さっきとある方のブログを読んでいたら

「自分がファンであるプロ野球選手にカードを渡してサインを書いてもらおうとしたら、自分の手が滑ってカードを落としてしまったところ、ああ!ごめんなさい!と言ってその選手がカードを拾ってサインを書いてくれて、その選手の優しさに超感動した」

という話が書いてあった。

確かにこれは感動する。

昨日今日とモリモトは武術の稽古に行っていたが、うちの先生は技術だけじゃなくて結構座学も教えてくれる。特に日本語の古来の意味や漢字の意味を教えてくれるんだがこれがまあ面白いんですよ。

昨日教わった座学でちょうど上の話とリンクする話があった。

「優しい」とはなにかという話。

音読みすれば「優」=「ゆう」で、これはたとえば「優秀」とか「優劣」とかに使われるが、先生が言うには漢字を訓読みすれば本来の意味が分かるという。

「優秀」という言葉を聞くと一般的には「頭がいい」とか「勉強ができる」と捉える向きが大多数だしモリモトももちろんそう思っていた。

そこで「優」を訓読みすると、「優れている(すぐれている)」と読める。

だが同時に「優しい(やさしい)」とも読める。

2つ読み方があるわけだが、ということはつまり「やさしい」とは「すぐれている」ことであり、「すぐれている」ことは「やさしい」ということだという。

本当に優れているということとは優しさがあるということなんだよという話。

なんか野球選手の話を読んで一層納得してしまった。優しさを持って人を感動させる、喜ばせるということは確かに優れていると言えるなと。

うちの先生は「力」に対して「力」で反抗しても力が強い方が勝つだけそれじゃ全然ダメだという。

なぜならどんなに頑張ってもそれでは身長が低くて体重も無い人は身長が高くて体重もある人には力では敵わないからだ。

そこで必要なのが「優しさ」なのだと言う。

本気の優しさで武道の技を施せば筋力では逆らえないと言う。

相手をどうこうしてやろうという我欲があるうちは自分より力が強い人には技はかからないと言う。

なんのこっちゃという感じだが実際先生はモリモトより背も低く小柄だが全く敵わない。

でも相手に技をかけて倒したら優しくないじゃないと思うかも知れないが、武という漢字は「戈(ほこ)を止める」と書くわけで、暴力に対して暴力でねじ伏せるのではなく、優しさを用いて止める、つまり相手を傷つけずに圧倒的な優しさで制することが出来れば恨みも残らないということ。

武術に限らず、どんなに気の荒い人でも相手に誠心誠意優しくされたら反抗心は起こらないですよね。

反抗されるということはまだ優しさが足りないということなんだろう。

自分がこんなに優しくしてるのに文句言うってなんなんだよと思ってるうちは本当に優しいということではないんだなと気付かされた。

というわけでまだまだ全然モリモトも優しくならなきゃダメだということです。なんせ急いでるときにコンビニの店員さんがレジ打ち遅いだけで「ああ、もう早くしてくれ、、」とイラッとしちゃうくらいだからこれじゃだめだ。。

震災直後の日本も含めて今の世の中で一番必要なのが優しさなんだなと思った今日です。