ある休日の思い出 | クラスタ民主主義システム研究室

クラスタ民主主義システム研究室

☆学習とディベート☆ ☆ネットワークデモクラシーを夢みて☆ 
☆教育ディベートを推進しよう☆ ☆「complex system」で思考してみよう☆「ネットワークデモクラシー(Demoex)研究室」からタイトル改題しました。 

昨日まで一泊二日で博多に遊びに行ってきました。子供達は成人していますし、今春から長男は社会人になりましたから、夫婦二人の旅行でした。


いろいろなところに行って、食べ歩きと買い物を楽しみました。行ったお店の名前を覚えるのは苦手ですが、その場所はだいたい憶えています。カミさんは方向音痴ですので、いつも私が道案内役。このお店は大名のタルト屋さんで、とても美味しかったです。開店前は行列ができていました。



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婦人服やバッグ売り場などにも付いていきましたが、どうも今の私は黄色に目がいきます。黄色といっても、コーンスープのような黄色です。それと蒼いワンピース、紺色と空色の中間色のような色が良い感じだったので、「これどう?」と声をかけてみましたが、どうも若向きのワンピースだったようです。まだ着れるんじゃないかな?と思ったのですが('-^*)/


思い返してみれば、やはり、私は青と黄の組合せが好きなんだと思います。


途中で私は買い物から別れて、久しぶりにパチンコをして時間を潰しました。宇宙海賊というアニメを題材にしたもので、3,4回くらい大当りし結構楽しめました。こういうゲームは射幸心を煽りますし、探求心や達成感を満足させてくれます。現代には弓矢を持って野原を駆け回り獲物を追うような生活は在りませんから、ゴルフやスマホゲームとか、こういう事が必要なんでしょう…。


研究や仕事といった職で探究心や達成感を満たすことがベストで、パチンコや趣味に依存してはいけないとは思いますが。




私たちは、うろうろしたり、探したり、何かゲットしたり、探り当てたり…、そんなことを繰り返し、喜んだりガッカリしたりしながら、人生を過ごしていきますね。


そこには、私たちに組み込まれた仕組みがあるんだと思うのです。


私たち人類は、いま、人工知能という人工物を創ろうとしているわけですが、私たち人類も誰かが創った創造物であり、私たち自身や私たち人類自身が創ったわけではありません。私たちの我、エゴは創られたものだということを忘れてはいけないでしょう。私たちが知らない何らかの知性が私たちを動作させているわけで、そこには叡智が在り、私たちが知らない暗黙知が作動している…、その点では認識を共有できるように思います。


そんな動作する生命体という点では、私たち人類のような高等生命体も線虫のような下等生命体も似たようなものでしかありません。おそらく同じ生命という仕組みで動いているのです。


では、そんな生命は、何のために、どんな風に生きるのでしょう?


一つは、カマキリのオスのように生殖し子孫を残すこと。性行動こそが必ず生命の根底にあるわけで、私たち人間の感情や行動も同様です。ただ、私たち人間のオスにも、南極の極寒で暮らし飲まず食わずで卵を温め続ける皇帝ペンギンのオスのように、子育てする際の感情や行動も根底にしっかりと存在しています。もっと根元に立ち返れば、狩猟や耕作して食糧を手にして生きること、そして、出来れば上手く生きること、そのために必要な仕組みを誰かが私たちに組み込んでいる…。


では、どうやったら、私たちは、上手く、生きたり、子を成したり、育てたりできるんでしょう?


そこには、要は、感情と行動と上手に付き合うノウハウが必要なのかもしれません。


その辺りを各自がコントロールしたり皆でコントロールしたりする必要があるのでしょうし、その共有認識を醸成するために言語や玄理の整理が不可欠なのでしょう。


感情はほんとうに様々ですが、線虫くらいまで立ち返ると、きっとシンプルでわかりやすい様に思います。怖がり、喜び、悲しみ、激昂、好き、嫌悪…、この辺りから喜怒哀楽愛憎が派生していく様な…、こういったカテゴリーを明視することができると、その先の事の成り行きが見えるのでしょうし、こうした感情は五感に起因することを知り、原因追求できたらと思います。


さらに、私たちの脳が感じ識別する行動原理も羅列してカテゴリー化したら良いのでしょう。謝意、敵意、自信、困惑、信頼、不信、共感、軽視、賞賛、軽蔑、自尊、裏切り、旅立ち、帰郷、戦闘など…


この辺りで、羅針盤をつくり、ゲーミフィケートしたら…


その際に、政治、恋愛、戦争、主従、教育といった皆が遭遇する事象に関して定型を構造化しておき、相似と差異を積み重ねていく…


もう、そんなことをネット上に集積できるでしょうし、人工知能で解析しアシストできるでしょう。


そんな過程を因子化することで、ある人が見ている視点と他の人が見ている視点の相似や差異を明確化でき、どこが見えないのか?、どうして違った感情や論考になるのか?を認知できるような…


こんな感じで調べてみたら、きっと、同じようなことが繰り返しているわけで、まさに輪廻しているのでしょう。


蓮の花の下に拡がる見えない泥の中に潜んでいる根底を知れば、きっと上手く花が咲くでしょうし、多数決による集計とは違った集積が始まるような気がします。


何とかして、この流れの中に隠れている智慧を見てみたい…、そんなことを考えた、ある休日の一日でした。


ウサギ