官兵衛立志伝:日輪の章 №5 尼子家滅亡 | ♪ DEAR MY LIFE ♪

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いまだ小寺の殿は、赤松家の重臣という立場に甘んじている。
近い将来、赤松に謀叛していただくとして、
おなじ赤松に属する別所氏を味方にできないものか?と、
まずは、親しくなっておくことにした。



今日は、剣術稽古に汗を流した別所就治(べっしょ・なりはる)殿が、
わしに弟子入りしたいと、申し出てくれたぞ。
(この就治は、別所長治の祖父にあたる人物)



1561年9月、あの尼子家が滅亡するという知らせが届く。



山陰に領土を持っていた尼子氏。
毛利の力とは、それほど強いものなのか・・・。




赤松家は、尼子家が滅んだ為に、
毛利家とは領土が接することになってしまった。

この段階で毛利に攻め込まれると、謀叛どころではないな。
それに、浦上家の重臣=宇喜多氏の動向も気になるところだ。

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