買ってからかれこれ25〜26年経つジーンズがある。


 私が今でも履いているのは、古着全盛期に、リーバイス501のレプリカモデルとして、多数のメーカーからこぞって発売されていたもののひとつで、当時3万円も出して買ったもの。


 もう膝もお尻の一部もスッカリ破れているものであるが、その長年洗い落とした色落ち具合は良く、モノとしてはまだまだ履けるので、秋深まる肌寒い季節から今も部屋着として履いている。


 当時ノンウォッシュから履き重ね、美しい「色落ち具合」を再現する試みが流行っていたのに乗っかって、濃いインディゴブルーのストレートラインのものを選び、小説「坊ちゃん」の舞台にあった店まで、後日裾上げされた現品を受け取りに窺ったのがもう25年前ぐらいのことである。


 勿論簡単に色落ちなどしないのだから、程なく履き飽きてしまっていたのだが、ある時からまた履き始めるといつの間にか良い色に落ち始め、やがてはダメージ部分をいずれ直して履き続けたいなと思い始めたのがここ最近のこと。


 これは25年ものの話で、今日届いた高浜虚子の私小説「柿二つ」はもう90年以上前の謂わばヴィンテージものである。



 他人から見れば薄汚れた古臭い本で一見あちこち傷んでいるものの、まだまだ文字も鮮明で読めるぐらいしっかりしている。

字体の具合も今に無い風合いで、今ではこれらの旧い文字に安心感すら覚える。


 「柿二つ」は小説としてそれほど卓越したものではないとも一部評されているものの、この威厳に満ち満ちた本の様相に、何でもない文節ひとつが何だか立派に見えるものである。


 自分なりの見解になるのだが、良い作品は声に出して読むと、その文にしっかりしたものがあるかどうか分かる気がする。


 勿論「柿二つ」も導入からこの例に漏れず、文そのものが締まっているように思う。


 さて、私が読書と蒐集の目的で譲り受けた本の数々がずっと読み継がれて欲しいところではあるが、これからどうなるかはあずかり知らないところである。