中国、李氏チョソンで行われた死刑の一種で、中国では「最も残酷な刑罰」とされました。

 

執行方法は、死刑囚を柱に縛り付け、死刑執行人が小刀で死刑囚を体を少しずつ切り取っていく死刑の方法です。

 

発祥は唐帝国滅亡後の五代十国時代とされています。五代十国時代の乱世に終止符を打った宋帝国では残酷ゆえ実施されませんでしたが、明帝国の時代に入って復活し、さらに清帝国の時代になって、国家転覆を成そうとした謀反人に対して行われました。

 

清の時代でも余りに残酷であり、中止も検討されたようです。

 

「国家転覆」といえば清代では、「太平天国の乱」の首謀者はこのやり方で処刑されています。

 

凌遅刑で処刑された一番若い人物は、「太平天国の乱」の首謀者である洪秀全の息子である洪天貴福であり、当時15歳でした。千回以上切り刻まれて亡くなっています。また幹部の一人である石達開は3000回以上、体を切り刻まれたが、一言も叫び声やうめき声を出さなかったようです。

 

20世紀に入り、首都北京に外国人が訪れるようになり、この凌遅刑の様子を写真にして本国に送ったりして、欧米列強から非難され、1905年に凌遅刑は廃止されました。