今年に入り、読書と購入のバランスを極力読書の方へ寄せていると、概ね短編小説であるが、今日現在において十作品の通読ができている。


 自分としては順調な滑り出しであり、先般回想したチェーホフの「煙草の害について」や井伏鱒二の「因ノ島」などの味のある作品に触れ、あらためて読書のよさを実感するに至っている。



 しかしながらこれまで読み通した十作のうちでも、今朝通読した中上健次の「浄徳寺ツアー」は、私の中で少し消化が悪かった。


 この作品は、私の出生年と同じ年に文庫版が刊行された「岬」に収録されているものの一つで、タイトルは申し分なくよい。
 そう…タイトルから井伏先生のような、ユーモアを性を期待したのであるが、ここはやはり中上健次風の尖ってストイックな世界観だったのである。

 この作品は、父親になろうというのに、女性にだらしなく一行角が取れない碌でなしのツアコン男性の内面を表した良作である一方、その経過に高齢者や知的障がい者、女性などの差別的表現という形を取っているのが、どうも少しいただけない。(敢えてそんなコンセプトであろうが)

 また、読み進め易くはあるのだが、場面遷移が唐突で人物の関係性が分かり辛い少し粗削りな文章な分、作品の世界に没頭する前に、話の筋の理解の方に逸れがちになってしまう。

 しかしこの作風の源泉は、作者の壮絶な生い立ちや傾倒している作家を調べてみると、その反動も大いに作用しているのではないかと、自分なりに納得するのである。

 父親になる現実、いつまでも齢を取る現実を享受したくない、青年期から中年に移行する男性の尖った感情といったところではないだろうか。