友達の友達は、皆友達だ。世界に広げよう友達の輪っ!!

 

タモリです。

 

今回は、同居人のバリスタと、そのいかがわしくない女友達と飯を食いに行った話です。

「いかがわしくない女友達」という呼び方に特に深い意味はありません。

 

ある日の昼、バリスタから急に飯に誘われました。

どこへ行くのかと思ったら、ベネズエラ料理を食べに行くらしい。

僕はベネズエラ料理というものをほとんど知らなかったので、そのままついていくことにしました。

 

友達の友達についていった結果、友達の輪は確かに世界へ広がっています。

少なくともリマまでは広がりました。

 

 

  ミラフローレスでベネズエラ料理

店はミラフローレスの端っこのほう。

 

店名は知りません。

 

写真はある。

料理の名前も覚えている。

ビールの銘柄も覚えている。

店名だけがない。

 

ブログ書きとしては失格ですが、まあいいでしょう。

 

ただ、バリスタといかがわしくない女友達はこの店には何度も来ているらしく、二人曰くかなり本場の味に近いらしい。

どうやら店自体もベネズエラ人がやっているとのことでした。

少なくともベネズエラ人二人がわざわざ繰り返し来ているので、僕としてはその情報を信用することにします。

 

Lumix S1 + Nikkor H.C 5cm F2 (50mm, f4, iso100, ss1/80)

故郷の味を楽しみにするバリスタ

 

  カチャパを食う

店の前でバリスタのいかがわしくない女友達と合流して席につきました。

 

僕とバリスタが頼んだのは、カチャパにqueso de mano、それにcochino fritoが付いたもの。

いかがわしくない女友達は豚肉抜きです。

 

Lumix S1 + Nikkor H.C 5cm F2 (50mm, f4, iso100, ss1/50)

注文したcachapa con queso de manoとcochino frito

 

カチャパについては、事前に「トウモロコシの粉で作ったパンケーキ」みたいな説明を聞いていました。

なので、パンケーキのような均一な生地を想像していたんですが、実際に食べてみると普通にトウモロコシそのものが入っています。

 

かなり入っています。

思っていたより原形を保っていました。

 

生地は甘め。

中に挟まっているqueso de manoは、それ自体にはあまり強い味がありません。

 

なので最初は、

 

「甘い生地に、味の薄いチーズだな」

 

くらいだったんですが、横についてきたクリームチーズにライムを絞って合わせてみたら、これがかなりうまかった。

 

酸味と塩気が入ると一気に味が締まります。

 

そして横に鎮座しているcochino frito。

日本食でかなり雑に例えるなら、「角煮を煮ないで揚げた」みたいな感じでした。

 

しっかりしょっぱい。

脂もある。

 

完全に酒のつまみです。

 

  Polar Pilsenを飲む

せっかくなので、酒もベネズエラで。

 

Polar Pilsen。

 

Lumix S1 + Nikkor H.C 5cm F2 (50mm, f2.8, iso100, ss1/80)

実際に出てきたPolar Pilsen

 

味はかなり軽め。

 

薄いといえば薄いんですが、喉越しはよく、昼飯と一緒に飲むぶんには普通に悪くありません。

 

なんとなく、昔インドで飲んだKingfisherを思い出しました。

暑いところで、冷やして、飯と一緒に流し込むタイプのビール(ぬるかったら飲めたもんじゃないね)。

 

cochino fritoがしょっぱいので、むしろこのくらい軽いほうがちょうどいい。

 

料理とビールを合わせて、記憶では40ソル前後だったと思います。

ここはかなり曖昧です。

 

店名も値段も覚えていない。

味だけは覚えている。

食事の記憶なんて、だいたいそんなものです。

 

 

  いかがわしくない女友達、妙に日本に詳しい

飯を食いながら話していると、いかがわしくない女友達が妙に日本のことを知っています。

 

僕が何かいうたびに、相槌が「Hai!」と帰ってくる。

最初はあまりにも自然で流していましたが、よく考えたら日本語の「はい」ではないか。

 

日本についての話もなぜか普通に通じる。

実家は東京の西の方で〜とか言ってると、「Suginami? Setagaya?」などと帰ってくる(やはり南米でも23区外は東京ではないらしい)。

 

なんでそんなに詳しいんだ、と聞いてみたところ、お父様が元駐日ベネズエラ大使で、幼少期は日本に住んでいたらしい。

 

なるほど。

 

急に話のスケールがでかくなりました。

 

さらに、当時の天皇陛下(今は上皇陛下か)とご両親が写っている写真まで見せてもらいました。

 

さっきまでカチャパにライムを絞っていたはずなんですが。

地球の裏側、リマのベネズエラ料理屋で、なぜか皇室の写真を眺めています。

 

海外にいると、たまにこういう脈絡のないイベントが発生します(ねぇよ)。

 

 

  万歳三唱

そこで、いかがわしくない女友達から聞かれました。

 

「天皇陛下の写真を見たら、日本人はどうするの?」

 

僕は答えました。

 

「万歳三唱」

 

すると二人が、

「バンザーイ」

「バンザーイ」

と思い思いに万歳を始めました。

 

なんか違う。

 

せっかくなので、僕が見本を見せることにしました。

 

「てんのぉーーーうへいかぁーーーー!!!」

「ばんざぁぁぁい!」

 

すると二人もそれに続いて、

「バンザーイ!バンザーイ!バンザーイ!」

 

リマ。

ベネズエラ人二人。

日本人一人。

机の上にはカチャパとPolar Pilsen。

そして三人で天皇陛下万歳。

 

僕は昼飯を食いに来ただけだったはずなんですが、どうしてこうなった。

 

  ケネディ公園で猫を鑑賞

愛国心冷めやらぬうちに飯を食い終わってしまったので、食後の運動も兼ねてケネディ公園まで歩くことになりました。

 

Lumix S1 + Nikkor H.C 5cm F2 (50mm, f4, iso100, ss1/320)

道中の景色

 

特に何か目的があったわけではありません。

適当に歩いて、適当に話す。

 

何を話していたのかはあまり覚えていません。

たぶんくだらない話しかしていません。

 

そんなこんなで到着したケネディ公園には猫がいました。

 

Lumix S1 + Nikkor H.C 5cm F2 (50mm, f2.8, iso1600, ss1/100)

猫その1

 

まず一匹。

 

かなり堂々としている。

人間が近くにいても、特に気にしていない感じです。

 

少し歩くと、また猫。

 

Lumix S1 + Nikkor H.C 5cm F2 (50mm, f2, iso1600, ss1/100)

猫その2

 

さらに歩くと、今度は二匹。

 

Lumix S1 + Nikkor H.C 5cm F2 (50mm, f2, iso3200, ss1/80)

猫その3、4

 

故篠山紀信先生はいい写真の撮り方として、「ハッと感じたら、グッと寄って、バシバシ撮る」とおっしゃいました。


ということで僕も猫にグッと寄ってみた。

 

ただ、先生は「ロクでもないものにハッと感じてしまったら、ろくでもない写真しか撮れないじゃない」ともおっしゃったらしい。

 

この日は猫でした。

 

たぶん大丈夫です。

 

Lumix S1 + Nikkor H.C 5cm F2 (50mm, f2, iso3200, ss1/10)

猫その5

 

ご覧の通り、ケネディ公園、とにかく猫が多い。

特に何か事件が起きるわけでもなく、猫を見て、どうでもいい話をして、そのまま解散しました。

 

  まとめ

 

昼飯を食いに出ただけのはずなのに、ベネズエラ料理を食べ、ベネズエラのビールを飲み、元駐日大使の話を聞き、三人で万歳をして、最後は猫を見て帰る。

一日の出来事としては、だいぶ散らかっています。

 

でもまあ、友達の友達はみな友達だ。

世界に広げよう友達の輪っ!!(輪っ!)

 

少なくとも今回は、ベネズエラまで広がりました。

 

では、また。

警察署の前なら安全? 関係ないね。

どうも、港署の大下です。

 

ペルーでAirPodsを盗まれました。

場所は、リマのモンテリコにあるComisaría Monterricoという警察署の前です。

警察署の前で盗まれることなんてあるのかと思いますが、ありました。

 

 

  インターポールへ行ったものの、何もできなかった矢先

その日は、VISA関連書類の手続きをするために国際刑事警察機構、いわゆるインターポールのリマ支局を訪れていました。

僕一人ではなく、現地の友人に同行してもらっていました。

 

インターポールのリマ支局は、なぜか現地の警察署とつながっており、入口が分かれているだけです。

外から見ると、インターポールと警察署が並んでいるとかいう、ものすごく安全そうな場所でした。

 

そんな警察署群の前の通りは、それほど人通りが多い場所ではありません。普段から大勢が行き交うような道ではなく、周囲を歩いている人はまばらでした。

 

ただし、インターポールと警察署の両方へ手続きに来た人たちがいるため、建物の前だけは少し様子が違いました。

歩道には順番を待っているらしい人が並び、その周辺を行ったり来たりして謎の勧誘をしている人もいました。

誰もいない道ではない。しかし、街なかのように常に人が流れているわけでもない。

インターポールへ用事がある人たちが、警察署前の歩道に固まっているような状況でした。

 

僕もその中を歩いていました。

AirPodsは尻ポケットに入れていました。

 

盗まれた瞬間には、まったく気づきませんでした。

誰が取ったのかも、どのタイミングでポケットから抜かれたのかも分かりません。

 

Lumix S1 + Nikkor H.C 5cm F2 (50mm, f8, iso400, ss1/800)

【写真:AirPodsを盗まれたComisaría Monterrico前の道】

 

肝心のインターポールでは、予約がないと何もできないと言われました。

こちらとしてはVISA関連の書類を進めるために来たのですが、予約がなければ手続きの入口にも立てません。

 

仕方がないので、その日は退散することになりました。

 

  電話に出ようとして、AirPodsがないことに気づく

インターポールを離れたあと、付き合ってもらった友人とコーヒーでも飲もうということになり、コンビニへ入りました。

そこで僕のところに電話がかかってきました。

電話に出るため、AirPodsをつけようとしました。

尻ポケットへ手を伸ばします。

 

ありません。

 

別のポケットや荷物の中に入れた可能性も考えて確認しましたが、AirPodsは見つかりませんでした。

警察署前を歩いていた時、尻ポケットから気づかないうちに抜かれていたようです。

インターポールでは予約がないため何もできず、退散した先のコンビニでAirPodsまでなくなっていることに気づく。

 

VISA関連書類の手続きは進んでいません。

AirPodsもありません。

 

なかなか何も残らない一日です。

 

  2週間後、ようやく被害届を出しに行く

実際に警察署へ行ったのは、AirPodsを盗まれてから約2週間後でした。

この時は一人です。

 

警察署でAirPodsを盗まれたことを伝えると、事情聴取室のような部屋へ通されました。

部屋には、先に事情聴取を受けているらしい人たちがいました。

 

うちの大学の前で強盗に遭ったという人たちです。

強盗に抵抗してボコボコにされたらしく、全身を包帯でぐるぐる巻きにされ、松葉杖をついていました。

それが一人ではなく、何人かまとまって同じ部屋にいます。

 

尻ポケットからAirPodsを盗まれた僕と、強盗に抵抗して全身包帯姿になった人たち。

同じ被害者でも、見た目の重さがまるで違います。

 

担当者からは、AirPodsをいつ、どこで、どのように盗まれたのかを聞かれました。

 

いつ盗まれたのか。

どこで盗まれたのか。

何を盗まれたのか。

その時、僕は何をしていたのか。

 

しかし、担当者はスペイン語しか話せません。

 

僕も、盗難当時の状況をすべてスペイン語で説明できるわけではありませんでした(当然!)。

そこで助けてくれたのが、同じ部屋にいた全身包帯姿の人たちです。

自分たちも強盗被害の事情を説明するために来ているのに、痛みを堪えながら、僕と担当者のやり取りを手伝ってくれました。

 

彼らの助けを借りながら、警察署前の歩道を歩いていたこと、AirPodsを尻ポケットに入れていたこと、その後に入ったコンビニで電話に出ようとして初めてなくなっていることに気づいたことを伝えました。

 

事情聴取を担当した警官は、最初のうちは少し面倒そうでした。

 

盗まれた瞬間を見ていない。

誰に盗まれたのかも分からない。

こちらから話せることも、それほど多くありません。

 

ところが、本人確認のためにパスポートを見せた瞬間、担当者の態度が変わりました。

それまでの面倒そうな様子がなくなり、人が変わったように親切な対応を始めました。

なぜパスポートを見たことで態度が変わったのかは分かりません。

ただ、見せる前と見せた後で、対応が明らかに違っていたことは覚えています。

 

事情を伝え終えると、担当者から、今から約2時間後にはペルー全国どこでも被害届を受け取れるようになる、と説明されました。

その時に、身分証を持って改めて来てくれとのことでした。

 

この日は被害届のコピーを受け取らず、警察署を出ました。

その後もVISAや大学や生活のことでバタバタしているうちに、月日は流れていきました。

 

  8月半ば、被害届のコピーを取りに行く

それからしばらく経った8月半ば。

 

以前出した被害届のコピーを受け取るため、警察署を再び訪れました。

最初に被害届を出した時、担当者からは「約2時間後にはペルー全国どこでも受け取れるようになる」と説明されていました。

 

あれからかなり時間は経っています。

 

さすがにもう受け取れるだろうと思い、警察署で「以前出した被害届のコピーを取りに来た」と伝えました。

 

すると、資料係のような仕事をしているおじちゃんのところへ通されました。

おじちゃんに自分の情報を伝え、過去の記録を調べてもらいます。

 

ところが、なかなか見つかりません。

おじちゃんは資料を確認しながら、1時間ほど唸っていました。

名前や身分証の情報を使い、何度も探し直してくれました。

 

しかし、見つかりません。

 

僕がAirPodsを盗まれたと届け出た記録は、残っていないというのです。

約2時間後には全国どこでも受け取れるはずだった被害届が、数か月後にはどこにもありません。

 

AirPodsに続いて、被害届まで消えました。

 

僕がぼんやり待っていると、おじちゃんは「今日は一度帰って、明日また来い」と言いました。

 

仕方がないので、その日は退散しました。

 

Lumix S1 + Nikkor H.C 5cm F2 (50mm, f5.6, iso100, ss1/200)

【写真:被害届のコピーを受け取りに訪れたComisaría Monterricoの外観】

 

  翌日、おじちゃんはニコニコしていた

次の日、僕は再び警察署へ行きました。

 

前日の資料係のおじちゃんは、僕を見るとニコニコしながら握手で出迎えてくれました。

昨日あれだけ探していたので、今度こそ記録が見つかったのかと思いました。

 

しかし、見つかってはいませんでした。

 

おじちゃんは笑顔のまま、「記録がないから、改めて被害届を出そう」と言いました。

 

そういうことになりました。

 

数か月前に一度説明した盗難について、もう一度最初から事情聴取を受けることになります。

通されたのは、最初に被害届を出した時と同じ、事情聴取室のような部屋でした。

 

ただし、今度は部屋の様子が違います。

前回の怪我人たちとは正反対の、重装備の機動隊のような警官たちが屯していました。

正式に何という部隊だったのかは分かりません。

普通の警官だったのか、機動隊だったのか、それとも別の任務で集まっていた警官だったのかも確認していません。

 

ただ、見た目はなかなか物々しい。

そんな警官たちが、AirPodsを盗まれた話をしている僕の方を、時々チラチラと見ていました。

 

僕は何かの容疑者ではありません。

数か月前、警察署前の歩道で尻ポケットからAirPodsを盗まれただけの人です。

 

  事情聴取、喫煙所へ移動

事情聴取では、盗難が起きた時のことを、もう一度説明しました。

 

警察署前の歩道を歩いていたこと。

AirPodsを尻ポケットに入れていたこと。

INTERPOLでは予約がないため手続きができず、その後に入ったコンビニで電話に出ようとして、AirPodsがなくなっていることに気づいたこと。

 

話せる事実は、それくらいです。

 

事情聴取の途中で、僕はタバコを吸いたいと伝えました(よくやるよ)。

すると、「じゃあ喫煙所で続きをやろう」ということになりました。

 

事情聴取の場所が、部屋から喫煙所へ移ります。

 

そこまでは分かります。

 

しかし、部屋に屯していた重装備の警官たちまで、なぜか一緒についてきました。

たぶん暇だったんだと思います。

 

こうして僕は、機動隊のような警官たちに囲まれながら、喫煙所でAirPods盗難の説明を続けることになりました。

事情聴取を続けているうちに、警官のお兄ちゃんたちとも少しずつ話をするようになりました。

 

そのうち、皆が拳銃を見せてくれました。

個人によって装備はさまざまで、拳銃もSIGやHKらしきものが混ざっていました(USPの9mmモデルらしきものを初めて見て、大興奮)。

 

僕もお礼とばかりに日本から持ってきたタバコとライターを見せ、吸ってみる?と聞いてみました。

特にライターへの反応は上々で、みんなで大盛り上がり。向こうからもタバコをもらいました。

 

数か月前の盗難について説明しながら、警官の拳銃を見せてもらい、お互いのタバコを交換する。

被害届のコピーを受け取りに来た時には、まったく想定していなかった流れです。

 

警察署の中は撮影禁止だったため、この時の写真はありません。

機動隊のような警官たちが喫煙所までついてきたことも、拳銃を見せてもらったことも、タバコを交換したことも、写真には残っていません。

 

  今度こそ被害届を受け取る

喫煙所での事情聴取を終え、改めて作った被害届はすぐに受理されました。

今度は、その被害届のコピーもその場で受け取りました(2時間ルールはなんだったんだろう)。

 

さらに、喫煙所で仲良くなった警官たちと、連絡先を交換しました。

何かあったらいつでも連絡するよう言われ、固い握手を交わして、警察署を後にしました。

 

  まとめ

ちゅーわけで、どうにか被害届を獲得したわけですが、次の関門は保険金の請求です。

どうやら今すぐ急ぐ必要はなさそうなので、再浮上した滞在許可の延長申請問題が一段落してから、取りかかろうと思っています。

 

とにかく、この国のVISAはややこしい。

 

この件についても、後日まとめる予定ですので、その際は何卒よろしくお願いいたします。

 

では、また。

大変ご無沙汰しております。

うーちゃんです。

しばらく日本へ一時帰国しておりましたが、大学の再開に合わせ、再びペルーへ戻ってまいりました。(一時帰国の時の出来事も後々記事にしたいと思っております)

今回も例によって、空席があれば乗れるし、無ければ乗れないという大変スリリングな航空券を利用しております。

前回ペルーへ向かった際は、JFKで13時間ほど取り残された挙句、喫煙所にいたおっさんからKevinという新しい名前を与えられました。

さすがに二回目ともなれば、もう少しスマートに南米まで移動できるだろう。

そんなふうに考えていた時期が、私にもありました。

結論から申し上げると、

・成田空港まで行ったのに羽田空港へ引き返す
・夜まで待った挙句、飛行機に乗れず帰宅
・翌日、改めて羽田空港へ向かう
・パリで一泊する
・喫煙所で「山川」という新しい名前を与えられる
・リマの税関でタバコ6カートンを自主申告する

という、前回に負けず劣らず意味の分からない旅になりました。

どうやら私は、海外の空港にある喫煙所へ入るたびに名前が変わるようです。

今回は、一時帰国を終えた私が、日本からパリを経由し、どうにかリマの自宅へ帰り着くまでのお話です。

 

 

 

  スカイライナーの車内で旅程が崩壊する

 

さて。

当初予定していた旅程は、次のようなものでした。

 

成田
↓
マドリード
↓
リマ

 

文字にすると実にシンプルです。

前回はアメリカで取り残されたので、今回はヨーロッパを経由して、華麗にペルーへ戻ろうというわけです。

マドリードまでも、そこからリマまでの便も空席がある。

これなら問題ないだろうということで、私は大荷物を抱え、スカイライナーに乗って成田空港へ向かっていました。

ところが、電車の中で何気なく空席状況を確認してみると、マドリードからリマへ向かう便の空席が消滅していました。

少し減ったとか、残り一席になったとか、そういう生易しい話ではありません。

 

消滅です。

 

つい先ほどまで存在していた私の座席候補は、スカイライナーが成田へ向かっているわずかな時間のうちに、跡形もなく消え去っていました。

 

もちろん、成田からマドリードまで行くこと自体はできます。

しかし、マドリードに到着したところで、その先のリマ行きに乗れなければ意味がありません。

スペインの空港で途方に暮れながら、

「なぜ私は、空席がないと分かっている便を目指してここまで来たのだろう」

と人生について考える羽目になります。

 

前回はニューヨークで空港難民になりましたが、今度はマドリードで空港難民になる可能性が出てきました。

さすがに同じような失敗を、別の大陸で繰り返す必要はありません。

 

そこで急遽、別のルートを探すことにしました。

すると、羽田空港を21時に出発するエールフランスのパリ行きが見つかりました。

さらに、パリからリマへ向かう便はガラガラです。

 

これなら行けるかもしれない。

 

問題は、私は今、羽田空港とは反対に成田空港へ向かうスカイライナーの中にいるということです。

こうして、まだ日本を出発してすらいないのに、私の旅程は見事に崩壊しました。\(^o^)/

 

 

  成田に着いたのに羽田へ戻る

 

とはいえ、スカイライナーは私の都合で引き返してはくれません。

空席が消えようが旅程が崩壊しようが、電車は極めて順調に成田空港へ向かっていました。

私もとりあえず成田まで行くしかありません。

 

こうして、マドリード行きに乗らないことがほぼ確定した状態で、当初の目的地だった成田空港へ到着しました。

通常であれば、ここからチェックインをして、保安検査を通過して、飛行機に乗るところです。

 

しかし、今回の私は空港へ到着するなり、羽田空港行きのバス乗り場を探し始めました。

成田空港まで来ておきながら、一度もカウンターへ向かうことなく、今度は羽田空港へ移動することになったわけです。

我ながら何をしているのか、よく分かりません。

 

もっとも、羽田を21時に出発するエールフランスのパリ行きには、まだ乗れる可能性がありました。

パリまでたどり着ければ、その先のリマ行きはガラガラです。

成田からマドリードへ飛んで途方に暮れるより、羽田からパリへ向かったほうが圧倒的に勝算があります。

そう自分に言い聞かせ、大荷物を抱えたまま空港バスへ乗り込みました。

 

つい先ほどまでスカイライナーで東へ進んでいたはずなのに、今度はバスで西へ戻っていきます。

一日かけて日本からペルーへ移動する予定だったのですが、まずは成田と羽田の間を移動するところから始まりました。

ちなみに、この時点ではまだ日本を一ミリも出ていません。

 

 

  21時まで粘って、普通に敗北する

 

途中の道路渋滞を挟み、三時間かけて羽田空港へ到着し、エールフランスのカウンターへ向かいました(電車乗った方が早かったのでは?)。

事前情報でエールフランスのカウンターの場所を把握していたため、そこに向かうもあったのは、大韓航空の文字でした。

スタッフの方に尋ねてみると、エールフランスのカウンターは18時に開くとのこと、現在時刻は10時です。

 

まあしゃーなしということで、私は空港のベンチに座り、荷物を抱えたまま待つことにしました。

することもないので、そのまま居眠りをしたり、蒲田に餃子を食べにいったりしました。

 

でかい荷物だったこともあり、荷物預かりサービスに荷物を預かってもらうも、なんと1000円もしました。

手痛い出費です。

 

ただね、日本って安全で最高!

ベンチで寝ていた時間は結局5時間ほどになりましたが、何も取られることもなく、誘拐されることもなく、まして強⚪︎されることもありませんでした(僕がこれまで住んでいた国とは大違い!!)。

ペルーへ戻る前に、日本の治安のありがたさを全身で味わうことができました。

 

18時になりまして、カウンターに向かい、事情を説明して確認してもらったものの、結果はスタンバイ。

乗れるかどうかは、最後まで待ってみなければ分からないとのことでした。

まあ、そういう航空券を使っているので仕方ありません。

 

21時にカウンターに戻ってこいとのことでしたので、またもベンチにて入眠、一瞬で時間は過ぎ、目を覚ましてカウンターへ向かうと、先ほどまでは見かけなかった数人の人間が、その周辺をうろうろしておりました。

明らかに普通の利用客とは様子が違います。

カウンターから微妙に距離を取りつつ、しきりにスマートフォンを確認する姿。

そして、漏れ聞こえてくる空席や発券に関する会話。

間違いありません。

奴らもまた、空席に己の運命を委ねるZED Travellerです。

 

つまり、ライバルです。

 

同じ特殊な航空券を利用している者同士、ここは親睦を深め、互いに情報交換をするのが人として正しい姿なのかもしれません。

しかし、そんなことはしません。

 

ライバルなので。

 

残されているかもしれない僅かな座席を奪い合う関係ですから、仲良くお喋りをしている場合ではありません。

向こうも、私がZED Travellerであることには気づいている様子でした。

 

私が相手を見る。

相手もこちらを見る。

何度も目が合う。

しかし、誰も絶対に話しかけません。

 

互いに、

「お前もこの便を狙っているのか」

「そういうお前こそ何者だ」

という視線だけを交換しながら、無言でカウンターの様子をうかがっておりました。

もはや航空券のキャンセル待ちというより、水場を巡って牽制し合う野生動物のような状況です。

 

そして迎えた21時。

私とライバルたちは、一斉にカウンターの前へ集まりました。

誰か一人くらいは乗れるのか。

それとも全員乗れるのか。

あるいは、私だけが選ばれてしまうのか。

 

わずかな期待を胸に結果を待っていると、スタッフの方から大変申し訳なさそうに、

「すみませんけど、今回は無理です!」

と告げられました。

 

無理でした。

しかも私だけではありません。

先ほどまで無言で牽制し合っていたライバルたちも、仲良く全員敗北です。

 

勝者、ゼロ。

 

あれほど互いを警戒していたというのに、最後は全員が同じような顔をしながら、泣く泣く荷物を引いて帰宅することになりました。

つい数分前までは、残された座席を奪い合う敵同士でした。

しかし、乗れないと分かった瞬間から、我々は同じ戦場で敗北した仲間です。

 

もっとも、最後まで会話はしませんでした。

 

ライバルなので。

 

こうして朝から大荷物を抱えて成田空港まで行き、そこから三時間かけて羽田空港へ移動し、合計で五時間ほどベンチで眠った結果、私は一度も飛行機に乗ることなく、普通に家へ帰ることになりました。

 

当日の移動経路は、以下のとおりです。

 

自宅
↓
成田空港
↓
羽田空港
↓
自宅

 

ペルーへ帰る予定だった人間が、でかい荷物を持って東京近郊を一周しただけです。

旅行初日にして、見事な完全敗北となりました。

ただ、翌日の日本航空パリ行きを確認してみると、こちらにはまだ空席がありました。

どうやら私は、翌日もまた羽田空港へ行かなければならないようです。

 

 

  翌日、日航でパリへ

翌朝5時。

私は大荷物を我が家の愛車、ぶりぶりアバルトへ積み込み、再び羽田空港へ向けて出発しました。

 

昨日は成田空港と羽田空港を巡った挙句、一度も飛行機へ乗ることなく帰宅しています。

そして、その数時間後には再び羽田空港を目指しているわけです。

もはや昨日の移動が何だったのか、よく分かりません。

 

今回狙うのは、日本航空のパリ行きです。

パリからリマへ向かう便との乗り継ぎ時間が合わないため、無事に乗れた場合はパリで一泊することになります。

ただし、まだ飛行機に乗れると決まったわけではありません。

ホテルを先に予約して、再び羽田空港から家へ帰ることになれば、さすがに笑えません。

そこで、ホテルはチケットが出てから予約することにしました。

 

日本航空の国際線チェックインが始まるのは朝6時です。

私はその20分前、5時40分ごろに羽田空港へ到着しました。

さすがにこの時間なら、かなり前のほうへ並べるだろう。

そう思いながら出発ロビーへ向かうと、

既に長蛇の列ができていました。

 

早すぎるだろ。

 

皆様、一体何時から羽田空港にいるのでしょうか。

そして、その列の前から二番目に、どこかで見覚えのある人物が立っていました。

昨日のライバルです。

昨日、エールフランスのカウンター前で何度も目を合わせながら、最後まで一言も会話をしなかったZED Travellerが、既に前から二番目の場所を確保していました。

昨日、全員で仲良く敗北したはずなのに。

どうやら向こうも、私と同じ日本航空のパリ行きへ狙いを変更したようです。

 

それにしても、

こいつら何時から並んでたんだ?

私は朝5時に家を出ています。

それでも、ライバルは既に前から二番目です。

 

もしかすると、私がぶりぶりアバルトで羽田空港へ向かっているころ、彼らは既に出発ロビーで待機していたのかもしれません。

昨日の敗北を経て、スタンバイに対する覚悟が一段階上がっています。

 

なお、昨日と同様、挨拶はしませんでした。

 

ライバルなので。

 

午前6時になり、日本航空のカウンターが開きました。

長い列が少しずつ前へ進み、私の順番が近づいてきます。

昨日のことがありますから、空席があると表示されていても安心はできません。

また夜まで待たされた挙句、

「すみませんけど、今回は無理です!」

と言われる可能性もあります。

 

前日に一度完全敗北しているため、もはや何が起きても不思議ではありません。

祈るような気持ちで手続きを進めましたが、今回はどうにか乗ることができました。

 

ついに勝利です。

 

昨日は朝から晩まで東京近郊を一周しただけでしたが、今日は本当に日本を出られます。

チケットが出たことを確認した私は、その場でニコニコしながらパリのHoliday Innを予約しました。

 

こうして私は、二日がかりでようやくパリ行きの飛行機へ乗り込むことになりました。

 

あとは席に座り、パリまで運んでもらうだけです。

 

ようやく穏やかな移動が始まりました。

私の隣には一人のおじさんが座っていたのですが、離陸後、何度か席を立っておりました。

その後、何やら乗務員の方と話した結果、別の席へ移動することになったようです。

 

詳しい事情は分かりません。

ただ、一つだけ確かなことがあります。

 

私の隣が空席になりました。

 

ついに来ました。

前日の完全敗北を埋め合わせる、まさかのボーナスタイムです。

 

おかげさまで窮屈な思いをすることもなく、そのまま快適にパリまで移動することができました。

 

成田と羽田を巡った挙句、飛行機に乗れず帰宅した昨日とは大違いです。

二日がかりではありますが、私はついに日本を脱出し、無事にパリへ到着しました。

 

しかし、ここからリマへ向かう飛行機が出発するのは翌日です。

つまり私は、ペルーへ帰る前にパリで一泊しなければなりません。

 

  パリの喫煙所で山川になる

 

飛行機を降りた私は、まず入国審査へ向かいました。

 

事前に周囲の人からは、

「パリの入国審査は二時間くらいかかる」

と聞かされていました。

ただでさえ日本を出るまでに二日かかっています。

ここからさらに二時間待たされるとなれば、ホテルへ到着するころには完全に夜です。

 

それなりの覚悟を決めて入国審査場へ向かったのですが、特に混雑している様子はありませんでした。

結果、待ち時間を含めても30分ほどで通過。

二時間とは何だったのでしょうか。

まあ、早く終わる分には何の問題もありません。

 

無事にフランスへ入国した私は、いつもどおり喫煙所へ向かいました。

すると、そこでは数人のアフリカ系の男性たちが、音楽に合わせて楽しそうに踊っていました。

私もちょうど、新調したイヤホンでサザンオールスターズを聴いていたところです。

 

せっかくなので、私もイヤホンから流れるサザンのリズムに合わせて、少し身体を揺らしてみました。

すると、すぐに彼らの一人から話しかけられました。

 

「それ、中国の音楽か?」

 

違います。

日本の音楽です。

 

私がそう答えると、彼らの反応が一変しました。

「日本の音楽なのか!」

「俺たちにも聴かせてくれ!」

どうやら急に興味を持ってくれたようです。

 

そこでイヤホンを外し、今度はスマートフォンのスピーカーからサザンオールスターズを流してみました。

 

すると、喫煙所は大盛り上がり。

先ほどまで彼らだけで踊っていた空間に、サザンオールスターズと私が加わりました。

言葉も出身国も違いますが、同じ音楽に合わせて身体を揺らせば問題ありません。

 

私は無事、仲間として認められたようです。

 

そのまま互いの国について話していると、一人が突然、自分を指さしながら言いました。

 

「俺の名前は崎川だ」

 

崎川。

どう見ても崎川ではありません。

なぜパリの空港で出会った彼が突然、日本人のような名前を名乗り始めたのかは分かりません。

さらに彼は、私の名前を尋ねることもなく、こちらを指さして言いました。

 

「お前は山川だ」

 

山川。

私の名前は山川ではありません。

しかし、既に彼の中では決定事項のようでした。

こうして私は、パリへ到着してから一時間も経たないうちに、見知らぬ人物から「山川」と命名されました。

 

崎川と山川。

どちらも本名ではありません。

それでも我々は互いの国や音楽について語り合い、少しだけ楽しい時間を過ごしました。

 

本当はもう少し話していたかったのですが、こちらは二日がかりで日本を出発し、十数時間のフライトを終えた直後です。

さすがに疲れました。

 

最後に"Salut"と別れを告げ、私はホテルへ向かうことにしました。

こうして私は、日本を出たときとは異なる名前になって、パリのHoliday Innへ向かいました。

山川として(それじゃチェックインできないでしょ)。

 

 

  パリでも暴対法は施行されている

 

パリのHoliday Innに到着した私は、まずチェックインの手続きを始めました。

予約サイト上では、宿泊料金とは別に、デポジットとして400ユーロを預けるように書かれていました。

 

400ユーロ。

 

何も壊さずにチェックアウトすれば返金されるのでしょうが、一泊するだけのホテルに預ける金額としては、なかなかのものです。

本当に支払う必要があるのか、フロントのお兄ちゃんに確認してみました。

 

すると、彼は特に悩む様子もなく、

 

「I trust people.」

 

と一蹴。

デポジットの支払いは、あっさり免除されました。

 

予約サイトに書かれていた400ユーロとは、一体何だったのでしょうか。

よく分かりませんが、私は信頼に値する人間だと判断されたようです。

ありがたく、その信頼を受け取ることにしました。

 

そのままチェックインのためにパスポートを渡すと、私が日本人だと気づいたお兄ちゃんは、突然こんなことを聞いてきました。

 

「ヤクザの知り合いはいるのか?」

 

いません。

日本人だからといって、全員にヤクザの知り合いがいるわけではありません。

どうやら、パリでも暴対法は施行されているようです。

 

当然ながら「いない」と答えると、お兄ちゃんは露骨に残念そうな顔をしていました。

一体、どのような回答を期待していたのでしょうか。

 

その後、話題は日本車へ移りました。

彼はスープラが好きなようです。

そこで私がGT-Rのほうが好きだと伝えると、今度は少し不満そうな顔をしていました。

 

ヤクザの知り合いはいない。

スープラよりGT-Rが好き。

 

どうやら私は、彼が期待していた日本人像から、ことごとく外れてしまったようです。

それでも最後には、カタコトの日本語で、

 

「ようこそ」

 

と言って歓迎してくれました。

 

初対面の客にヤクザの知り合いがいるか尋ね、好きな日本車が違えば不満そうな顔をする。

なかなか愉快なお兄ちゃんです。

 

そんなやり取りを終えた私は部屋へ入り、翌日のリマ行きに備えて眠ることにしました。

しかし、長時間のフライトと時差の影響なのか、まったく眠ることができません。

 

仕方がないので、深夜にフロント付近のフリードリンクコーナーを覗いてみることにしました。

すると、そこには早朝の乗り継ぎに備えて起きてきたのであろう人々が、長蛇の列を作ってコーヒーを求めていました。

皆様、眠そうな顔でコーヒーマシンを操作しています。

 

何を飲んでいるのだろうと思ってよく見てみると、全員がダブルエスプレッソのボタンを何度も押していました。

一杯だけではありません。

紙コップがいっぱいになるまで、ひたすらダブルエスプレッソを注いでいます。

どうやらこのホテルでは、紙コップ一杯分のエスプレッソを飲むのが風習のようです。

 

郷に入っては郷に従え。

 

私もダブルエスプレッソのボタンを連打し、紙コップいっぱいのエスプレッソを作ってみました。

眠れないからフロントへ降りてきた人間が、深夜に大量のエスプレッソを飲んでいます。

 

今夜眠ることは、完全に諦めました。

 

そのまま置いてあったクロワッサンを手に取り、外のテラス席へ移動しました。

パリの夜は涼しく、長時間のフライトを終えた身体には、その空気がとても心地よく感じられました。

静かなテラス席で、熱いエスプレッソを飲みながらクロワッサンをいただきます。

 

前日は、成田空港と羽田空港を巡った挙句、一度も飛行機に乗れず帰宅。

翌朝には再び羽田空港へ向かい、どうにか日本を脱出して、ようやくパリまでたどり着きました。

 

その果てに待っていたのが、涼しい夜のテラスでいただくクロワッサンと、紙コップいっぱいのエスプレッソです。

 

決して大げさな出来事ではありません。

それでも、その時間が本当に心地よくて、私はとても幸せな気持ちになりました。

 

 

  本場の"Bon voyage"

結局ほとんど眠れないまま、リマへ向かう時間になりました。

 

私はHoliday Innを後にし、再びシャルル・ド・ゴール空港へ向かいます。

ここから乗るのは、Air Franceのリマ行きです。

 

空港で手続きを進めていると、対応してくれたAir Franceのお姉さんたちと、ちょっとした会話が始まりました。

何がきっかけだったのか、細かいところまでは覚えていません。

ただ、話しているうちに思いのほか会話が盛り上がり、最後には少し仲良くなっていました。

 

日本を出るまでに二日かかり、パリの喫煙所では山川と命名され、ホテルではヤクザの知り合いがいるか尋ねられています。

旅というものは、なぜか行く先々で知らない人と仲良くなります。

 

手続きが終わったので、搭乗券を確認してみると、さらに思いがけないことが起きました。

 

アップグレードされていました。

 

理由は分かりません。

 

お姉さんたちとの会話が盛り上がったことと、アップグレードに何らかの関係があったのかも分かりません。

分かっているのは、リマまでの長いフライトを、当初よりも良い席で過ごせることになったという事実だけです。

 

一昨日は、一日中空港を巡った挙句、飛行機に乗ることすらできませんでした。

しかし、この日はパリまで無事にたどり着き、クロワッサンとエスプレッソをいただき、最後にはまさかのアップグレードまで付いてきました。

初日の完全敗北を補って余りある展開です。

 

私が驚きながらも喜んでいると、Air Franceのお姉さんたちは笑顔で送り出してくれました。

 

「Bon voyage!」

 

本場の「ボン・ボヤージュ」です。

日本でも何度か耳にしたことのある言葉ですが、パリの空港で、Air Franceのお姉さんたちから言われると重みが違います。

フランス人に「Bon voyage」と送り出され、Air Franceに乗って南米へ向かう。

これ以上ないほど正しい使われ方です。

 

私も笑顔で別れを告げ、リマ行きの飛行機へ向かいました。

クロワッサンとエスプレッソをいただき、まさかのアップグレードを受け、本場の「Bon voyage」に送り出される。

こうして、わずか一泊のフランス滞在は終了しました。

 

次の目的地は、リマ。

二日がかりで始まった今回の旅も、ようやく最後の区間です。

 

  帰ってきちまったな

 

パリを出発してから、およそ13時間。

機内では特に面白いことも起きないまま、無料で出されるシャンパンに舌鼓を打ちながら、飛行機はようやくリマへ到着しました。

 

飛行機を降り、久しぶりにペルーの空気を吸った瞬間、最初に抱いた感想は、

 

「クサい」

 

でした。

懐かしい景色でも、温暖な気候でもありません。

なんかクサい。

 

この何とも説明しにくい空気まで含めて、間違いなくリマです。

 

入国審査では、滞在可能日数について何か言われることもなく、特に問題なく通過。

あとは荷物を受け取り、空港から出るだけです。

 

しかし、出口へ向かっていると、私の荷物が検査に引っ掛かりました。

今回、私が日本から持ち込んでいたタバコは、合計6カートン。

さすがに堂々と歩きすぎたでしょうか。

 

慌てて税関へ駆け込み、持ち込んでいるタバコの内訳を説明しました。

6カートンのうち、5カートンは電子タバコです。

税関の係員に確認してもらったところ、今回は問題ないとの判断を受けました。

少なくとも、その場で怒られたり、税金を請求されることはありませんでした。

 

ならば、もう隠す必要はありません。

私は6カートンのタバコを携え、今度こそ堂々と空港を後にしました。

 

空港の外へ出て、久しぶりにリマの空気を吸います。

 

帰ってきちまったな。

 

それが率直な感想でした。

 

本音を言えば、日本を離れて再びペルーで生活することには、それなりの憂鬱もありました。

しかし、実際に戻ってきてみると、思っていたほど悪い気分ではありません。

むしろ、見慣れた街並みや空気に、少し安心している自分がいました。

 

クサいけど。

 

家へ到着すると、とりあえず同居人の「反政府ゲリラ」たちが僕の帰りを待っていてくれました。

数週間留守にしていただけですが、日本での出来事や帰り道の話をしていると、本当にここへ戻ってきたのだと実感します。

せっかくなので、日本から持ってきたタバコをお土産として渡してみました。

 

すると、これが驚くほど好評でした。

少し喜んでもらえれば十分だと思っていたのですが、本人たちは腰を抜かすのではないかという勢いで喜んでいます。

 

税関へ駆け込んでまで確認し、6カートンを無事に運び込んだ甲斐がありました。

 

日本を出るまでに二日。

パリで一泊し、そこからさらに13時間。

ようやくたどり着いた先で待っていたのは、リマ独特の臭いと、反政府ゲリラたちと、日本のタバコを巡る大騒ぎでした。

 

帰ってきちまったな。

でも、意外と悪くありません。

 

 

  おわりに

 

前回の記事を更新してから、随分と日が空いてしまいました。

 

現在、私は無事にリマへ戻り、再びペルーでの生活を始めています。

一方で、12月まで滞在するために必要なビザの延長手続きは、Migracionesのウェブサイトが正常に動かず、途中で止まっています。

正確な原因は分かりませんが、移民局へ問い合わせながら対応を進めているところです。

 

ひとまず、今回の記事はここまで。

残り数か月となったペルー生活についても、これから少しずつ書いていきたいと思います。

 

今後とも、よろしくお願いいたします。

 

P.S. 今回もバタバタで全く写真が撮れなかったため、ほとんど画像がございません。パリでお世話になった喫煙所の写真を一枚だけ撮りましたんで、これでご容赦ください。やっぱパリは灰皿一つとってもなんかオシャレですね、知らんけど。

 

Lumix S1 + Nikkor H.C 5cm F2 (50mm, f2.8, iso100, ss1/15)

 

では、また。

お世話になっております。

うーちゃんです。

最近ご無沙汰でしたので、まずは軽く少し出かけた日のことでも書きたいと思います。

 

先日、サンクリストバルの丘という場所まで行ってきました。
重過ぎて持ち出さないカメラを珍しく持ち出して、山の上まで登ったわけですが、きれいな写真とかそういったものはあまり見当たりませんでした。

 

今回は、そのときに撮った写真を何枚か載せながら、留学先の町の様子を少し振り返ってみようと思います。

 

 

  そもそもサンクリストバルの丘ってなによ

今回行ってきたのは、ペルーはリマのサンクリストバルの丘 (Cerro San Cristóbal)です。

チリのサンティアゴにも全く同名の丘があるらしいですが、そちらは大きな都市公園の中にある、ケーブルカーやフニクラーが整った”緑の丘"的な洒落コキデートスポットらしいです。

今回は残念ながらそんな浮かれた話ではありません。

 

今回行ってきたサンクリストバルの丘、ざっくり言うと、前回の記事で訪れたHistorical Centreを北側から見下ろす場所にあります。

ただの展望台というより、リマの歴史地区の景観の一部であるそうで、UNESCOの文書によると、先史以前には聖なる場所として扱われていたこと、現在でも巡礼ルートの一部として扱われていること等、なかなかに歴史のある場所のようです。

 

そんな、人気観光地になっていてもおかしくなさそうなポテンシャルを秘めている場所なのですが、のんきな展望スポットのような評判はあまり聞きません。
現地の人間に言わせると、そんなところに行くのは強盗に会いに行くようなものらしく、紛争地帯に自ら向かう頭のおかしいやつを見るような扱いを受けてしまいました。もちろん、公的資料で「この丘は犯罪率が高い」と数字で示されているわけではありませんが、旅行者向けの案内を見ていると、ツアーで行くのが一般的だとされていて、少なくとも、ふらっと覗きに行ける場所ではないようです。

ただ、ChatGPTの勧めで唐突に候補に上がってきたこの場所ですが、危ないからといって行かないのはカメラマンとしてあまりにも弱い。

漢に二言はないといわんばかりに、気付けばUberの配車ボタンを押していました。

 

  行ってみよう

で、実際に向かってみると、出発早々あまり景気のいい話ではありませんでした。
やってきたUberに乗り込むと、運転手から「本当に行くのか」「危ないからやめたほうがいい」と止められてしまったのです。こちらとしては、まあ評判が穏やかではないらしいことは事前に知っていたのですが、移動を担当している当の運転手にそこまで言われると、さすがに少しひるみます。

ただ、ここで引き返すのもなんだか癪です。(二度目)
せっかく重たいカメラまで持ち出しているのに、運転手に止められた程度で終わるのは、いかにも締まりが悪い。そんなわけで、運転手にチップを約束し、若干の不安を抱えたまま、そのまま向かうことにしました。

 

そろそろ着くぞと運ちゃんに言われてみてみると、見えてきたのはこんな景色でした。

 

Fujifilm GFX 100ii + GF 32-64mm f4 R LM WR (64mm, f/8, 1/1250 sec, iso800)

 

ネットの情報で薄々気付いてはいましたが、のどかな展望台というより、街の向こうにいきなり大きな岩山が立っている、という感じでした。
しかも上には十字架が見えるし、斜面には家がびっしり張りついている。観光地に向かっているはずなのに、いまいち遠足みたいな気分になりきれないのは、たぶんそのせいです。少なくとも、この時点で少しだけ身構えました。

 

Fujifilm GFX 100ii + GF 32-64mm f4 R LM WR (32mm, f/4, 1/320 sec, iso100)

 

Fujifilm GFX 100ii + GF 32-64mm f4 R LM WR (64mm, f/8, 1/500 sec, iso400)

 

さらに近づいていくと、今度は住宅街の密度が目に入ってきます。
ただ山があるだけではなく、その山のふもとから斜面にかけて、人が普通に暮らしている。車内から外を眺めているだけでも、ここが単なる観光スポットではなく、ちゃんと人の生活の上にある場所なのだということが分かります。景色を見に行く前から、すでに少し情報量が多く戸惑っておりました。

 

 

  リマを上から見てみよう

 

Fujifilm GFX 100ii + GF 32-64mm f4 R LM WR (62mm, f/16, 1/250 sec, iso100)

 

上まで着いてみると、まずあったのは、下から見えていたあの十字架でした。
青空の下に白い十字架が立っている、というだけなら、それなりに分かりやすい観光名所の風景です。ただ、実際にはその周囲にある舗装や柵や乾いた地面まで含めて、あまり“整った観光地”という感じではありません。ランドマークとしては十分にそれらしいのですが、同時に、ちゃんとこの街の延長線上にある場所なのだなという感覚のほうが強く残りました。

 

Fujifilm GFX 100ii + GF 32-64mm f4 R LM WR (64mm, f/16, 1/250 sec, iso100)

 

上から街を見下ろしてみると、リマは思っていた以上に広かった。
ただ広いというより、乾いた地面の上に建物がぎっしり詰まっている感じです。遠くまで続く街並みを見ていると、海辺の街というより、まず先に巨大な都市なのだなということがよく分かります。ガイドブック的な意味での“絶景”というより、もっと物量で押してくる景色でした。

 

Fujifilm GFX 100ii + GF 32-64mm f4 R LM WR (64mm, f/16, 1/160 sec, iso100)

 

ただ、丘の上で見えるものは、きれいな俯瞰ばかりではありません。
少し場所をずらすと、鉄塔が立っていて、その足元には人が座っている。遠くに都市が広がっている一方で、手前には岩と土と生活の痕跡がそのまま残っていて、展望台というより、街の上にある現実の場所にたまたま立っている感じが強くなります。サンクリストバルの丘が観光名所であることはたぶん間違っていないのでしょうが、それと同時に、ちゃんと人の生活の延長線上にある場所でもありました。

 

Fujifilm GFX 100ii + GF 32-64mm f4 R LM WR (62mm, f/16, 1/250 sec, iso100)

 

花の咲いた木の向こうに街が見える場所もあって、そこだけ切り取ると、少しだけ穏やかな景色にも見えます。
ただ、青い手すりや足元の土、遠くの霞んだ街並みまで一緒に入ってくるので、結局はあまり観光ポスターみたいにはなりません。むしろ、その中途半端な雑さのほうが、リマらしい気もします。綺麗に整ってはいないけれど、そのぶん、実際にその場に立っていた感じはちゃんと残る。

 

Fujifilm GFX 100ii + GF 32-64mm f4 R LM WR (62mm, f/16, 1/250 sec, iso100)

 

さらに別の方向を見ると、街の荒さはもう少し露骨に見えてきます。
高架や川や住宅地が重なっていて、手前の斜面は焼けたように黒く、足元にはゴミも落ちている。上から見れば壮大、で終わる話ではなく、ちゃんと土地の厳しさや暮らしの荒さまで見えてしまうのが、この丘の面白いところなのだと思います。景色がよい、というより、街の輪郭がそのまま見えてしまう場所でした。

 

 

  おわりに

 

正直なところ、行く前はもう少し分かりやすい観光地を想像していました。
上まで行けば十字架があって、街が見えて、はい絶景、で終わるのだろうと思っていたのですが、実際にはそんなに素直な場所ではありませんでした。

 

上から見たリマはたしかに広かったですし、景色として見応えもありました。
ただ、それ以上に記憶に残ったのは、向かう途中の妙な緊張感だったり、斜面にびっしり張りついた家々だったり、鉄塔の足元に人が座っていたり、足元の土やゴミまで普通に見えてしまうあの感じのほうです。
綺麗な展望スポットというより、街の輪郭がそのまま剥き出しになっている場所でした。

あと、重たいカメラをわざわざ持って行ったわけですが、やはり重いものは重い。
写真を撮っている時間より、持ち運んで「やっぱ重いな」と思っている時間のほうが長かった気もします。

 

それでも、まあ行ってよかったとは思います。
少なくとも、部屋でだらだらしているだけでは見えないタイプのリマは見られました。

 

なお、帰ってこの話を周りの現地人に報告したところ、「なんでそんなところに行ったのか」「命知らずなのか」「死にたいのか」と、二時間くらい説教されました。
どうやら、現地基準でもかなり危険な場所という認識だそうです。

二回目があるかは分かりませんが、とりあえず一回行ったので満足かなぁ。

 

ちなみにこれは家に帰ってから見た屋上からの眺めです。これでよかったじゃん!
 
Fujifilm GFX 100ii + Zeiss Otus 100mm f1.4 Apo Sonnar ZE (100mm, f/2.8, 1/2000 sec, iso100)
 
次はまたしょうもないことを書くか、在留手続きのことを書くと思います。(絶賛手続き中)
 
では、また。
 

お世話になっております。

うーちゃんです。

 

たまには写真ブログらしいことでもやろうかと思います。

先日、珍しくカメラを伴ってHistorical Centreという場所に行ってまいりまして、実際はそこらへんを少し歩いただけなのですが、思っていたよりもいろいろなものが目に入りました。

今回は、そのときに撮った拙作を何枚か載せながら、私の留学先の様子を少し振り返ってみようと思います。

 

 

 

  そもそもHistorical Centreってなによ

 

今回行ってきたのは、先ほど申し上げました通り、リマのHistorical Centreです。
日本語にするとたぶん「歴史地区」とか「旧市街」とか、そのあたりの意味になるのでしょうが、正直なところ、私も行く前はそこまでよく分かっていませんでした。

 

調べてみると、このあたりは単に古い建物が並んでいる場所というわけではなく、そもそもリマという都市そのものの中心として作られた場所らしい。

リマは 1535年にフランシスコ・ピサロによって建設され、その後はスペイン植民地支配のもとで、ペルー副王領の中心として発展していったそうです。つまり、Historical Centreというのは、 ざっくり言えば、植民地時代のリマの中心部が今もかなり残っている場所という理解で、ハズレはないのでしょう。

 

大聖堂や大統領官邸のような、いかにも「この街の偉いものはここに集まっています」という顔をした建物がこのあたりに固まっているのも、その歴史の延長線上にあるようです。地区の真ん中にあるPlaza Mayorはリマ建設の起点になった広場で、その周囲に宗教と政治の中心が並ぶ形になっているらしいので、とりあえず観光するならまずそのへんに行くらしい、という私の雑な理解も、結果的にはそんなに的外れではなかったようです。

 

しかもこのHistorical Centreは、いまではユネスコの世界遺産にも登録されています。最初の登録は1988年で、その後1991年に範囲が拡張されて現在の「Historic Centre of Lima」という形になったらしい。要するに、現地の人にとって大事な場所というだけでなく、外から見ても「これはちゃんと残しておいたほうがいい場所ですね」と認められているエリアでもあるわけです。

とはいえ、こちらとしては最初からそういう歴史を理解していたわけではありません。(以上の全てはこのブログを書くにあたって、初めて知りました汗)


実際に行ってみて最初に分かるのは、もっと単純なことです。
つまり、建物がいちいちでかくて、妙に重たくて、しかも夜に行くとかなり強そうに見える、ということです。ライトに照らされた外壁や装飾は、ただ立派というだけでなく、ちゃんと「昔からここにあります」という圧を出してくる。歴史というのは説明を読むより先に、見た目で押し切ってくることがあるのだなと思いました。

もちろん私は建築に詳しいわけでも、宗教美術に詳しいわけでもありません。
なので細かいことはよく分からないのですが、それでも「なるほど、これはたしかにHistorical Centreと呼ばれそうだな」という感想くらいは問題なく出てきます。

 

観光というのは、だいたいそのくらいの理解でも成立するので便利です。

 

  ほんで、結局何撮ってきたのよ

 

というわけで、ここからは現地で撮ってきたものを順に載せていきます。
最初はちゃんと観光地らしいものを見ていたはずなのですが、途中からだいぶ違う方向に目が行っています。

 

 

まずは、いかにもそれらしい建物を見る

 

 

Fujifilm GFX 100ii + Zeiss Otus 100mm f1.4 Apo Sonnar ZE (100mm, f/2.8, 1/15 sec, iso80)

 

まず目に入ったのは、やはりこういう、いかにも荘厳な建物でした。
夜のHistorical Centreは、昼間よりもだいぶ“それっぽく”見えます。ライトに照らされた鐘楼や外壁は輪郭がはっきりしていて、とりあえず「歴史がありそうだな」ということだけは、専門知識がなくても十分に伝わってきます。こういう分かりやすい強さがあるので、観光地というのは便利です。

 

 

Fujifilm GFX 100ii + Zeiss Otus 100mm f1.4 Apo Sonnar ZE (100mm, f/5.6, 1/40 sec, iso1600)

 

中にも少し入ってみたのですが、内部は外から見ていた以上に重たく、静かな空間でした。
天井や柱、祭壇の装飾は当然ながらしっかりしていて、夜に見るとそのぶんだけ少し厳かな感じが強まります。私は建築や宗教美術に詳しいわけではありませんが、それでも「立派なものは立派だな」という、かなり雑ではあるが正直な感想くらいは問題なく出てきました。観光というのは、だいたいこのくらいの理解でも成立するので助かります(二度目)。

とはいえ、今回印象に残ったのは、こうした建物の立派さだけではありませんでした。
むしろ通りを少し歩き始めてからのほうが、だんだん面白くなってきます。

 

 

通りの人たちがだんだん濃くなってくる

 

 

Fujifilm GFX 100ii + Zeiss Otus 100mm f1.4 Apo Sonnar ZE (100mm, f/1.4, 1/320 sec, iso1600)

 

通りの始点にある広場に出ると、まずいたのはミッキィとミニィでした。
いや、幼少期に住んでいた中国でみた亜種ミッキィ達に比べれば大変クオリティーの高いものですが、本物だったのかと言われると、そのへんはあまり自信がもてません(手の形が生々しいし......)。とにかくそういう感じの二人組が立っていました。

Historical Centreという、いかにも重たい歴史を背負っていそうな場所に、こういう分かりやすいネズミが普通にいるあたり、観光地というのは結局こういうものなのだと思います。荘厳さだけで押し切らず、ちゃんと雑味もあるのがよいところです。

 

Fujifilm GFX 100ii + GF 32-64mm f4 R LM WR (64mm, f/4, 1/80 sec, iso1600)

 

さらに歩いていると、今度はマイケル・ジャクソンみたいな人が現れます。
本当にマイケル・ジャクソンなのかと言われればもちろん違うのでしょうが、少なくともこちらに「これはマイケル・ジャクソン的な何かだな」と思わせるだけの説得力はありました。しかも、それが街の風景の中にそこまで浮かずに存在しているのが不思議です。観光地というのは、立派な建物だけ見ていれば済むものではなく、その周囲の人間の濃さまで含めて一つの景色になるのだなと思いました。

 

Fujifilm GFX 100ii + Zeiss Otus 100mm f1.4 Apo Sonnar ZE (100mm, f/2.8, 1/80 sec, iso800)

しばらく見ていたら、マイケルは狼になっていました。
かの名曲、Thrillerのオマージュなんでしょうが、なんだか弱そうですね(先程のミッキィと違って、手にまで配慮が行き届いていることには感心しました)。

歴史地区を歩いているはずなのに、視界に入ってくるものがいちいち強い。大聖堂や官邸を見に来たはずなのですが、気づけば「今日は街のキャラクターの強さを見に来たのかもしれない」という気分になっていました。

 

Fujifilm GFX 100ii + Zeiss Otus 100mm f1.4 Apo Sonnar ZE (100mm, f/1.4, 1/320 sec, iso1600)

 

マイケルとお別れしてお散歩を続けていると、今度は妙に化粧の濃い踊り子が現れます。
私の頭の中ではこのあたりの記憶は、いまだに「マイケル・ジャクソンと変な踊り子に遭遇した夜」としてかなり雑に整理されているのですが、まあ実際、それくらいの情報量はありました。観光地らしい華やかさというより、ただただ人の癖が強い。こちらが建物を見に来ていることを忘れさせるには十分です。 
 

 

脇に入ると、温度が変わる

 

 

ただ、少し脇のほうに目を向けると、今度はまた別の空気が出てきます。
観光客向けに整えられた広場や通りから少し離れるだけで、急に街の温度が変わる。そこには着ぐるみの華やかさとも、大聖堂の厳かさとも違う、もっと普通の生活の気配がありました。

 

Fujifilm GFX 100ii + Zeiss Otus 100mm f1.4 Apo Sonnar ZE (100mm, f/5.6, 1/20 sec, iso1600)

 

広場のまわりにある立派な建物や、人を引きつけるための分かりやすい賑やかさとは違って、こちらはもう少し雑然としていて、生活の気配がそのまま出ています。実際、少し外れたところでは、普通に商売をしている人がいる。Historical Centreという名前だけ聞くと、きれいに保存された歴史空間のようなものを想像しがちですが、実際にはちゃんと今も人が使っている街でした。 

 

Fujifilm GFX 100ii + Zeiss Otus 100mm f1.4 Apo Sonnar ZE (100mm, f/1.4, 1/320 sec, iso1600)

 
少し進むと、今度は裏道で休憩している踊り子の少女が目に入りました。
さっきまで表通りで見ていた派手な人たちと地続きの存在なのだと思いますが、こうして一人で座っている姿を見ると、急に街の見え方が変わります。観光地の賑やかさの裏には、こういうふうに普通に疲れて、普通に休んでいる人がいる。当たり前のことなのですが、写真にすると妙に印象に残ります。 
 
Fujifilm GFX 100ii + Zeiss Otus 100mm f1.4 Apo Sonnar ZE (100mm, f/1.4, 1/320 sec, iso1600)
 
あんまり歩いていませんが、疲れてしまったのでビールを飲みにお店に入りました。
そこにいた猫が妙に様になっており、シャッターを切ってしまいました。
歴史的な建物にも、路上パフォーマーにも、商売をしている人にも負けず、あの猫はずいぶん堂々としていました。別に何か特別なことをしているわけではなく、ただそこにいるだけなのですが、それが妙にしっくりくる。そこで見た人間がいろいろと濃すぎたせいか、最後にああいう静かなものを見ると少し安心します。
 

  おわりに

 

結局、大聖堂や大統領官邸を見に行ったはずなのに、むしろ、通りにいた妙に濃い人たちや、少し脇に入ったところで普通に商売をしている人、裏道で休んでいる踊り子の少女、最後に見かけた猫のほうが、今の私には「リマを歩いた感じ」として強く残っています。

歴史地区というと、つい立派な建物のことばかり考えてしまいますが、実際にはそこもちゃんと人が生活している街でした。
たぶんその雑多さまで含めて、Historical Centreなのだと思います。今回はその一部を、少しだけ写真に残せました。

 

あと、久しぶりにちゃんとカメラを持って歩いたのですが、やはり重いものは重い。
観光のついでに気軽に持ち出すには、なかなかの気合いが要ります。撮っている最中は楽しいのですが、持ち歩いている時間のほうが長いので、そのあたりはもう少し技術ではなく根性の問題です。

 

あと、今回は色を作るのが面倒だったので、全部白黒にしました。
夜の街の重たさや、人の濃さはむしろこっちのほうがまとまりやすかった気もするので、結果オーライということにしておきます。 

 

たまにはこういう形で、留学先の様子を写真で残していくのもよいかもしれません。
次にまたカメラを持ち出す元気があるかは分かりませんが、もしあれば、そのときはまた何か撮ってこようと思います。

 
では、また。
 

 

お世話になっております。

うーちゃんです。

 

ペルーに到着してから、気がつけばもう一か月が経ちました。
さすがにそろそろ、こちらでの生活にも慣れてきた……と言いたいところなのですが、実際のところは「慣れてきた部分もあるが、慣れたくない部分も多い」というのが正直なところです。

せっかくなので、近況報告も兼ねて、最近の生活の様子をここに残しておこうと思います。

 

 

  お家について

まず住環境ですが、残念ながらトイレはまだ直っていません。
しかも最近、新たな発見がありました。

おしっこは三日間ほど流さずに放置すると、黄色の部分と透明の部分に分離します。

まったく知りたくもない知識を、異国の地で着実に蓄えております。

留学とは、こういうものなのかもしれません。

 

さらにキッチンでは、以前いったん落ち着いたかに見えたコバエたちが、再び大挙して押し寄せてきました。
もはや「少し飛んでいる」というレベルではなく、ちゃんと生活空間に干渉してきます。

視界を横切り、料理中にまとわりつき、こちらの集中力を奪っていくその姿は、もはや小さな害虫というより、明確な妨害者です。

家というのは本来、人間が安心して休むための場所であるはずですが、今のところ私は、設備不良のトイレと再侵攻してきたコバエたちに挟まれながら、なんとか日々をやり過ごしています。

 

ただ、一つだけ素晴らしいことがあって、未だにゴキブリに遭遇していません。

先駆者の皆様の体験談によると、ペルーはゴキブリ大国らしく、生活はゴキブリに囲まれたものであると覚悟をしておりましたが、全くその姿を見ることなく冬を迎えることができそうです。

 

  大学について

大学生活のほうはというと、相変わらず、周囲との文化やノリの違いに戸惑いながら、なんとなく日々を送っています。
こちらの学生たちは総じて明るく、距離感も近く、いかにも「大学生活をちゃんと楽しんでいる人々」という雰囲気があります。対してこちらは、異国の空気にまだ十分なじみきれず、教室の片隅でぼんやりしている時間も少なくありません。

 

授業については、正直なところ、何を言っているのかよく分からない時間がそれなりにあります。
英語であっても、先生の話し方やアクセント、授業の進め方に慣れるまでがなかなか大変で、「たぶん今大事なことを言っているのだろうが、こちらにはまだうまく入ってこない」という場面が珍しくありません。

 

また、オンライン授業は毎回のように三十分ほど遅れて始まります。
最初は驚きましたが、最近では「定刻に始まらないこと」をある程度前提として待つようになってきました。慣れというのは恐ろしいものです。日本でこれが起きたらちょっとした事件になりそうですが、こちらでは比較的おだやかに時間が流れています。

 

加えて、学内Wi-Fiにもかなり振り回されています。
そもそも大学のWi-Fiにうまく繋がらず、しかもなぜかスマホからのテザリングまで安定しないため、授業中にネットが必要になった瞬間、何もできなくなることがあります。現代の大学生としてはかなり致命的で、調べものも資料の確認もできず、ただ座っているだけの時間が発生します。学費を払って“通信不能な置物”になっている瞬間は、なかなか味わい深いものがあります。

 

さすがにこれはまずいと思い、大学のサポートデスクのような場所にも行きました。
すると、担当してくれた方はどうやら英語をほとんど話せないらしく、こちらもスペイン語がほぼ分からないので、会話は開始早々かなり怪しい空気になりました。ところがなぜか、その方は私が開き直って話す日本語を完璧に理解しているような素振りを見せ、そのままWi-Fiを直してくれました。何が起きていたのか、今でもよく分かっていません。言語の壁を越えた奇跡的な相互理解だったのか、あるいは単に機械の不調が分かりやすかっただけなのかは不明ですが、とにかくその場では解決しました。

 

しかし、話はそれで終わりませんでした。
次の日になると、Wi-Fiは何事もなかったかのように再び繋がらなくなっていました。昨日の奇跡は一日限りだったようです。
おしまい。

  生活について

生活面では、まず食費が思っていたより高いです。

渡航前は、南米での生活ということで、なんとなく「食費は日本より抑えられるのではないか」と想像していたのですが、実際に暮らし始めてみるとそう単純な話でもありませんでした。

 

スーパーで材料を買って自炊をしようとすると、意外と細かく出費がかさみます。

その一方で、外で食べたり、テイクアウトを使ったりすると、内容によっては「あれ、これ自炊より安いのでは……?」と思うことすらあります。もちろん毎回そうというわけではありませんが、少なくとも私の中では、健康的な自炊生活への理想が、物価の前で少しずつ揺らいでいます。

 

さらに最近は、非常事態宣言なるものまで出ており、移動もやや慎重になっています。

結果として、以前よりタクシーを使う機会が増えました。便利ではあるのですが、当然ながらそのぶん交通費はしっかり積み上がっていきます。

一回一回は「まあこのくらいなら」と思っていても、あとから合計を見るとしっかり痛い。生活というのは、こういうじわじわした出費によって確実に家計を削ってくるのだなと実感しています。

 

これについては、具体的な話を今度書こうかと思っています。

  全体を通して

総じて言えば、ペルーでの生活は、華やかな留学生活というより、細かな不便や予想外の出来事に少しずつ対応していく日々です。
トイレは壊れ、コバエは飛び、授業は聞き取りづらく、オンライン授業は遅れ、食費と交通費はじわじわと財布に響く。冷静に書き並べると、なかなか厳しい生活を送っているようにも見えます。

 

ただ、その一方で、こういう「思っていたのと違う」を一つずつ経験していくこと自体が、留学生活の実態なのかもしれません。
少なくとも、来る前に想像していた南米生活よりはずっと地味で、ずっと泥くさく、そしてたぶん、そのぶんだけ後から思い返すと印象に残る時間になりそうです。

 

今のところはまだ、「充実した海外生活です」と胸を張って言える感じではありませんが、とりあえず私は元気です。
元気ではあるのですが、できればトイレはそろそろ直ってほしいと思っています。

 

今回も写真がないので、最近同居しているカルロスというバリスタの写真を貼り付けておきます。

仕事から帰ってくると、甲斐甲斐しくコーヒーを入れてくれる最高の男です。

 

ではまた。

 

お世話になっております。

うーちゃんです。

 

南米ペルー・リマに到着してから、気が付けば数日が経過しました。

とはいえ、この数日は特にブログに書くような大事件も起きず、かなりのんびりと過ごしておりました。

というのも、到着してすぐの数日は ホテル生活 だったからです。

ホテルというのは恐ろしいもので、一度チェックインしてしまうと人間はほとんど何もしなくなります。

しかも今回は長距離移動の直後だったので、時差ボケも相まってほぼ1日中眠い状態でした。

結果として、ここ数日は

「ホテルで寝ているだけの人」

として生活していたわけです。

ブログのネタが生まれるはずもありません。

しかしそんな怠惰な生活にも、ようやく終わりが訪れまして、ついに住む家が決まりました。

というわけで今回は、リマで家が決まるまでの顛末をご報告したいと思います。

海外生活、本当に一筋縄には行きません......

 

 

 

 

  入居できん

まず最初の問題です。

私は3月2日にリマへ到着しました。

当然ながら、到着したその日から住むつもりで家を探していたわけです。

しかし管理人のおばさまから告げられた一言がこちら。

「部屋は 3月8日まで空かない」

 

最初は何を言われているのか、少し理解に時間がかかりました。

こちらとしては当然

「到着 → そのまま入居」

という想定で動いていたわけです。

ところが現実は違いました。

どうやらまだ前の住人がいたり、部屋の準備が終わっていなかったりするらしいのです。

細かい事情はよく分かりませんが、とにかく結論は一つです。

私は6日間住めません。

\(^o^)/

 

海外生活、開幕からなかなか景気が良い。

日本でこの手の話が起きると多少揉めそうなものですが、こちらは実にあっさりしたものです。

「8日ね」

と言われて終了。

ラテンの風は、こういうところにも吹いています。

とはいえ、住めないものは仕方ありません。

結局私は、しばらく ホテル暮らし をすることになりました。

もっとも、この時点では長距離移動の疲れと時差ボケで頭が完全に死んでいたので、

「まあ……そういうこともあるか……」

くらいのテンションでした。

人間、本当に疲れていると怒る気力も湧きません。

 

 

  ラテンおばさま

ほんで迎えた 3月8日。

ついに新居へ向かう日がやってきました。

ホテル生活にもだいぶ飽きてきていたので、この日は朝から少しテンションが高めです。

「ようやく家に住める」

この一点だけで、人間はかなり元気になります。

指定された住所へ向かうと、そこにはかなり綺麗な住宅街が広がっていました。

日本の住宅街と比べると、どこか少し雑然としている感じがありますが、これまでリマで見た住宅地とは打って変わって高級感が漂っています。

建物の壁はカラフルで、ところどころ塗装が剥げていたりしますが、すれ違う車はほとんど外車でした。

電線はなぜかやたらと多く、空を見上げると軽く蜘蛛の巣みたいになっています(ここは所謂発展途上国ってかんじ)。

以前南アフリカに住んでいた友人の家を見せてもらった時に感じた感想とほとんど同じものが自分の中に浮かびました。

そんなことを考えていると、家の扉が開き、中から一人の女性が出てきました。

今回の家の管理人です。

いかにも ラテンアメリカのおばさま という感じの人で、非常に明るい。

第一声が

「Hola!」

です。

テンションが高い。

そしてものすご い勢いでスペイン語を喋り始めます。

こちらはまだスペイン語がほとんど分からないので、とりあえず

「Inglés!!!!」

と叫び、英語での会話を強制しました。

これが唯一のスペイン語の語彙です(大学に入りたての頃スペイン語の講義を取りましたが、敢え無く落としました)。

久しぶりに海外生活を始めて数日で学んだことがあります。

言いたいことを大声で言う。

これ、大事です。

おばさまはとてもフレンドリーで、身振り手振りを交えながら家の説明をしてくれました。

どうやら悪い人ではなさそうです。

むしろかなり良い人です。

ただし、

かなり雑です。

この時点ではまだ、その事実の重大さに私は気付いていませんでした。

 

 

  部屋が汚ぇ

さて、家の中を案内してもらいます。

リビング。
キッチン。
ベッドルーム。

一通り見て回って、私はあることに気付きました。

掃除が終わっていない。

最初は

「まあ、多少散らかっているだけかな」

と思ったのですが、よく見るとそうでもありません。

床には細かいゴミが残っているし、棚の上にも謎のホコリが積もっています。

そして問題のベッド。

シーツが、明らかに

きれいではない。

というか、

誰かさっきまで寝てた?

レベルです。

私はしばらくベッドを見つめながら考えました。

「これ……今日ここで寝るのか?」

 

 

  トイレが壊れている

部屋の状況に若干の不安を覚えつつも、次に私はトイレを確認することにしました。

海外生活において、トイレというのは非常に重要です。

ここがダメだと生活の質が一気に落ちます。

扉を開けると、見た目は普通のトイレです。

少し古いですが、まあ許容範囲でしょう。

私は軽い気持ちでレバーを引きました。

……

何も起きません。

もう一度引きます。

……

沈黙。

完全に無反応です。

水の流れる音も、タンクが動く音も、一切しません。

私はしばらくレバーを握ったまま固まりました。

「……あれ?」

後ろにいたおばさまも、少し不思議そうな顔をしています。

おばさまもレバーを引いてみます。

やはり

何も起きません。

どうやらこれは

壊れています。

というわけで、私の新居のトイレは

到着初日から故障していました。

 

 

  キッチンが地獄

トイレ問題に軽く精神を削られつつ、次はキッチンを確認します。

自炊ができる環境というのは、留学生にとってかなり重要です。

外食ばかりだとお金もかかりますし、健康にもあまり良くありません。

そんなわけでキッチンを見てみると、まず目に入ったのが

コバエです。

かなりいます。

しかも一匹や二匹ではありません。

普通に

群れています。

どうやらキッチン周辺が彼らの生活圏になっているようです。

シンク周辺やゴミ箱のあたりを中心に、小さな黒い点がふわふわと飛び回っています。

正直、かなりの数です。

そしてよく見ると、キッチン自体もなかなかの状態でした。

シンクは少しベタついていますし、棚の中にも謎の汚れがあります。

「これは……掃除が必要だな」

と思い、とりあえずシンクに目を向けました。

しかしここで新たな問題が発覚します。

洗剤がない。

そして

スポンジもない。

つまりどういうことかというと、

食器を洗う手段がありません。

そして食器が洗えないということは、

料理もできません。

コンロはあるのに、使えない。

これはなかなか哲学的な状況です。

キッチンとは一体……。

 

 

  シャワーも壊れている

「まあ……シャワーでも浴びて落ち着こう」

そう思ってバスルームを確認します。

長距離移動や引っ越しの後は、やはりシャワーが欲しくなるものです。

まず蛇口をひねってみます。

水は出ます。

しかし

お湯が出ません。

これはまあ、海外ではよくある話です。

問題はここからでした。

シャワーを見て気付きます。

シャワーカーテンがありません。

つまりどういうことかというと、

シャワーを使うと

床が水浸しになります。

構造的にそうなっています。

私はしばらくバスルームの入口に立ち尽くしながら考えました。

「これは……どうやって使うんだ?」

お湯は出ない。

カーテンもない。

シャワーを使えば床が水没する。

つまり現状、

まともにシャワーを使うことができません。

海外生活、なかなかの難易度です。

 

 

  しかし、回線は爆速

ここまで読んでいただいた通り、この家にはいくつか問題があります。

・トイレ壊れてる
・キッチンはコバエの楽園
・洗剤もスポンジもない
・シャワーは実質使用不可

と、なかなかの環境です。

正直なところ、この時点で私は少しだけ思いました。

「本当にここに住んで大丈夫なんだろうか……」

と。

しかしここで、思わぬ救いがありました。

Wi-Fiです。

とりあえず回線速度を測ってみることにしました。

海外の回線というのは遅いことも多いので、ここはあまり期待していませんでした。

ところが。

測定結果を見て、私は少し驚きます。

"下り500mbps"

普通に速い。

というか、普通に日本レベルです。

むしろ場合によっては、日本の家より速いかもしれません。

これはかなり大きい。

今の時代、インターネット環境というのは生活の基盤と言っても過言ではありません。

トイレが壊れていても

キッチンがコバエだらけでも

シャワーが使えなくても

回線が速いならなんとかなる。

現代人とはそういう生き物です。

この瞬間、私はこの家に対する評価を少しだけ修正しました。

 

 

  ファンタスティックたばコミュニティ

そしてもう一つ、個人的にかなり重要なポイントがあります。

この家に住んでいる人たちですが、

全員喫煙者でした。

これはかなり大きい。

海外では、喫煙にかなり厳しい場所も多いです。

建物内は完全禁煙だったり、吸える場所が極端に少なかったりすることもあります。

しかしこの家では、わりと普通に煙草を吸っています。

ベランダだったり、共有スペースだったり。

誰かが吸っていると、他の人も自然と集まってきます。

ちょっとした 喫煙所コミュニティ が形成されています。

私も試しに参加してみたのですが、

「お、吸うの?」

みたいな感じで普通に話しかけられました。

こういう環境は、個人的にはかなりありがたいです。

海外生活では、小さな安心感がとても重要になります。

 

 

  まとめ

ちゅーわけで、今回はまた私の苦労話を紹介さしてもらいました。

管理人との複数回の衝突と私個人の努力を経て、ここに挙げた問題はかなり解決されてきましたが、毎朝トイレは壊れます。

兎にも角にも今からようやく風呂に入れるということで、3日間溜まった垢汚れを擦り落として、きれいな体になりたいと思います。

ちなみに今回写真が一枚もないのは、シンプルに環境が悪すぎてお見せできないレベルだからです。

何卒、ご承知おきを。

 

何も写真を載せないのもさみしいので、最近の心の支えを置いておきます。フレッシュで美味い!!

 

では、また。

 

 

P.S. 結局お湯は出ませんでした。カメラマンからメンズコーチにジョブチェンジできそうです。


こんにちは、うーちゃんです。

 

前回は、このブログを開設した理由などをつらつらと書きました。
今回は、記念すべき(?)第一回のお話として、私がリマに到着するまでのお話をまとめておこうと思います。

 

結論から申し上げると、なかなかに波乱万丈でした。

というのも、今回のフライトでは特殊な航空券を使用しています。
これは簡単に言えば、空席があれば乗れるが、無ければ乗れないという大変スリリングなものです。

要するに、旅程はあって無いようなものです。(私の周りの方々ならよくご存知だとは思いますが、いつも通りです......)

 

今回の当初の予定はこうでした。

羽田
↓
JFK(ニューヨーク)
↓
リマ

 

文字にすると実にシンプルです。
これがこのまま進んでいれば、特に語ることもない、ただの長距離移動の記録になっていたことでしょう。

しかし残念ながら、この旅はそんなに素直には進んでくれませんでした。

 

 

  妨害されし旅路

さて、本題に入る前に、少しだけ前日談を書いておきます。

そもそも日本からペルーへ向かう方法は、大まかに言って 西回りの航路 と 東回りの航路 の二種類に分けられます。

東回りは、アメリカなどを経由して太平洋側から南米へ向かうルート。
西回りは、ヨーロッパを経由して大西洋側から南米へ入るルートです。

私は当初、この 西回りルート を選択するつもりでした。

具体的には、
マドリード経由でリマへ向かう便 です。

どうせ地球の裏側まで行くのなら、ついでにヨーロッパも見ておこうじゃないか。
いわば、ファンタスティック卒業旅行プランというやつです。

ところがここで、思わぬ横槍が入ります。

皆様も記憶に新しいかと思いますが、某国が突如としてニュータイプ能力を発揮し、中東で騒ぎが起きてしまったのです。

その結果どうなったかというと、ヨーロッパ方面のフライトが軒並み混雑し、私が狙っていたマドリード行きの便も、あっという間に満席になってしまいました。

ちなみにこの便、2日前まではガラガラだったんですよね。

このタイプの航空券を用いた旅行はアクシデントが起きると本当にロクなことになりません。

こうして、私の マドリード経由ファンタスティック卒業旅行風計画 は、見事に崩壊しました。 \(^o^)/

 

  羽田出発

ちゅーわけで、代替案として、かねてより考えていた 東回りの航路 を選択し、一路ニューヨークへ向かうことにしました。

取り急ぎ、
東京羽田国際空港 → ニューヨーク ジョン・F・ケネディ国際空港 の便を確保し、なんとか搭乗することに成功。

特殊航空券の旅は、まず飛行機に乗れるかどうかから勝負が始まります。
この時点で一つ関門を突破したと言ってよいでしょう。

羽田を出発したタイミングでは、旅は驚くほど順調でした。

 

↓出発時の羽田空港(A35kのクソデカ主翼に反射する文字が美しいですね、やはり欧州人はデザインに秀でているのでしょうか)

ちなみに、羽田空港では大学の同期が忙しい中見送りに来て下さいまして、クソ高い空港の蕎麦とビールを奢っていただきました。この場をお借りして御礼申し上げます。Oくん、本当にありがとう。プレモル美味かったよ。

 

  JFK難民爆誕
 

約13時間ほどのフライトを経て、無事ニューヨーク ジョン・F・ケネディ国際空港(JFK) に到着しました。

長時間フライト特有の、「自分が今どこの時間軸にいるのかよく分からない感覚」に包まれつつ、とりあえず入国審査を突破します。

ここまでは、特に問題なし。

むしろ拍子抜けするほど順調でした。

当初の予定では、ここJFKでリマ行きの便に乗り継ぎ、そのまま南米へ向かう手はずになっています。

つまり、

羽田 → JFK → リマ

という、実にシンプルなルートです。

 

しかし皆さんも既にお気づきかもしれませんが、今回は単なる旅行記ではありません。

これは 遭難記録 です。

さて、問題のリマ便ですが、ゲート付近に到着すると、同じように待機している激安チケットユーザーたち(ライバル)が何人かいました。
身軽な格好で、微妙に落ち着きのない感じでゲート前をうろうろしている人たち。

声をかけてみると、やはりライバルでした。

「どこまでですか?」
「リマからクスコでマチュピチュ行くんだよね」
「いいっすね、わしはリマへ留学です」

「リマで留学ってなにするの笑」

みたいな感じで、しばし雑談。

この時点では、なんとなく 戦友のような連帯感 が生まれていました。

同じ境遇、同じ不安、同じ運命共同体。

しかしこの後、その幻想はあっさり崩壊します。

搭乗が始まり、しばらくすると、
スタッフがコールアウトを始めました。

一人。
二人。
三人。

先ほどまで談笑していた ライバルの名前が次々と呼ばれていきます。

「お、来た来た」
みたいな感じで、彼らは軽く手を振りながらゲートへ向かい、機内へ吸い込まれていきました。

そして気がつくと、

私だけが残っていました。

ゲート前には、私と航空会社のスタッフだけ。

そして、しばらくしてスタッフが一言。

「Unfortunately, you cannot board the plane.」

終了です。

 

理由は単純で、満席。

特殊航空券旅行の世界では、これ以上ないほどシンプルな敗北と言えるでしょう。

この瞬間、私は ニューヨークの空港に取り残されることが確定しました。

この時点ではまだ
「まあ、別ルートを探せばなんとかなるだろう」
くらいの気持ちだったのですが。

 
↓乗れなかった飛行機のチケット(クソデカSBYの文字に精神を破壊されるなど)

この後に受託手荷物を返してもらう際にもひと悶着ありましたが、Deltaの黒人のお兄ちゃんがなんとかしてくれました。本当にありがとうございました。

 

  JFK晩飯事件

さて、こうして私は JFK空港に取り残されたわけですが、やることもないので、とりあえず空港内をうろうろします。

しかし人間というものは、どんな状況でも腹は減るものです。

気がつけば、すっかり夜になっていました。

というわけで、空港内のバーのような店に入り、軽く夕食を取ることにします。

 

注文したのは

・Budweiser
・チキンウィング

実にアメリカらしいメニューです。

まあ空港ですし、多少高いのは覚悟していました。

しかし会計の瞬間、私は一瞬思考が停止します。

40ドル。

日本円にして、ざっくり 6000円くらいです。

内容をもう一度確認します。

・ビール一本
・手羽先

以上です。

どうやら私は、ニューヨークの空港で 手羽先定食6000円 を食べてしまったようです。

恐ろしい国です、アメリカ。

 

もっとも、この時点の私は

・リマ行きの便に乗れない
・空港難民
・何時間待機か不明

という状態だったので、正直なところ 味はあまり覚えていません。

ただ一つ言えるのは、

このチキンウィングは、人生で一番高い手羽先(精神的にも) だったということです。

 

  そしてKevin誕生

さて、6000円の手羽先を食べ終えた私は、引き続き JFK空港に取り残されています。

とりあえず別ルートを探す必要があります。

いくつか航空会社のカウンターを回った結果、AVIANCA のJFK → ボゴタ → リマというルートが見つかりました。

「南米の航空会社だし、これはいけるのでは?」と思い、半ば強引にこのルートを確保。

しかしここで、南米航空会社の洗礼を受けます。

 

遅延。

 

それもまあまあ派手な遅延です。

結果として、ボゴタ到着 → 乗り継ぎ便は既に出発という未来が確定したため、このプランもあえなく キャンセル となりました。

 

↓Aviancaのチケット。これ乗れたらまじで良かったのになぁ......

 

完全に JFK難民状態\(^o^)/

やることもないので、とりあえず空港内をさらに散策。

空港という場所は不思議なもので、長時間滞在しているとだんだん現実感が薄れてきます。

世界中の人が忙しそうに移動しているのに、自分だけどこにも行けない。

この奇妙な孤独感は、空港難民になった者だけが味わえる特殊な感情と言えるでしょう。

 

そんな中、私は喫煙所を発見しました。

喫煙者にとって、喫煙所はある種の 精神的セーフポイントです。

ダクソの篝火みたいなものですね(実際行く場所も帰る場所もないから亡者みたいなもんだし)。

吸わない人には理解しがたいでしょうが、長距離移動中の一服には人を落ち着かせる効果があります。

 

さて、その喫煙所に一人の男がやってきました。

明らかに様子がおかしい。

目の焦点が合っていない。
動きもなんだかカクカクしている。

どう見ても、薬物と長年の付き合いがあるタイプの人です。

私はなるべく目を合わせないように煙草を吸っていたのですが、
案の定、彼は私に話しかけてきました。

”Hey bro”

来ました。

異国の地の喫煙所で始まる、よく分からない会話です。

彼はしばらく意味の分からない話をしたあと、突然こういいました。

"What is your name?"

"Nah......you are Kevin."

 

( ゚д゚)

どうやら彼の中で、私の名前は Kevin になったようです。

なぜなのかは分かりません。

日本人の顔を見てKevinと命名するセンス、かなり斬新です。

そして彼は満足そうに頷くと、私の肩をポンと叩き、こう言いました。

"Happy Birthday, Kevin."

突然の誕生日祝いです。

ちなみにこの日は 私の誕生日ではありません。

ただ単に、ニューヨークの空港で飛行機に乗れず途方に暮れている日本人男性です。

しかしまあ、考えてみれば悪くない話かもしれません。

 

南米へ向かう旅の途中、
ニューヨークの空港で、
薬物中毒者に新しい名前を与えられ、
ついでに誕生まで祝われる。

 

なかなか経験できることではありません。

こうして私は、JFK空港の喫煙所にて、Kevinとして新しい人生を祝福されたのでした。

なお、この時点でも私はまだ、ペルーに行ける目処はたっていません。

 

orz......

 

  Kevin、初めての課金

Kevinとして新しい人生が始まったところで、問題があります。

まだペルーに行けていません。

このままだと本当にニューヨークに住み始めることになるので、私は決断しました。

 

課金です。

 

特殊旅行券旅のはずでしたが、ここでDelta航空の航空券を自腹購入。

ルートは

JFK → マイアミ(Delta)
マイアミ → リマ(LATAM)

つまり南端まで降りて南米侵入作戦。

そしてついに私は Delta機に搭乗。

 

JFK滞在時間13時間。

その間に

・航空会社ガチャ
・6000円の手羽先
・ケビン誕生
・課金

なかなか密度の高い13時間でした。 ┐(´∀`)┌ヤレヤレ

 

↓実際のチケット。機材は739。初めて乗りましたが、案の定73NGは型番ごとに違いはありませんね。

 

  マイアミ到着

さて。

 

こうして私は 課金の力 により、なんとかJFK空港から脱出することに成功しました。

搭乗したのは Delta航空のマイアミ行き。

ここまで色々ありましたが、とにかく飛行機に乗れた。

この一点だけで精神的にはかなり回復します。

JFKでは上述の通り、大変な虚無でしたから、「普通に飛行機に乗れる」という行為そのものがありがたく感じます。

文明ってすごい。

 

3時間後。

飛行機は マイアミ国際空港 に到着しました。

ここでまず思ったこと。

天気がめちゃくちゃ良い。

ニューヨークとは明らかに空気が違います。

 

明るい。
暖かい。
そして

空が青い。

 

長時間空港に閉じ込められていた人間にとって、この天候はかなり効きます。

正直この時点で、私はかなり機嫌が良くなっていました。

人間、天気が良いとだいたいの問題はどうでもよくなります。

とりあえず外に出て一服つくことにしました。

すると空港入口の前に 喫煙所 がありました。

これはありがたい。

そしてここで、ちょっと面白い光景に気付きます。

この喫煙所、各国の国旗に囲まれている。

おそらく空港の装飾なのでしょうが、喫煙スペースの周囲に世界各国の旗が並んでいます。

つまりどういうことかというと、世界各国の人間が国旗に囲まれながら煙草を吸っている。

なんというか、国際会議感があります。

ぜひWHOではここでの議論の結果を踏まえて喫煙者対策の方策を考え直して欲しいものです。 (´ー`*)ウンウン

 
うん。

腹が......減った......

JFKでは 手羽先6000円事件 が発生しましたが、今回は慎重に店を選びます。

結果選ばれたのはバーガーキング。非常に堅実な選択です。

そしてここで、井之頭五郎こと私は小さな感動を覚えることになります。

会計、15ドル。

もちろん安くはないですが、さっき 手羽先6000円 を経験しているので、感覚が完全に壊れています。

しかも内容はかなり重めのベーコンバーガー。

つまり私はニューヨークで手羽先6000円、マイアミでバーガー2000円という、なかなか振れ幅の大きい食生活を送ることになりました。

さて、ここからは LATAM航空 に乗り換えです。

いよいよ 南米行きの飛行機。

ここまで

羽田
↓
JFK
↓
遭難
↓
マイアミ

と、かなり遠回りしてきましたが、この時点でようやくリマまでのルートが確定しました。

残すところは

マイアミ
↓
リマ

 

ここまで来れば、もう大丈夫でしょう。

......たぶん。(・×・)

 

↓マイアミでの著者。NYは-4℃でしたが、マイアミは28℃。

大変過ごしやすく、風が気持ち良い。偶に降る通り雨も素晴らしい冷房効果を齎してくれます。

 

 

  弾着、今!!!

さて。

こうして私は LATAM航空のリマ行き に搭乗しました。

フライト自体は特に問題なく進みました。

むしろここまでの旅程に比べれば、驚くほど平和です。

機内ではスペイン語がかなり聞こえてきます。

乗客の雰囲気も、明らかにラテンアメリカです。

「ああ、もう南米なんだな」

という実感が、このあたりでようやく湧いてきました。

羽田を出発してから、すでに2日近くが経っています。

JFKで13時間遭難したこともあり、体感時間はもう 丸一週間以上 です。

 

そして数時間後。

飛行機は ペルー・ホルヘ・チャベス国際空港 に着陸しました。

ついにリマ到着です。

地球の裏側です。

なんだか不思議な気分になります。

 

飛行機を降りてまず思ったこと。

暖かい。

そして

空気が少し重い。

南米特有の空気です。

空港の案内表示もスペイン語/英語の二言語表記。

周囲から聞こえてくる言語も、すべて スペイン語 です。

さっきまでアメリカにいたのに、完全に世界が変わりました。


ちなみにこの時点での私の状態は

・時差ボケ
・睡眠不足
・名前がKevin(暫定)

という、なかなか微妙なコンディションでしたが、

とりあえず言えることがあります。

 

私はペルーに到着しました。留学生活、開始です。

 

 

  あとがき

ちゅーわけで、私は無事 ペルーに到着しました。

到着してもUber運転手に詐欺られかけたり等大変でしたが、なんとか生きています。

 

普通に考えれば

「日本 → 南米」

というだけの移動のはずだったのですが、気が付けば、なかなか濃い体験をしてしまいました。

正直、まだペルーに着いたばかりなので すべてはこれから です。

この先どんなことが起こるのかは、まだ分かりません。

治安の話や、大学の話や、生活の話など、書けそうなネタは色々ありそうなので、気ままにメモしていきたいと思います。

未来の留学生の参考になるかどうかは分かりませんが、少なくとも「こんな人もいたんだな」くらいにはなるでしょう。

 

御後が宜しいようで、それでは。

 

 

Kevin(仮)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんにちは、一般男性のうーちゃんです。

 

取り急ぎ、このブログの開設意図についてメモをしておきます。

 

私は昨日(2026/3/3)ペルーにやってきた学生です。

巷には、ペルー旅行記なるブログはたくさんありますが、殊留学をまとめたものは、私の拙い検索能力では見つけることは叶いませんでした。

したがって、自らを人柱として捧げ、ペルーに来たる未来の若者たちに希望と絶望を与えるため、私はこのブログを開設しました。

 

メインとしては、写真と体験談をつらつら気ままに、自らの備忘録も兼ねて綴りたいと思っています。(学チカになんねぇかなぁ......)

何卒、よろしくお願いします。

 

Photo taken by Fujifilm GFX 100ii + Fujinon GF Lens 32-64mm 1:4 R LM WR (64mm f/4.0 ss1/500 iso80)

※取り急ぎ、何も写真がないので、私の現在の宿泊先の窓からの眺めを置いておきます(一枚3MBまでアップロードできるんですね、いい時代だなぁ......)。

 

では。