今年とある朗読チャンネルから知り、それ以来私の中で好きな小説家の最上位である小山清氏の新しい作品集が今月ちくま文庫から発刊された。

普段新品の本は買わない主義の私でも、これは見逃しておけない。



 とは言っても、小山さんは太宰治の門弟であるからして、新作ではなく過去に単行本・文庫等で出版されたものの選集で、当時の書籍は未だに古本市場で高価なのでどうしようかと思っていた矢先であったこともあり、私にとっては思ってもない好遇であった。


 小山清の作品を私は色々読んで識っているわけではない。

寧ろこれから沢山読まないといけないと思っているぐらいである。


 初めに読んだ「メフィスト」という短編は、小山さんが師匠太宰治に扮して接客するも、記者の策略にまんまと嵌まるという、師匠太宰への愛と少しの毒が効いた作品であった。


 そして次に読んだ「落穂拾い」は、日々の貧しさを悲観なく享受している小山さんと、古本屋さんの女性店主との心温まる交流を綴った慈しみの情を感じるものであった。


 読んでいるのは、たったこの2作品のみであるが、その一見凡庸とも思える文からひしひしと感じるのは、日々の暮らしの中における歓びと温もりである。


 さて午前11時、およそ3年ぶりに外出先近郊のとあるカフェレストランに寄ってみた。

昨年はそのまま帰社、一昨年はたまたま休みとなかなか寄る機会がなかったこのカフェレストランは、国道に面し眺めも良好で、昭和のカフェの雰囲気をふんだんに漂わせているので、穏やかな曲を背景に一人で読書など最高ではないかと思う。


 ここには30年前の学生の頃、諸用の帰りに当時の担任先生に連れられ御馳走になった良き思い出がある。

多分その頃と何一つ変わりのない店の雰囲気と景色に、あの時はどこに座り何を戴いただろうと、ふと昔に戻ってみたりするのである。


 そして3年前は、仕事終わりに職場の忘年会を控えた日の昼で、今日も偶然職場の忘年会を控えた昼である。

来年も同じ時期にここに来られているだろうかと、ふと思うのである。


 一人で優雅にランチとは、当時貧困に窮していたであろう小山さんの暮らしからすると贅沢なものに違いないであろうが、「メフィスト」で不在の師匠太宰治に語りかけた風に言うと、”いいですよね。今日ぐらいは小山さん“というところだろうか。