東京にオリンピックが決まった。マイケルジャクソンの死んだ日のように情報は唐突に耳に目に入り込んで来て、僕の気持ちなんかは気にも留めないように時代は大きな動きをしていく。
 IOCの会長かなんかが目覚めた僕の目の前に、カードをひっくり返してやる気のない声で「トウキョウ」と言う。そしたら使命を果たした人達が立ち上がったり、何か叫んでいる映像が入って来る、わかりやすかった、僕もああいう感情なのかなとも思ったりした、けれどもどうしても立ち上がり拳を掲げたり出来る気分にはなれなかった、その日一日はそんなような気分で、これからどうしようと考えるばかりだった。
 目の前に訪れた夢や希望がある中で、僕は何をすれば良いのかどう生きて行けば良いのかわからなくなってしまった。だけれど答えのような物はきっとないような、時代が翻弄していくような、以前の僕のままでとりあえずは良いんだといういつもの戯け。
 そして一度やってきた聖火の火を見なくちゃいけないそんな気になって、64年東京オリンピックのドキュメンタリーを観た。あの熱狂、凄まじい程の人の数々、普段東京で見る人間の群れとはどこか決定的に違う生きた人間達。
 希望に満ちあふれた人達の目は、ある種の肉体的芸術を目撃する心構えが備わっているように見えた、僕もあの人達のように希望の灯し火を絶やしてはならないと固く決心するに至った。
 聖火の象徴は人それぞれに持っている、夢や希望なんだと僕は思い込み、通過点でしかない時代の流れに何か残すような作品を考えて生み出さなければいけないと、なんの使命感なのか、根拠の無い自信だけが血液のように流れている実感を得た。
眠れない、寝る前に目を閉じて思いを巡らせていると気付けば寝ているいつものパターンか、妄想にふけてアイデアが思い浮かび眠れないいつものパターンか、今日は後者のようです。

そうそう、思いが巡り巡って悲しくなったりしちゃったりする達なのですが、悲観的なのかなんなのか、悲観している自分を何思いつめてるふりしちゃってと、ちゃかす自分にいつも助けられて、結局の所僕の考えているちゃかす自分というのは、僕とは全く関係ない他者の存在のような気がしています。
それは世間ではなく、わかりやすく言えばモンゴルの大草原で遊牧民族をやっているバイラさん。
もちろんバイラさん自身僕の存在を全く知らないし、僕自身バイラさんが本当に存在しているのか全くわからない。
僕が作り出した、幻想でしかないバイラさんだからこそ、悲観的な僕を笑い飛ばせるのでしょう、僕と関係のある友達という世間ではないバイラさんは、僕に全く親密に接してこないから笑っていてくれるのです。
それが僕にとっての救いで、それは僕の作り出した幻想なのだけれど、僕なのだけれど僕ではないと僕は思っています。
心の中の良き友として存在してくれるのでしょう。

眠れない夜にいろいろ考えていたらバイラさんが笑い飛ばしてくれて、いつもなら眠りにつけるのだけれど、なんでか今日は一回笑ってくれたっきり帰って行ったような感じ。

僕には助けが必要だ、パプアニューギニアのコロワイ族のオニさんでも来ないかなぁ。
畜生 風に吹かれて何を笑ってら へへ
畜生 お前は何を面白がってら ハハ
畜生 頼りなんかにするもんか ヒヒ
畜生 傘が手からこぼれてら フフ
畜生 僕なんかは溺れてら ハ
畜生 鉄の格子がお似合いだ へっ



梅雨の黴臭い街から放たれた体臭を感じながら過ごしています。
ろくでもない僕にしたら綺麗に香るこの街は、あの人が住んでいたであろう香りがするのです。
いつの世も人は同じ悩みをもって生きているのでしょう。
答えの出ないお話を真剣に考えては休み、日に日にその事から解放されて、自分の寿命がわかればあっけらかんとし、何もわからず死んで行くのでしょう。
寿命さえわかれば。
と誰かが言いました、遅かれ早かれ彼は死ぬ、僕も死ぬ、早かろうが遅かろうが寿命がわかれば僕は一日をもっと大事に過ごしたのでしょう。
そんな事わかってたまるか。
と誰かが言いました、確かに突きつけられたその運命を僕たちは知らないから不毛な事で楽しめ、虚無感を感じる所から離れて生きて行けるのでしょう。
黴臭い季節を何度回ってここに辿り着いたのか、クラシックの音楽が聞こえてくればエンディングなのか、僕は僕がいつ死んでしまうかわからないけれど、いつも思うのは明日は死なないというあっけらかんとした病人と同じような気分なのです。
畜生どもが何を面白がってら。
僕も畜生なのかも知れないと知った時、大義を背負って生きて行こうと思いました。
背負うという重ったらしい言葉が人生にはお似合いだと考えます。でなければ僕の大嫌いな畜生になってしまう気がしてとても生きて行けない。
それは本物の十字架なのか、ニセモノなのか、見極めなければ行けません。
僕は人生という罪深いものを、自分で罰を見つけ生きて行こうと、表現者として覚悟しました。
浴槽に浮かぶ不純物をすくっては捨て、浮かんで来たそれを誰かに見せびらかす事はなく、何かに変えて表現して行きたいと、畜生の僕がもがいている様はとても滑稽かもしれませんが生きてみます。