サマセット・モームの短篇「雨」を読んだら、非常に衝撃を受けたか、その一言では表せないかのどちらかになると思う。



 昨日まで私の住む地域は天候が愚図つき、朝から一日薄墨の如く空模様であったのにちなんで、以前からしばらく置き去りにしていたモームの短編小説から、この「雨」を選り読むことにした。

 まず、自分の周囲に倫理感と貞操、世の常識に欠ける人が居たらどうするだろうか。

 この作品の主要人物であり、ひどい雨季の雨の中、謎の死を遂げた宣教師の男性は、神の御心の下懸命に行きずりの売女の精神状態が異常を来たすまで、何度も悔い改めさせようと試みている。
否、努めているという方が適切かもしれない。

 この一種の行き過ぎの宗教観念は、神の御手と解釈するのが良いのか、狂気じみた行為と見做すべきなのか、まず読み手のみに委ねられる。

 また、妻のある宣教師が、売女の教化のため度々女の部屋を訪れる場面がある。
あくまで教化のためであるが、前述のことを踏まえると、そこには唯ならぬ婬靡さをどうしても感じてしまうのである。

 そこに来て、雨の中の惨死と狂気じみた女の嘲りに、この陰鬱な雰囲気を脚色するような「雨」の存在が、一層この話を陰鬱然らしめる。

 もう通読して半日は経つが、衝撃が強すぎて余韻を今も引き摺っている。

 禁欲的な妄信と裏腹の生々しい肉感的な性の象徴。

そして、なぜ宣教師は死なないとならなかったのか…


 最高のストーリーテラー、モームから読み手に与えられた難題とも思える。