さて、久しぶりにブログを綴ってみますということで、まずは早々と過ぎた五月は、ほとんどが好きな古本の購入に明け暮れた。


 毎回であるが、もう本棚スペースが満杯を迎え、海外小説専用棚もすのこの上に平置きしざる得ない状態である。


 それでも本への傾倒が止まらないので始末に終えないのであるが、それはそれで日々の疲れやストレスを少し忘れさせてしまうものがあるのでいいのではないかと思う。


 五月はほとんど蒐集に気を取られたこともあり、読んだ小説作品は短篇から中篇の8作品。



 ヘッセの「春の嵐」以外は短篇ばかりであるが、旧さの中にとても深みのある作品ばかりである。

 中でも特筆すべきは、フランスの小説家レオン・フラピエの短篇「女生徒」である。



 この「女生徒」は、かの有名な太宰治の「女生徒」のモチーフになっているようで、太宰の机上に置いてあったという逸話がある。

 太宰版が幼気な大人子供の間の少女の内面を映したものであれば、フラピエ版は投獄された母親と、年端もゆかないまま家族を任された娘の往復書簡の体を取っているもので、たしかに両者似て非なるもののようで、一人称の語り口がよく似ている。

 不幸かと言われるとそうではなく、幸せかと言われるとそうでもない、何となくシュンとしてしまう。
これがフラピエの作風かもしれない。