以前から読んでいる志賀直哉の長編小説「暗夜行路」は、自身の衝撃的な出生を知った主役の時任謙作の心持ちに、徐々に暗澹たるものが差してきたあたりから、謙作自身の感情が一層空虚で暗いものがまとわり付いてゆくような展開であったが、「後編」を読み進むに連れ、良縁というきっかけから少しずつ彼の心情が明るくなる兆しが出始めた。


 主役の時任謙作は、ここ最近の言葉でいうところの「ネガティブ思考」を如実に表したような人物であり、いつでもどこでもこの思考が潜在的に付き纏っているのであるが、この彼の感情の機微に気付き、それに触れながら読むと、途轍もなく面白い小説に思えてくる。


 しかし、生活と心の逡巡を克明に表現したこの作品は、映像化するのは難しいかもしれない。


 このような名作を読んでいると時々、主人公の読み物に有名な作品が出てくることもある。

たとえば、この作中に時任謙作が眠れぬ夜に、とい「から騒ぎ」という作品を読む場面があり、そのきっかけとして「真夏の夜の夢」の演劇が面白かったからだというごく小さなエピソードが述べられているのであるが、こちらを読むだけで、”なるほどシェイクスピアはその昔も今も親しまれているのだ“と思わず感じてしまう。


 実はこの場面は、シェイクスピアの喜劇寄りの作品を好んで読もうとしている謙作の思考が、ネガティブからポジティブに少しずつ傾きはじめたものを表すひとつの技巧的な表現でもある。(個人的にそう感じる)


 そして次は蔵書のまま眠らせてある「真夏の夜の夢」を本棚から探し、取り出してみるのである。



 こちらはいつもの古本屋さんで100円だったのであるが、Amazonで探すと同じ作品番号のものがえらく高額で販売されている。
もしかすると、カバーなしの旧装幀かもしれない。

 何せ心の彷徨者であり、作中は小説家の時任謙作が面白いと思っているもの。(=志賀直哉かもしれない)

 もう季節がら、そろそろ読んでみてもいい頃ではないかと思ってきた。