官兵衛立志伝:覇道の章 №46 徳川家の事情 ~2~ | ♪ DEAR MY LIFE ♪

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瀬名さま・・・築山殿は、元はといえば
今はなき今川義元殿の養女、
おそらく大殿に恨みがあったのであろう。


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>その恨みから、息子をそそのかし、
>武田と通じるなどという謀略を
>考えついたのかもしれません・・・。(備大将)




それにしても、むごいことを・・・。
妻と息子を失った徳川殿が、
当家を恨むことはあるまいな・・・。




>その心配はございますまい・・・。
>むしろ当家との同盟を重視した結果、
>ご両人に死を賜ったものかと。(備大将)




ううむ・・・。



1577年1月、
徳川家康は織田信長の要求を受け、
正室・築山殿こと瀬名姫と、
嫡男・徳川信康に死を命じた・・・。




信康、まだわずかに十代、
あまりにも若すぎる死であった・・・。


▼覇道の章 №47 伊賀攻め ~1~