年末年始の休暇最終日の昨日1月3日、島崎藤村の「夜明け前」は途轍もない品位の作品ではあるものの、なかなか第一部上巻が読み切れないでいたので、ティータイム読書のつもりで読んでみるかと、前から気になっていた泉鏡花の短編小説「夜行巡査」を開いてみる。



 作者独特の文語体の節回しに苦労しながらも、短い出来事の中に凝縮されたもの、読み終わりに読者が振り返って考えることが大いにある作品であった。


 読後に感じるものが、作中の出来事が美談では単純に済まされないような「矛盾」の感である。


 主役は作品のタイトルのとおり、夜間パトロールの巡査であり、恐ろしく規律と職務に忠実なため、彼の処置には例外はなく、一つ分かりやすいものを挙げれば、飢えと寒さ凌ぎで一時軒下を求めた母子にも立ち退き注意容赦なく。


 いわゆる、真面目過ぎて融通の利かない人なのであるが、裏を返せば自分に実害を及ぼした相手であっても、危機に晒されていれば、自らの命を投げうっても職責という言葉の元に例外なく救出に向うという誠実な人間なのである。


 そしてここからが賛否両論の分かれ目で、命を投げ売って自分の婚約を台無しにした男を助けようとしたことを賞賛に値する見方もある。


 一方で寒中今にも死んでしまいそうな母子を不法侵入の咎で厳しく罵倒した人間が、自分を貶めた悪魔のような人間を救出しようと寒中の池に飛び込んだという一見矛盾した行為は果たして賞賛に値するのかという疑問も残る。


 しかしながら考えてみると、事情とは言え不法侵入者を追い払うのと、死にそうな人を助けることはいずれも彼の眼の前のまっとうな職務なのではないか。

巡査はただ職務に従順であり、規律が正しいものとし行動したばかりである。


 つまり読者は、倫理観あるいは道徳観いずれを取るのかという考えに至らせる作品ではないかと私は考える。


 巡査は過去の我が身の屈辱という感情的な部分を抑制し、あくまで公の身として忠義を尽くしたというべきなのかもしれない。


 最近文字を近くで見ると焦点が合わず、字がボヤケて滲むようになった。

認めたくはないが老眼になっているのかもしれない。