犠牲者6434人家屋全半壊(焼)約47万世帯という大震災、阪神・淡路大震災(1995年)から29年の17日、被災地の各地で追悼の催しが行われ、住民は能登半島地震にも思いをはせながら犠牲者の冥福を祈りました。

 

大地震が起きた午前5時46分。神戸市東灘区の中之町公園では、「慰霊碑」前に住民が集まり、黙とうし、手を合わせました。

 

同公園で毎年、追悼の準備をしている小山耕一さん(74)は「当時、娘の家庭教師で、親しかった神戸大学生が亡くなりました。『大学院に進みたい』と言っていた。これからというときに・・・」と振り返りました。

 

妻の小山るみさん(71)は「震災で私たちは絶望しました。能登の方がたも同じだと思う。災害は非情です。でもいつか平穏な日々に戻れると思う。いまは体に気をつけてほしい」と語りました。7

 

阪神・淡路大震災救援復興兵庫県民会議は同日、神戸市で大震災29年メモリアル集会を開き、能登半島地震で避難所の環境整備の課題としたアピールを採択しました。

 

 

2024年1月18日付「しんぶん赤旗」より

 

 

私の1995年1月17日については先日ブロクにアップしています。香川県でも大きく揺れましたから覚えています。

 

能登半島地震とよく比較されている熊本地震では、災害関連死者数が地震による直接の死者の何倍もあったようです。多くが「人災」のように思います。

 

能登半島地震は元日に起きた地震として、長く語り継がれると思います。2024年はオリンピックが開催されますから記憶しやすいですし。