俺は、なぜ京大に行きたいのだろう。
なぜこんな思いをしてまで続けているのだろう。
頑張らなくてもいいのではないか。
この問いは、この一年、何度も頭に浮かんだ。
塾にも行かず、一人で参考書と向き合い続けた。
孤独は思考を過剰に働かせる。
生活に余白が生まれると、脳はそれを勝手に埋めようとする。そして議題は決まって、今の自分への批判だ。
「本当に京大なのか」
「その努力に意味はあるのか」
俺はそれを否定しようとする。
だが、十分な材料を持っていないことに気づく。
例えば、命を救われた経験から医者を志す人。
彼らには明確な“Origin”がある。
努力の根源が物語として成立している。
それに比べて俺はどうだ。
京大を選んだ理由は、
「かっこいいから」「難しいから」「惹かれたから」
その程度のものだったのではないか。
強烈な原体験も、揺るがない使命感もない。
それでも俺は、京都以外を考えられなくなっている。
清水の舞台から飛び降りる覚悟で公言し、
時間を投じ、サンクコストを積み上げ、
退路を自ら断ってきた。
引けないのは意志なのか、
それとも恐怖なのか。
ここでやめたら、
この一年が無意味になる気がする。友達に合わせる顔がなくなる。だが続けたところで、自分を納得させられる保証もない。
模試のE判定は何十回も突きつけられた。
今になって、それが効いてきている。
じわじわと、自尊心を削る。
最近は勉強もできていない。
早稲田の過去問は1年しか解けなかった。京都の過去問もロクに解き進めていない。
机に向かっても集中できない。
大して活動していないというのに、疲労と眠気だけが溜まり、日が落ちる。眠る。
毎朝、悪夢で目が覚める。
夕方には焦燥が口の中に鉛の味を残す。
俺は今、諦めている。心底諦めてしまっている。
それでもなお、
「京大を諦めたくない」という感情が残っている。
だがそれが、本当に俺の意志なのかが分からない。
俺のOriginは何だ。
京大を目指した理由ではない。
俺が俺として立っている、その根拠は何だ。
それを持たないまま、
この先を戦い抜くのか。勝ったとして、それに意味はあるのか。俺が渇望したものなのか。自律的な努力ではなく、他律的なもので勝ち取った結果じゃないのか。俺は今、その答えを探している。