金の切れ目が縁の切れ目といえば的確な表現であろうか。


 近頃、病的な古書蒐集は鳴りを潜め、専ら読む・書くに意識を向けているような気がする。


 とはいえ、そんなに量が読めているわけではなく、大体読みながら疲れて寝ていることがほとんどで、最早短篇ひとつ読み終えるのに、一大決心の一苦労そのものである。


 じゃあ無理に読まなくてもいいじゃない⁉と、突っ込まれても仕方がないが、やはり日々何らか本には関わっていたいのである。



 旧き良き芥川賞受賞作家に八木義徳という人がいる。


 現在は天逝せられその作品を遺すのみとなっているが、私が最近読んだ数少ない小説作品に八木氏の「海豹」という短篇がある。



 私はあらすじを述べるのが苦手で、またこれを述べることを信条としていないのだが、「海豹」から受けた印象は、前述のとおり”流石。旧き良き芥川賞受賞作の重み!“という感心の念である。


 北海道の過酷な労働環境下における、青年の目を通した変わりゆく自分と、不穏に漂う地場の空気がテーマのこの作品。

何と言っても不穏さのキイとなるのが、職場に唯一のロシアとアイヌの混血女性である。


 男ばかりのむさ苦しく猛々しい職場環境の中、女性がどのような状況に置かれたかは筆舌に尽くしがたいが、半ば生気が抜け落ちたかのような女が羽織る海豹の毛皮と、無惨にも人に狩られ毛皮に化す海豹の対比に、後々ながらこのタイトルにしっくり来るものを感じたものである。


 このように読後も何かを考えさせ感じさせる作品は、小説ではありながら言葉では表現し難い「文学」に類するものと思っている。


  ちなみに私の持っているのは、幸運にも八木義徳氏が任侠小説家の青木光二さんへ献呈した署名本である。