先般ヘッセの「春の嵐」を読んだことについて少し触れたのであるが、今日私のインスタグラムへのフォロワーさんからのコメント返信で、あらためて気づいたことがあるので書き留めておきたい。


 勿論それは、読めば分かることだろうと言われる内容かもしれないが、私は鈍感なので今気づいたというところである。



 「春の嵐」には数人の主要人物がいて、その人生の起伏を主役の音楽家クーンの目と心を通し垣間見る感があるのだが、よくよく回想すると「誰ひとり充たされた人がいない」という共通性に気付いたのである。


 「充たされない」というのは、決して不幸だからと言うわけではなく、人間爾来のあれ・これが欲しい、ああなりたいこうなりたい欲求の面であり、登場人物の誰もが、口にこそ出さないが明らかに何かに不足を感じている、或いは何かが欠如しているのである。


 気付いたことと言えばそのことなのであるが、今更ながらヘッセの人生観の映し方に一層共感を覚えるのである。


 この読後が境だろうか、それとも一月前の遠方の古本屋探索が発端だろうか、私の本棚(今や平置き場)には、人間普遍のものを求め貪るように昔の岩波文庫海外翻訳小説が増えている。