アマ、J・S・バッハの「リュート組曲」を聴いています。彼はリュート用の作品を、わずか4曲の組曲しか残しておらず、またその中には自作を編曲した作品もあります。彼はおそらくリュートの演奏はできなかったと思われます。これは幼い頃のバッハの周辺には(つまりバッハ一族には)リュートの演奏に長けた人物がいなかったせいだと思われます。

 

当時のドレスデン宮廷には、シルウィウス・レオポルド・ウァイスという優れたリュー奏者がいましたが、バッハは彼と親交を結んでいました。2人でセッションをしているうちに、自分でもリュートの音が出したいと思ったのでしょう。得意の鍵盤楽器でリュートの音が出せないものかと楽器制作者に相談しました。そして完成した楽器は、内部にリュートの弦を使用し、鍵盤を押すと弦が鳴るような仕組みの楽器が完成しました。この楽器は「ラウテンべルク」と呼ばれました。ドイツ語で「ラウテ」とはリュートを指します。

 

バッハは自身がリュートを演奏できないにもかかわらず、リュートの音色が好きだったようです。おそらく1人の時など、ラウテンベルクを演奏していたのでしょう。

 

なおウァイスは生年は1687年、没年は1750年であり、バッハの生没年に非常に近いのです。バッハは1685年に生まれ、1750年に亡くなっています。ですからほとんどバッハの同時代人と呼んでもいいといえます。