目をとめて頂きありがとうございます。

今日に通じる約20年前のできごとです。

 

生後6日目で受けた心臓の手術、心房中隔裂

開術は午後1時30分時間通り始まりました。

 

当時6歳の双子の娘が、祖父母に連れられ

病院に来ていました。

しかし、息子との面会はできません。

子供から子供へ感染する病気があるようで、

NICUに続く廊下のかなり手前に柵が設けられ

そこから奥へは親族であっても子供は入れな

いのです。

 

産まれて一週間近く、妻も退院し自宅へ帰っ

たにも関わらず、赤ちゃんに会えないことに

 

娘たちは

「赤ちゃんほんとに生まれたの?」

「ほんとは死んじゃったんじゃないの?」

「わはは…」 

と笑えない冗談を言っていました。

 

そんなこともあり、娘たちを病院へ連れてき

てもらいました。

しかし、手術室へ見送る妻が泣いている姿を

目の当たりにし、娘たちも感じ取ったようです。

祖父母に付き添われ静かに帰って行きました。

 

産後で疲れていたせいか、途中妻は車に戻り

ときどき横になり休みながら手術終了を待ち

ました。

手術開始から4時間ほど経った午後5時30分

NICUの医師が、手術終わりましたので

麻酔が覚めたら戻りますと伝えに来ました。

30~40分すると息子はNICUに戻り、面会時間

外でしたが10分ほど面会させて頂きました。

 

とても長く疲れを感じた4時間でした。

しかし、これから後に受ける手術の中でもっとも

短時間で難易度の低い手術になることを

このときは想像もしませんでした。

 

この時のことを妻が日記に綴っていました。

 

「抜管され麻酔のためまだ眠っている

状態は落ち着いているようだ

手や口を触ると反射あり、若干チアノーゼ

顔色は良好ではない、OPの影響だろう

心拍、酸素飽和度は安定、IVHが右鎖骨上から

入りドレッシングテープで固定、右手にDIV刺

し入れきつく固定、おヘソのDIVは抜去」

 

「よかったね、がんばったね、

ゆっくり休んで疲れをとるのよ!」

 

手術前、涙を流しながら数秒間息子の手に触

れ、手術後も10分足らずの面会でした。

わずかな時間に妻は、手術前と手術後の息子の

状態を詳細に把握し書き留めていました。

母親であり、プロだなと思いました。

 

心臓血管外科、循環器内科、脳神経外科・内

科、歯科大学病院、PT・OT・STと色々な医療

機関に通っていますが、自身が看護師である

ことを告げている姿を見たことがありません。

治療に関して医師からの説明を受けたあと、

私にとっていつも通訳のような存在です。

 

話は変わりますが、昔は「お産は病気じゃな

いからな」なんて悪態をつく先輩もいました。

いまでは考えられないかも知れませんが、

出産で何日も休むなという意味です。

 

現在ではパワハラとか言うのでしょうが、そんな

言葉ありませんし、「うるさい奴だなこいつ」

それくらいにしか思いません。

私も負けん気が強いので、土曜日の深夜に出

産し徹夜で土日を過ごし、手術をする金曜日の

午後まで休暇を使いませんでした。

ただお祖母ちゃんに見てもらっていたものの

娘達には寂しい思いをさせました・・・

 

頑張っていつもより早めに退社し面会に通い

ましたが、帰宅ラッシュで混みあいどうして

も病院に到着するのが面会時間終了間際にな

りました。

面会者が誰もいなくなったNICUにやっとたど

り着くと、いつも面会終了の午後8時直前でした。

 

それでも夜勤の看護師さんがそっとナース

ステーションから招き入れてくれ息子に面会

させてくれました。

本来なら規則違反なのでしょう。

申し訳ない気持ちと、ありがたい気持ちが

重なり合ったことを覚えています。

 

これまでブログに載せてきた写真も

看護師さん達がポラロイドカメラで撮影し

お母さんに見せてあげて下さいと云って

頂いたものです。

(看護師さん達が撮影してくれたポラロイド写真

これ以外にも束ができるほど頂きました。)

 

小児専門病院で古い建物を直しなおしという

感じは、他の大学病院のような立派なもので

はありませんでしたが、心の通う温かい雰囲

気の病院にお世話になれたことは、今でも

良かったと思っています。

 

出産からこの日まで一週間

ホッとして疲れがでたのでしょう

缶ビールを1本飲んで

コロッと眠ってしまった私の様子が

日記に綴られていました。

どうでもいいことですがあせる