王の椅子に浅く腰掛け踏ん反り返り、酒に溺れ鋭くギラつき据わった目で上から語る。


 私は、詩というものが感性の集合体と思っており、あの短い文の中から、それを肌で感じ自分の感性に当て嵌めるのはどうも苦手である。


 どちらかというと、小説のような長文で少しずつ感性を研ぎ澄ませて行くのが向いていると思っていたのだが、ランボオは違った。


 以前からいつもの古本屋さんに並んでいるのが気になって、「詩」ということで手を出すのを躊躇っていた「地獄の季節」を、とうとう自分の手中に収め、まず手始めに序文だけを読んでみた。

思わず二回は読んでみた。



 正に最初の一行から、冒頭で述べたような感性で、既存の感性を軽々と叩き壊すようであった。
これは、小林秀雄のハイセンスな翻訳も功を奏しているのではないかと思うが、一言一言が痺れるほど格好良いいと思えるのである。

 だから、その次はまだ勿体ぶって読んでいない。
序文だけで何度も愉しめるのである。

 ボードレールがビジュアル系の、絡みつくような文体であれば、ランボオはすべてに中指を突き立てたパンク・ロックのように私は思う。