに

 

「あんぱん嫌や」

 

って言った話とか(笑)

 

それでも顔に傷のあるおじさんは笑いながら

 

「あんぱん嫌か。さっきまでクリームパンもあったんやけどおっちゃん別の子にあげてしまったわ。ごめんなぁ」

 

って謝ってくれたのを両親がヒヤヒヤ見ていたとか。

多分食べたことなかったから断ったのだと思いますが・・・なんて失礼な子供だったのかあせるけどその時のことが引っかかっているからか、未だにあんぱんは食べたことがありません。

 

 

普段は特に思い出すことはなくても、こうしてこの日になるといつもあの時経験した色々なことを思い出して、当たり前に今日まで生きてこられたことに感謝します。

こうして毎日働いて、休みの日には好きなことに没頭出来て、家族と笑いあって・・・すごく幸せです。

 

あの時に思いを馳せて、今もしまた同じような災害が起こった場合に備えられているのか?私はあの時周りの大人達がしてくれたように人に優しく強くいられるのかな?と自問した一日。

 

どうしても記憶は薄れがちになりますが、やっぱりあの時感じたことはすべて忘れないように、風化させないように、自分自身も強い心を持って生きていきたいです。

離れていてもずっと心は神戸にあります。