いよいよ読書会を明日に控えたため、メモ程度に課題作品のシュティフターの「水晶」についての雑感を再度まとめておきたいと思う。



 先般の投稿において「水晶」は厳かな人間讃歌であるとの雑感を述べた。
これはもうわたしの中で揺るぎないものであり、それに尽きる小説であった。
勿論個人的な雑感のため、もし読まれた場合わたしと異なる思いを抱くことは多々あると思う。

 その反面であるが、この小説の原動力であり主役は靴職人夫婦でもその子どもたちでもなく、あくまで「自然」そのものであるとわたしは思っている。

 舞台となっているクシャイトの村は、滅多に人が出てゆくことはなく、ほとんどの人がそこで生涯過ごすということである。

 そしてこの人々の暮らしを育むのは、周りに広がる長閑な自然であり、揺るぎなく人々を見下ろす白い雪山であり、それら自然がもたらす恩恵や厳しさを基点に人々が暮らしを営み、そこで生きてゆく術を身に着け、また次の世代もその前の世代に倣い堅実な暮らしを営み伝統を受け継ぐという厳かなるものがこの小説にある。

 そのような生き方であるからこそ形成された閉鎖的感情と、共同で危機を脱した経験からその垣根が取れるという人間の普遍的精神もあわせて感じることができる。

 このように人間そのものに光を当てたのが「水晶」なのであるが、それらを司るのは大いなる自然であり、人間はその大自然の中のごく一部のものであることが、そのように書いていないながらも作中から十分うかがい知ることができる。

 「水晶」は子どもたちが遭難した時に見た、他の追従を許さない壮大厳格かつ幻想的な氷の風景、自然の織り成した結果の風景であると思う。