わたしの住んでいる地域は、北は穏やかな海に面し、遠く南の方角は、時に碧く時に自然の緑に萌える山脈が眺望できる比較的自然環境に恵まれた場所である。


 わたしがこの地域に住まわってこれまで、未曾有の自然災害に遭遇していないのも、その南に聳える山々の加護があってのことかもしれない。


 しかしながら、ふとした時に頭を過ぎり心配になるのは、生きているうちに何度か経験するであろう地震のことである。

たとえば、もうわたしたちが居なくなった子供たちの世代に大きな地震が来たとしたらと考えると、何とも言いようのない想いになるものである。


 先日わたしの本棚に並んだクライストの小説作品集「聖ドミンゴ島の婚約」にある数作の小説の最後に収められた「智利の地震」は、1600年代のチリを舞台に幾人かの人物にフォーカスし、生きていることの尊大さや、本質的な人間同士のつながり、無常にも一時のことで奪われる命など、人間の普遍的なテーマを大震災という未曾有の背景により克明に表現している。



 ごく限られた人物に焦点を当てているとはいえ、その話のスケールは非常に大きく、その静謐かつ残酷な場面も厭わない作者の一文一文は心に訴えるものがあった。