あっという間に6月。


私、


本当に油断してました。。。




4年生になって随分と楽しそうに学校へ通っていた坊っちゃん。


学校でもまずまず参加できる授業も増えて、お友達にも恵まれていた。

このまま少しずつ学校に行く時間が増えていきそうかも?と先生と話していたのに。


6月に入ってからパッタリ学校に行かなくなってしまった。

いや、

行けなくなってしまった。


完全に日本語拒否。


全くの日本語0(ゼロ)


家族と話すときに極力日本語を使う程度で、今までは母である私には日本語が主だったのに、今では半分くらいに英語になってしまった。




原因は色々あると思う。


当初の行き渋りは、


「運動会のピストル」


このピストルが出てくるまでは運動会の練習も楽しく参加していたし、なんなら学校自体、少し慣れてきたと話していたのに。

運動会の全体練習でピストルが出てきて相当驚いたらしい。

アメリカの小学校で銃関連のロックダウン経験済みでね。ちょっとトラウマなんだろうね。

(結局運動会は欠席)



ここから彼の学校での話が少しずつ聞こえてきだした。


・自分に向けられるていわけではないけど、暴力的な言葉。

・アメリカでいわゆるFから始まる言ってはいけない言葉。

・中指を立てる行為。


どれも遊びの一種だと分かっているけれど、

日常的にあるこれらの景色に耐えられないと。



難しい問題だよね。

これって日本じゃ、まぁやんちゃな子ども達がかっこいいとか思って使ってだけ(まぁ、その使ってるだけも本当は良くないんだけどね)

アメリカだってMiddle Schoolあたりになれば教室でも聞こえてきそうなんだけど、小学校止まりの坊っちゃんには衝撃的だったらしい。

一度だけ坊っちゃんに向かって中指を立ててきた子がいたそうで、世界が凍りついたと。

その子はきっと一緒に遊びたくて面白半分でした事なんだろうなと思ったらしいんだけど、これにはかなり堪えたみたい。。。


学校のクラスでは色々な子が坊っちゃんが戻ってくるのを待ってくれているらしい。

本当に有難いことだよね。




もう一つ学校へ行けなくなった原因として、私が仕事を始めたこと。


これは完全に誤算というか‥‥


私の再就職(短時間勤務)は散々家族で話し合ったし、坊っちゃんとも相当話し合った。

その頃の坊っちゃんは精神的にも安定していたし、むしろ働きに行ってという感じだったのに‥‥

ただ、いざ始まってみると坊っちゃんの気持ちは違ったようで、学校へ行く事が出来なくなり、しかも今まで落ち着いていた喘息の発作まで再発し、結局、私は超短期間で仕事を辞めてしまった。

(もともと我が家の状況を理解してくれての採用だったから、辞める時も今回の状況を理解してもらい本当に有り難いやら申し訳ないやら‥‥)



大好きだったスイミングも行けなくなり、器楽の部活にも行けなくなってしまった。



唯一、週1で通っている名古屋市が運営しているフリースクールがあって、そこには通えている。


ここは全てが日本語だけど、日本語で唯一安心出来る場所らしい。



ここまで日本語を拒否されるのは日本へ帰ってきて初めてだなぁ。。。





あ、


でも、


安心してください。


日本語さえ使わなければ元気です!


なんなら、今アメリカは夏休みに入っちゃってね。

毎週末オンラインでアメリカのお友達とゲラゲラ笑いあってます。


まぁ、これも学校に行けない原因の一つなんだろうけど、きっと今の坊っちゃんにはアメリカのお友達が唯一の安らぎになっているから、これは大切に残してあげたい。