宮沢賢治に特に執心していた二年前頃、遅まきながらメジャー、マイナーな作品をいくつか通読していた時期に、手づくりの遺稿集で通読した「貝の火」も印象深い作品と感じたが、中でも最も印象深かったのが「猫の事務所」である。



 こちらは、「猫の事務所」を読むため1949年の蓼科書房から発刊されたものの復刊版を揃えたもの。
当時の文字の風合いが目に柔らかいのである。
個人的に「蓼科(たてしな)」と「書房」という言葉の組合せが、何とも絶妙に感じる。



 さてこの「猫の事務所」は、言わずもがな不条理な人間社会のデフォルメであり、かま猫さんが受ける謂われのない職場でのいじめの様子は、つい目を背けたくなる程悲惨なものである。

 しかしながら「いつまでもこの様な状況は続かない・見ている人は見ている」といった最後の展開に、少し救われた気分に落ち着くのであるが、よくよく考えると誰もが意識の下に持っているだろう「違っているものを排除したい気持ち」が、この作品に如実に表れているいる気がするのである。

 ただそれを表に出すか出さないかの違いだけで。
これまでの人生において、少なからずこの様なことをしたり、見たり、見ても何も出来なかったりしてなかったか。
自分はいつでも「善」の心持ちでいられるのかどうかを。

 そんな身につまされる意味もあり、今まで通読した宮沢賢治の作品のなかで、最も印象的なのである。

 これから多分、同氏の作品を新たに読むことがあっても、こちらは不動の位置付けとなるのではないかと思っている。