お世話になっております。

はせがわです。

 

たまには写真ブログらしいことでもやろうかと思います。

先日、珍しくカメラを伴ってHistorical Centreという場所に行ってまいりまして、実際はそこらへんを少し歩いただけなのですが、思っていたよりもいろいろなものが目に入りました。

今回は、そのときに撮った拙作を何枚か載せながら、私の留学先の様子を少し振り返ってみようと思います。

 

 

 

  そもそもHistorical Centreってなによ

 

今回行ってきたのは、先ほど申し上げました通り、リマのHistorical Centreです。
日本語にするとたぶん「歴史地区」とか「旧市街」とか、そのあたりの意味になるのでしょうが、正直なところ、私も行く前はそこまでよく分かっていませんでした。

 

調べてみると、このあたりは単に古い建物が並んでいる場所というわけではなく、そもそもリマという都市そのものの中心として作られた場所らしい。

リマは 1535年にフランシスコ・ピサロによって建設され、その後はスペイン植民地支配のもとで、ペルー副王領の中心として発展していったそうです。つまり、Historical Centreというのは、 ざっくり言えば、植民地時代のリマの中心部が今もかなり残っている場所という理解で、ハズレはないのでしょう。

 

大聖堂や大統領官邸のような、いかにも「この街の偉いものはここに集まっています」という顔をした建物がこのあたりに固まっているのも、その歴史の延長線上にあるようです。地区の真ん中にあるPlaza Mayorはリマ建設の起点になった広場で、その周囲に宗教と政治の中心が並ぶ形になっているらしいので、とりあえず観光するならまずそのへんに行くらしい、という私の雑な理解も、結果的にはそんなに的外れではなかったようです。

 

しかもこのHistorical Centreは、いまではユネスコの世界遺産にも登録されています。最初の登録は1988年で、その後1991年に範囲が拡張されて現在の「Historic Centre of Lima」という形になったらしい。要するに、現地の人にとって大事な場所というだけでなく、外から見ても「これはちゃんと残しておいたほうがいい場所ですね」と認められているエリアでもあるわけです。

とはいえ、こちらとしては最初からそういう歴史を理解していたわけではありません。(以上の全てはこのブログを書くにあたって、初めて知りました汗)


実際に行ってみて最初に分かるのは、もっと単純なことです。
つまり、建物がいちいちでかくて、妙に重たくて、しかも夜に行くとかなり強そうに見える、ということです。ライトに照らされた外壁や装飾は、ただ立派というだけでなく、ちゃんと「昔からここにあります」という圧を出してくる。歴史というのは説明を読むより先に、見た目で押し切ってくることがあるのだなと思いました。

もちろん私は建築に詳しいわけでも、宗教美術に詳しいわけでもありません。
なので細かいことはよく分からないのですが、それでも「なるほど、これはたしかにHistorical Centreと呼ばれそうだな」という感想くらいは問題なく出てきます。

 

観光というのは、だいたいそのくらいの理解でも成立するので便利です。

 

  ほんで、結局何撮ってきたのよ

 

というわけで、ここからは現地で撮ってきたものを順に載せていきます。
最初はちゃんと観光地らしいものを見ていたはずなのですが、途中からだいぶ違う方向に目が行っています。

 

 

まずは、いかにもそれらしい建物を見る

 

 

Fujifilm GFX 100ii + Zeiss Otus 100mm f1.4 Apo Sonnar ZE (100mm, f/2.8, 1/15 sec, iso80)

 

まず目に入ったのは、やはりこういう、いかにも荘厳な建物でした。
夜のHistorical Centreは、昼間よりもだいぶ“それっぽく”見えます。ライトに照らされた鐘楼や外壁は輪郭がはっきりしていて、とりあえず「歴史がありそうだな」ということだけは、専門知識がなくても十分に伝わってきます。こういう分かりやすい強さがあるので、観光地というのは便利です。

 

 

Fujifilm GFX 100ii + Zeiss Otus 100mm f1.4 Apo Sonnar ZE (100mm, f/5.6, 1/40 sec, iso1600)

 

中にも少し入ってみたのですが、内部は外から見ていた以上に重たく、静かな空間でした。
天井や柱、祭壇の装飾は当然ながらしっかりしていて、夜に見るとそのぶんだけ少し厳かな感じが強まります。私は建築や宗教美術に詳しいわけではありませんが、それでも「立派なものは立派だな」という、かなり雑ではあるが正直な感想くらいは問題なく出てきました。観光というのは、だいたいこのくらいの理解でも成立するので助かります(二度目)。

とはいえ、今回印象に残ったのは、こうした建物の立派さだけではありませんでした。
むしろ通りを少し歩き始めてからのほうが、だんだん面白くなってきます。

 

 

通りの人たちがだんだん濃くなってくる

 

 

Fujifilm GFX 100ii + Zeiss Otus 100mm f1.4 Apo Sonnar ZE (100mm, f/1.4, 1/320 sec, iso1600)

 

通りの始点にある広場に出ると、まずいたのはミッキィとミニィでした。
いや、幼少期に住んでいた中国でみた亜種ミッキィ達に比べれば大変クオリティーの高いものですが、本物だったのかと言われると、そのへんはあまり自信がもてません(手の形が生々しいし......)。とにかくそういう感じの二人組が立っていました。

Historical Centreという、いかにも重たい歴史を背負っていそうな場所に、こういう分かりやすいネズミが普通にいるあたり、観光地というのは結局こういうものなのだと思います。荘厳さだけで押し切らず、ちゃんと雑味もあるのがよいところです。

 

Fujifilm GFX 100ii + GF 32-64mm f4 R LM WR (64mm, f/4, 1/80 sec, iso1600)

 

さらに歩いていると、今度はマイケル・ジャクソンみたいな人が現れます。
本当にマイケル・ジャクソンなのかと言われればもちろん違うのでしょうが、少なくともこちらに「これはマイケル・ジャクソン的な何かだな」と思わせるだけの説得力はありました。しかも、それが街の風景の中にそこまで浮かずに存在しているのが不思議です。観光地というのは、立派な建物だけ見ていれば済むものではなく、その周囲の人間の濃さまで含めて一つの景色になるのだなと思いました。

 

Fujifilm GFX 100ii + Zeiss Otus 100mm f1.4 Apo Sonnar ZE (100mm, f/2.8, 1/80 sec, iso800)

しばらく見ていたら、マイケルは狼になっていました。
かの名曲、Thrillerのオマージュなんでしょうが、なんだか弱そうですね(先程のミッキィと違って、手にまで配慮が行き届いていることには感心しました)。

歴史地区を歩いているはずなのに、視界に入ってくるものがいちいち強い。大聖堂や官邸を見に来たはずなのですが、気づけば「今日は街のキャラクターの強さを見に来たのかもしれない」という気分になっていました。

 

Fujifilm GFX 100ii + Zeiss Otus 100mm f1.4 Apo Sonnar ZE (100mm, f/1.4, 1/320 sec, iso1600)

 

マイケルとお別れしてお散歩を続けていると、今度は妙に化粧の濃い踊り子が現れます。
私の頭の中ではこのあたりの記憶は、いまだに「マイケル・ジャクソンと変な踊り子に遭遇した夜」としてかなり雑に整理されているのですが、まあ実際、それくらいの情報量はありました。観光地らしい華やかさというより、ただただ人の癖が強い。こちらが建物を見に来ていることを忘れさせるには十分です。 
 

 

脇に入ると、温度が変わる

 

 

ただ、少し脇のほうに目を向けると、今度はまた別の空気が出てきます。
観光客向けに整えられた広場や通りから少し離れるだけで、急に街の温度が変わる。そこには着ぐるみの華やかさとも、大聖堂の厳かさとも違う、もっと普通の生活の気配がありました。

 

Fujifilm GFX 100ii + Zeiss Otus 100mm f1.4 Apo Sonnar ZE (100mm, f/5.6, 1/20 sec, iso1600)

 

広場のまわりにある立派な建物や、人を引きつけるための分かりやすい賑やかさとは違って、こちらはもう少し雑然としていて、生活の気配がそのまま出ています。実際、少し外れたところでは、普通に商売をしている人がいる。Historical Centreという名前だけ聞くと、きれいに保存された歴史空間のようなものを想像しがちですが、実際にはちゃんと今も人が使っている街でした。 

 

Fujifilm GFX 100ii + Zeiss Otus 100mm f1.4 Apo Sonnar ZE (100mm, f/1.4, 1/320 sec, iso1600)

 
少し進むと、今度は裏道で休憩している踊り子の少女が目に入りました。
さっきまで表通りで見ていた派手な人たちと地続きの存在なのだと思いますが、こうして一人で座っている姿を見ると、急に街の見え方が変わります。観光地の賑やかさの裏には、こういうふうに普通に疲れて、普通に休んでいる人がいる。当たり前のことなのですが、写真にすると妙に印象に残ります。 
 
Fujifilm GFX 100ii + Zeiss Otus 100mm f1.4 Apo Sonnar ZE (100mm, f/1.4, 1/320 sec, iso1600)
 
あんまり歩いていませんが、疲れてしまったのでビールを飲みにお店に入りました。
そこにいた猫が妙に様になっており、シャッターを切ってしまいました。
歴史的な建物にも、路上パフォーマーにも、商売をしている人にも負けず、あの猫はずいぶん堂々としていました。別に何か特別なことをしているわけではなく、ただそこにいるだけなのですが、それが妙にしっくりくる。そこで見た人間がいろいろと濃すぎたせいか、最後にああいう静かなものを見ると少し安心します。
 

  おわりに

 

結局、大聖堂や大統領官邸を見に行ったはずなのに、むしろ、通りにいた妙に濃い人たちや、少し脇に入ったところで普通に商売をしている人、裏道で休んでいる踊り子の少女、最後に見かけた猫のほうが、今の私には「リマを歩いた感じ」として強く残っています。

歴史地区というと、つい立派な建物のことばかり考えてしまいますが、実際にはそこもちゃんと人が生活している街でした。
たぶんその雑多さまで含めて、Historical Centreなのだと思います。今回はその一部を、少しだけ写真に残せました。

 

あと、久しぶりにちゃんとカメラを持って歩いたのですが、やはり重いものは重い。
観光のついでに気軽に持ち出すには、なかなかの気合いが要ります。撮っている最中は楽しいのですが、持ち歩いている時間のほうが長いので、そのあたりはもう少し技術ではなく根性の問題です。

 

あと、今回は色を作るのが面倒だったので、全部白黒にしました。
夜の街の重たさや、人の濃さはむしろこっちのほうがまとまりやすかった気もするので、結果オーライということにしておきます。 

 

たまにはこういう形で、留学先の様子を写真で残していくのもよいかもしれません。
次にまたカメラを持ち出す元気があるかは分かりませんが、もしあれば、そのときはまた何か撮ってこようと思います。

 
では、また。
 

 

お世話になっております。

はせがわです。

 

ペルーに到着してから、気がつけばもう一か月が経ちました。
さすがにそろそろ、こちらでの生活にも慣れてきた……と言いたいところなのですが、実際のところは「慣れてきた部分もあるが、慣れたくない部分も多い」というのが正直なところです。

せっかくなので、近況報告も兼ねて、最近の生活の様子をここに残しておこうと思います。

 

 

  お家について

まず住環境ですが、残念ながらトイレはまだ直っていません。
しかも最近、新たな発見がありました。

おしっこは三日間ほど流さずに放置すると、黄色の部分と透明の部分に分離します。

まったく知りたくもない知識を、異国の地で着実に蓄えております。

留学とは、こういうものなのかもしれません。

 

さらにキッチンでは、以前いったん落ち着いたかに見えたコバエたちが、再び大挙して押し寄せてきました。
もはや「少し飛んでいる」というレベルではなく、ちゃんと生活空間に干渉してきます。

視界を横切り、料理中にまとわりつき、こちらの集中力を奪っていくその姿は、もはや小さな害虫というより、明確な妨害者です。

家というのは本来、人間が安心して休むための場所であるはずですが、今のところ私は、設備不良のトイレと再侵攻してきたコバエたちに挟まれながら、なんとか日々をやり過ごしています。

 

ただ、一つだけ素晴らしいことがあって、未だにゴキブリに遭遇していません。

先駆者の皆様の体験談によると、ペルーはゴキブリ大国らしく、生活はゴキブリに囲まれたものであると覚悟をしておりましたが、全くその姿を見ることなく冬を迎えることができそうです。

 

  大学について

大学生活のほうはというと、相変わらず、周囲との文化やノリの違いに戸惑いながら、なんとなく日々を送っています。
こちらの学生たちは総じて明るく、距離感も近く、いかにも「大学生活をちゃんと楽しんでいる人々」という雰囲気があります。対してこちらは、異国の空気にまだ十分なじみきれず、教室の片隅でぼんやりしている時間も少なくありません。

 

授業については、正直なところ、何を言っているのかよく分からない時間がそれなりにあります。
英語であっても、先生の話し方やアクセント、授業の進め方に慣れるまでがなかなか大変で、「たぶん今大事なことを言っているのだろうが、こちらにはまだうまく入ってこない」という場面が珍しくありません。

 

また、オンライン授業は毎回のように三十分ほど遅れて始まります。
最初は驚きましたが、最近では「定刻に始まらないこと」をある程度前提として待つようになってきました。慣れというのは恐ろしいものです。日本でこれが起きたらちょっとした事件になりそうですが、こちらでは比較的おだやかに時間が流れています。

 

加えて、学内Wi-Fiにもかなり振り回されています。
そもそも大学のWi-Fiにうまく繋がらず、しかもなぜかスマホからのテザリングまで安定しないため、授業中にネットが必要になった瞬間、何もできなくなることがあります。現代の大学生としてはかなり致命的で、調べものも資料の確認もできず、ただ座っているだけの時間が発生します。学費を払って“通信不能な置物”になっている瞬間は、なかなか味わい深いものがあります。

 

さすがにこれはまずいと思い、大学のサポートデスクのような場所にも行きました。
すると、担当してくれた方はどうやら英語をほとんど話せないらしく、こちらもスペイン語がほぼ分からないので、会話は開始早々かなり怪しい空気になりました。ところがなぜか、その方は私が開き直って話す日本語を完璧に理解しているような素振りを見せ、そのままWi-Fiを直してくれました。何が起きていたのか、今でもよく分かっていません。言語の壁を越えた奇跡的な相互理解だったのか、あるいは単に機械の不調が分かりやすかっただけなのかは不明ですが、とにかくその場では解決しました。

 

しかし、話はそれで終わりませんでした。
次の日になると、Wi-Fiは何事もなかったかのように再び繋がらなくなっていました。昨日の奇跡は一日限りだったようです。
おしまい。

  生活について

生活面では、まず食費が思っていたより高いです。

渡航前は、南米での生活ということで、なんとなく「食費は日本より抑えられるのではないか」と想像していたのですが、実際に暮らし始めてみるとそう単純な話でもありませんでした。

 

スーパーで材料を買って自炊をしようとすると、意外と細かく出費がかさみます。

その一方で、外で食べたり、テイクアウトを使ったりすると、内容によっては「あれ、これ自炊より安いのでは……?」と思うことすらあります。もちろん毎回そうというわけではありませんが、少なくとも私の中では、健康的な自炊生活への理想が、物価の前で少しずつ揺らいでいます。

 

さらに最近は、非常事態宣言なるものまで出ており、移動もやや慎重になっています。

結果として、以前よりタクシーを使う機会が増えました。便利ではあるのですが、当然ながらそのぶん交通費はしっかり積み上がっていきます。

一回一回は「まあこのくらいなら」と思っていても、あとから合計を見るとしっかり痛い。生活というのは、こういうじわじわした出費によって確実に家計を削ってくるのだなと実感しています。

 

これについては、具体的な話を今度書こうかと思っています。

  全体を通して

総じて言えば、ペルーでの生活は、華やかな留学生活というより、細かな不便や予想外の出来事に少しずつ対応していく日々です。
トイレは壊れ、コバエは飛び、授業は聞き取りづらく、オンライン授業は遅れ、食費と交通費はじわじわと財布に響く。冷静に書き並べると、なかなか厳しい生活を送っているようにも見えます。

 

ただ、その一方で、こういう「思っていたのと違う」を一つずつ経験していくこと自体が、留学生活の実態なのかもしれません。
少なくとも、来る前に想像していた南米生活よりはずっと地味で、ずっと泥くさく、そしてたぶん、そのぶんだけ後から思い返すと印象に残る時間になりそうです。

 

今のところはまだ、「充実した海外生活です」と胸を張って言える感じではありませんが、とりあえず私は元気です。
元気ではあるのですが、できればトイレはそろそろ直ってほしいと思っています。

 

今回も写真がないので、最近同居しているカルロスというバリスタの写真を貼り付けておきます。

仕事から帰ってくると、甲斐甲斐しくコーヒーを入れてくれる最高の男です。

 

ではまた。

 

お世話になっております。

はせがわです。

 

南米ペルー・リマに到着してから、気が付けば数日が経過しました。

とはいえ、この数日は特にブログに書くような大事件も起きず、かなりのんびりと過ごしておりました。

というのも、到着してすぐの数日は ホテル生活 だったからです。

ホテルというのは恐ろしいもので、一度チェックインしてしまうと人間はほとんど何もしなくなります。

しかも今回は長距離移動の直後だったので、時差ボケも相まってほぼ1日中眠い状態でした。

結果として、ここ数日は

「ホテルで寝ているだけの人」

として生活していたわけです。

ブログのネタが生まれるはずもありません。

しかしそんな怠惰な生活にも、ようやく終わりが訪れまして、ついに住む家が決まりました。

というわけで今回は、リマで家が決まるまでの顛末をご報告したいと思います。

海外生活、本当に一筋縄には行きません......

 

 

 

 

  入居できん

まず最初の問題です。

私は3月2日にリマへ到着しました。

当然ながら、到着したその日から住むつもりで家を探していたわけです。

しかし管理人のおばさまから告げられた一言がこちら。

「部屋は 3月8日まで空かない

 

最初は何を言われているのか、少し理解に時間がかかりました。

こちらとしては当然

「到着 → そのまま入居」

という想定で動いていたわけです。

ところが現実は違いました。

どうやらまだ前の住人がいたり、部屋の準備が終わっていなかったりするらしいのです。

細かい事情はよく分かりませんが、とにかく結論は一つです。

私は6日間住めません。

\(^o^)/

 

海外生活、開幕からなかなか景気が良い。

日本でこの手の話が起きると多少揉めそうなものですが、こちらは実にあっさりしたものです。

「8日ね」

と言われて終了。

ラテンの風は、こういうところにも吹いています。

とはいえ、住めないものは仕方ありません。

結局私は、しばらく ホテル暮らし をすることになりました。

もっとも、この時点では長距離移動の疲れと時差ボケで頭が完全に死んでいたので、

「まあ……そういうこともあるか……」

くらいのテンションでした。

人間、本当に疲れていると怒る気力も湧きません。

 

 

  ラテンおばさま

ほんで迎えた 3月8日

ついに新居へ向かう日がやってきました。

ホテル生活にもだいぶ飽きてきていたので、この日は朝から少しテンションが高めです。

「ようやく家に住める」

この一点だけで、人間はかなり元気になります。

指定された住所へ向かうと、そこにはかなり綺麗な住宅街が広がっていました。

日本の住宅街と比べると、どこか少し雑然としている感じがありますが、これまでリマで見た住宅地とは打って変わって高級感が漂っています。

建物の壁はカラフルで、ところどころ塗装が剥げていたりしますが、すれ違う車はほとんど外車でした。

電線はなぜかやたらと多く、空を見上げると軽く蜘蛛の巣みたいになっています(ここは所謂発展途上国ってかんじ)。

以前南アフリカに住んでいた友人の家を見せてもらった時に感じた感想とほとんど同じものが自分の中に浮かびました。

そんなことを考えていると、家の扉が開き、中から一人の女性が出てきました。

今回の家の管理人です。

いかにも ラテンアメリカのおばさま という感じの人で、非常に明るい。

第一声が

「Hola!」

です。

テンションが高い。

そしてものすご い勢いでスペイン語を喋り始めます。

こちらはまだスペイン語がほとんど分からないので、とりあえず

「Inglés!!!!」

と叫び、英語での会話を強制しました。

これが唯一のスペイン語の語彙です(大学に入りたての頃スペイン語の講義を取りましたが、敢え無く落としました)。

久しぶりに海外生活を始めて数日で学んだことがあります。

言いたいことを大声で言う。

これ、大事です。

おばさまはとてもフレンドリーで、身振り手振りを交えながら家の説明をしてくれました。

どうやら悪い人ではなさそうです。

むしろかなり良い人です。

ただし、

かなり雑です。

この時点ではまだ、その事実の重大さに私は気付いていませんでした。

 

 

  部屋が汚ぇ

さて、家の中を案内してもらいます。

リビング。
キッチン。
ベッドルーム。

一通り見て回って、私はあることに気付きました。

掃除が終わっていない。

最初は

「まあ、多少散らかっているだけかな」

と思ったのですが、よく見るとそうでもありません。

床には細かいゴミが残っているし、棚の上にも謎のホコリが積もっています。

そして問題のベッド。

シーツが、明らかに

きれいではない。

というか、

誰かさっきまで寝てた?

レベルです。

私はしばらくベッドを見つめながら考えました。

「これ……今日ここで寝るのか?」

 

 

  トイレが壊れている

部屋の状況に若干の不安を覚えつつも、次に私はトイレを確認することにしました。

海外生活において、トイレというのは非常に重要です。

ここがダメだと生活の質が一気に落ちます。

扉を開けると、見た目は普通のトイレです。

少し古いですが、まあ許容範囲でしょう。

私は軽い気持ちでレバーを引きました。

……

何も起きません。

もう一度引きます。

……

沈黙。

完全に無反応です。

水の流れる音も、タンクが動く音も、一切しません。

私はしばらくレバーを握ったまま固まりました。

「……あれ?」

後ろにいたおばさまも、少し不思議そうな顔をしています。

おばさまもレバーを引いてみます。

やはり

何も起きません。

どうやらこれは

壊れています。

というわけで、私の新居のトイレは

到着初日から故障していました。

 

 

  キッチンが地獄

トイレ問題に軽く精神を削られつつ、次はキッチンを確認します。

自炊ができる環境というのは、留学生にとってかなり重要です。

外食ばかりだとお金もかかりますし、健康にもあまり良くありません。

そんなわけでキッチンを見てみると、まず目に入ったのが

コバエです。

かなりいます。

しかも一匹や二匹ではありません。

普通に

群れています。

どうやらキッチン周辺が彼らの生活圏になっているようです。

シンク周辺やゴミ箱のあたりを中心に、小さな黒い点がふわふわと飛び回っています。

正直、かなりの数です。

そしてよく見ると、キッチン自体もなかなかの状態でした。

シンクは少しベタついていますし、棚の中にも謎の汚れがあります。

「これは……掃除が必要だな」

と思い、とりあえずシンクに目を向けました。

しかしここで新たな問題が発覚します。

洗剤がない。

そして

スポンジもない。

つまりどういうことかというと、

食器を洗う手段がありません。

そして食器が洗えないということは、

料理もできません。

コンロはあるのに、使えない。

これはなかなか哲学的な状況です。

キッチンとは一体……。

 

 

  シャワーも壊れている

「まあ……シャワーでも浴びて落ち着こう」

そう思ってバスルームを確認します。

長距離移動や引っ越しの後は、やはりシャワーが欲しくなるものです。

まず蛇口をひねってみます。

水は出ます。

しかし

お湯が出ません。

これはまあ、海外ではよくある話です。

問題はここからでした。

シャワーを見て気付きます。

シャワーカーテンがありません。

つまりどういうことかというと、

シャワーを使うと

床が水浸しになります。

構造的にそうなっています。

私はしばらくバスルームの入口に立ち尽くしながら考えました。

「これは……どうやって使うんだ?」

お湯は出ない。

カーテンもない。

シャワーを使えば床が水没する。

つまり現状、

まともにシャワーを使うことができません。

海外生活、なかなかの難易度です。

 

 

  しかし、回線は爆速

ここまで読んでいただいた通り、この家にはいくつか問題があります。

・トイレ壊れてる
・キッチンはコバエの楽園
・洗剤もスポンジもない
・シャワーは実質使用不可

と、なかなかの環境です。

正直なところ、この時点で私は少しだけ思いました。

「本当にここに住んで大丈夫なんだろうか……」

と。

しかしここで、思わぬ救いがありました。

Wi-Fiです。

とりあえず回線速度を測ってみることにしました。

海外の回線というのは遅いことも多いので、ここはあまり期待していませんでした。

ところが。

測定結果を見て、私は少し驚きます。

"下り500mbps"

普通に速い。

というか、普通に日本レベルです。

むしろ場合によっては、日本の家より速いかもしれません。

これはかなり大きい。

今の時代、インターネット環境というのは生活の基盤と言っても過言ではありません。

トイレが壊れていても

キッチンがコバエだらけでも

シャワーが使えなくても

回線が速いならなんとかなる。

現代人とはそういう生き物です。

この瞬間、私はこの家に対する評価を少しだけ修正しました。

 

 

  ファンタスティックたばコミュニティ

そしてもう一つ、個人的にかなり重要なポイントがあります。

この家に住んでいる人たちですが、

全員喫煙者でした。

これはかなり大きい。

海外では、喫煙にかなり厳しい場所も多いです。

建物内は完全禁煙だったり、吸える場所が極端に少なかったりすることもあります。

しかしこの家では、わりと普通に煙草を吸っています。

ベランダだったり、共有スペースだったり。

誰かが吸っていると、他の人も自然と集まってきます。

ちょっとした 喫煙所コミュニティ が形成されています。

私も試しに参加してみたのですが、

「お、吸うの?」

みたいな感じで普通に話しかけられました。

こういう環境は、個人的にはかなりありがたいです。

海外生活では、小さな安心感がとても重要になります。

 

 

  まとめ

ちゅーわけで、今回はまた私の苦労話を紹介さしてもらいました。

管理人との複数回の衝突と私個人の努力を経て、ここに挙げた問題はかなり解決されてきましたが、毎朝トイレは壊れます。

兎にも角にも今からようやく風呂に入れるということで、3日間溜まった垢汚れを擦り落として、きれいな体になりたいと思います。

ちなみに今回写真が一枚もないのは、シンプルに環境が悪すぎてお見せできないレベルだからです。

何卒、ご承知おきを。

 

何も写真を載せないのもさみしいので、最近の心の支えを置いておきます。フレッシュで美味い!!

 

では、また。

 

 

P.S. 結局お湯は出ませんでした。カメラマンからメンズコーチにジョブチェンジできそうです。


こんにちは、はせがわです。

 

前回は、このブログを開設した理由などをつらつらと書きました。
今回は、記念すべき(?)第一回のお話として、私がリマに到着するまでのお話をまとめておこうと思います。

 

結論から申し上げると、なかなかに波乱万丈でした。

というのも、今回のフライトでは特殊な航空券を使用しています。
これは簡単に言えば、空席があれば乗れるが、無ければ乗れないという大変スリリングなものです。

要するに、旅程はあって無いようなものです。(私の周りの方々ならよくご存知だとは思いますが、いつも通りです......)

 

今回の当初の予定はこうでした。

羽田

JFK(ニューヨーク)

リマ

 

文字にすると実にシンプルです。
これがこのまま進んでいれば、特に語ることもない、ただの長距離移動の記録になっていたことでしょう。

しかし残念ながら、この旅はそんなに素直には進んでくれませんでした。

 

 

  妨害されし旅路

さて、本題に入る前に、少しだけ前日談を書いておきます。

そもそも日本からペルーへ向かう方法は、大まかに言って 西回りの航路東回りの航路 の二種類に分けられます。

東回りは、アメリカなどを経由して太平洋側から南米へ向かうルート。
西回りは、ヨーロッパを経由して大西洋側から南米へ入るルートです。

私は当初、この 西回りルート を選択するつもりでした。

具体的には、
マドリード経由でリマへ向かう便 です。

どうせ地球の裏側まで行くのなら、ついでにヨーロッパも見ておこうじゃないか。
いわば、ファンタスティック卒業旅行プランというやつです。

ところがここで、思わぬ横槍が入ります。

皆様も記憶に新しいかと思いますが、某国が突如としてニュータイプ能力を発揮し、中東で騒ぎが起きてしまったのです。

その結果どうなったかというと、ヨーロッパ方面のフライトが軒並み混雑し、私が狙っていたマドリード行きの便も、あっという間に満席になってしまいました。

ちなみにこの便、2日前まではガラガラだったんですよね。

このタイプの航空券を用いた旅行はアクシデントが起きると本当にロクなことになりません。

こうして、私の マドリード経由ファンタスティック卒業旅行風計画 は、見事に崩壊しました。 \(^o^)/

 

  羽田出発

ちゅーわけで、代替案として、かねてより考えていた 東回りの航路 を選択し、一路ニューヨークへ向かうことにしました。

取り急ぎ、
東京羽田国際空港 → ニューヨーク ジョン・F・ケネディ国際空港 の便を確保し、なんとか搭乗することに成功。

特殊航空券の旅は、まず飛行機に乗れるかどうかから勝負が始まります。
この時点で一つ関門を突破したと言ってよいでしょう。

羽田を出発したタイミングでは、旅は驚くほど順調でした。

 

↓出発時の羽田空港(A35kのクソデカ主翼に反射する文字が美しいですね、やはり欧州人はデザインに秀でているのでしょうか)

ちなみに、羽田空港では大学の同期が忙しい中見送りに来て下さいまして、クソ高い空港の蕎麦とビールを奢っていただきました。この場をお借りして御礼申し上げます。Oくん、本当にありがとう。プレモル美味かったよ。

 

  JFK難民爆誕
 

約13時間ほどのフライトを経て、無事ニューヨーク ジョン・F・ケネディ国際空港(JFK) に到着しました。

長時間フライト特有の、「自分が今どこの時間軸にいるのかよく分からない感覚」に包まれつつ、とりあえず入国審査を突破します。

ここまでは、特に問題なし。

むしろ拍子抜けするほど順調でした。

当初の予定では、ここJFKでリマ行きの便に乗り継ぎ、そのまま南米へ向かう手はずになっています。

つまり、

羽田 → JFK → リマ

という、実にシンプルなルートです。

 

しかし皆さんも既にお気づきかもしれませんが、今回は単なる旅行記ではありません。

これは 遭難記録 です。

さて、問題のリマ便ですが、ゲート付近に到着すると、同じように待機している激安チケットユーザーたち(ライバル)が何人かいました。
身軽な格好で、微妙に落ち着きのない感じでゲート前をうろうろしている人たち。

声をかけてみると、やはりライバルでした。

「どこまでですか?」
「リマからクスコでマチュピチュ行くんだよね」
「いいっすね、わしはリマへ留学です」

「リマで留学ってなにするの笑」

みたいな感じで、しばし雑談。

この時点では、なんとなく 戦友のような連帯感 が生まれていました。

同じ境遇、同じ不安、同じ運命共同体。

しかしこの後、その幻想はあっさり崩壊します。

搭乗が始まり、しばらくすると、
スタッフがコールアウトを始めました。

一人。
二人。
三人。

先ほどまで談笑していた ライバルの名前が次々と呼ばれていきます。

「お、来た来た」
みたいな感じで、彼らは軽く手を振りながらゲートへ向かい、機内へ吸い込まれていきました。

そして気がつくと、

私だけが残っていました。

ゲート前には、私と航空会社のスタッフだけ。

そして、しばらくしてスタッフが一言。

「Unfortunately, you cannot board the plane.」

終了です。

 

理由は単純で、満席

特殊航空券旅行の世界では、これ以上ないほどシンプルな敗北と言えるでしょう。

この瞬間、私は ニューヨークの空港に取り残されることが確定しました。

この時点ではまだ
「まあ、別ルートを探せばなんとかなるだろう」
くらいの気持ちだったのですが。

 
↓乗れなかった飛行機のチケット(クソデカSBYの文字に精神を破壊されるなど)

この後に受託手荷物を返してもらう際にもひと悶着ありましたが、Deltaの黒人のお兄ちゃんがなんとかしてくれました。本当にありがとうございました。

 

  JFK晩飯事件

さて、こうして私は JFK空港に取り残されたわけですが、やることもないので、とりあえず空港内をうろうろします。

しかし人間というものは、どんな状況でも腹は減るものです。

気がつけば、すっかり夜になっていました。

というわけで、空港内のバーのような店に入り、軽く夕食を取ることにします。

 

注文したのは

Budweiser
チキンウィング

実にアメリカらしいメニューです。

まあ空港ですし、多少高いのは覚悟していました。

しかし会計の瞬間、私は一瞬思考が停止します。

40ドル。

日本円にして、ざっくり 6000円くらいです。

内容をもう一度確認します。

・ビール一本
・手羽先

以上です。

どうやら私は、ニューヨークの空港で 手羽先定食6000円 を食べてしまったようです。

恐ろしい国です、アメリカ。

 

もっとも、この時点の私は

・リマ行きの便に乗れない
・空港難民
・何時間待機か不明

という状態だったので、正直なところ 味はあまり覚えていません。

ただ一つ言えるのは、

このチキンウィングは、人生で一番高い手羽先(精神的にも) だったということです。

 

  そしてKevin誕生

さて、6000円の手羽先を食べ終えた私は、引き続き JFK空港に取り残されています。

とりあえず別ルートを探す必要があります。

いくつか航空会社のカウンターを回った結果、AVIANCA のJFK → ボゴタ → リマというルートが見つかりました。

「南米の航空会社だし、これはいけるのでは?」と思い、半ば強引にこのルートを確保。

しかしここで、南米航空会社の洗礼を受けます。

 

遅延。

 

それもまあまあ派手な遅延です。

結果として、ボゴタ到着 → 乗り継ぎ便は既に出発という未来が確定したため、このプランもあえなく キャンセル となりました。

 

↓Aviancaのチケット。これ乗れたらまじで良かったのになぁ......

 

完全に JFK難民状態\(^o^)/

やることもないので、とりあえず空港内をさらに散策。

空港という場所は不思議なもので、長時間滞在しているとだんだん現実感が薄れてきます。

世界中の人が忙しそうに移動しているのに、自分だけどこにも行けない。

この奇妙な孤独感は、空港難民になった者だけが味わえる特殊な感情と言えるでしょう。

 

そんな中、私は喫煙所を発見しました。

喫煙者にとって、喫煙所はある種の 精神的セーフポイントです。

ダクソの篝火みたいなものですね(実際行く場所も帰る場所もないから亡者みたいなもんだし)。

吸わない人には理解しがたいでしょうが、長距離移動中の一服には人を落ち着かせる効果があります。

 

さて、その喫煙所に一人の男がやってきました。

明らかに様子がおかしい。

目の焦点が合っていない。
動きもなんだかカクカクしている。

どう見ても、薬物と長年の付き合いがあるタイプの人です。

私はなるべく目を合わせないように煙草を吸っていたのですが、
案の定、彼は私に話しかけてきました。

”Hey bro”

来ました。

異国の地の喫煙所で始まる、よく分からない会話です。

彼はしばらく意味の分からない話をしたあと、突然こういいました。

"What is your name?"

"Nah......you are Kevin."

 

( ゚д゚)

どうやら彼の中で、私の名前は Kevin になったようです。

なぜなのかは分かりません。

日本人の顔を見てKevinと命名するセンス、かなり斬新です。

そして彼は満足そうに頷くと、私の肩をポンと叩き、こう言いました。

"Happy Birthday, Kevin."

突然の誕生日祝いです。

ちなみにこの日は 私の誕生日ではありません。

ただ単に、ニューヨークの空港で飛行機に乗れず途方に暮れている日本人男性です。

しかしまあ、考えてみれば悪くない話かもしれません。

 

南米へ向かう旅の途中、
ニューヨークの空港で、
薬物中毒者に新しい名前を与えられ、
ついでに誕生まで祝われる。

 

なかなか経験できることではありません。

こうして私は、JFK空港の喫煙所にて、Kevinとして新しい人生を祝福されたのでした。

なお、この時点でも私はまだ、ペルーに行ける目処はたっていません。

 

orz......

 

  Kevin、初めての課金

Kevinとして新しい人生が始まったところで、問題があります。

まだペルーに行けていません。

このままだと本当にニューヨークに住み始めることになるので、私は決断しました。

 

課金です。

 

特殊旅行券旅のはずでしたが、ここでDelta航空の航空券を自腹購入。

ルートは

JFK → マイアミ(Delta)
マイアミ → リマ(LATAM)

つまり南端まで降りて南米侵入作戦。

そしてついに私は Delta機に搭乗

 

JFK滞在時間13時間。

その間に

・航空会社ガチャ
・6000円の手羽先
・ケビン誕生
・課金

なかなか密度の高い13時間でした。 ┐(´∀`)┌ヤレヤレ

 

↓実際のチケット。機材は739。初めて乗りましたが、案の定73NGは型番ごとに違いはありませんね。

 

  マイアミ到着

さて。

 

こうして私は 課金の力 により、なんとかJFK空港から脱出することに成功しました。

搭乗したのは Delta航空のマイアミ行き

ここまで色々ありましたが、とにかく飛行機に乗れた。

この一点だけで精神的にはかなり回復します。

JFKでは上述の通り、大変な虚無でしたから、「普通に飛行機に乗れる」という行為そのものがありがたく感じます。

文明ってすごい。

 

3時間後。

飛行機は マイアミ国際空港 に到着しました。

ここでまず思ったこと。

天気がめちゃくちゃ良い。

ニューヨークとは明らかに空気が違います。

 

明るい。
暖かい。
そして

空が青い。

 

長時間空港に閉じ込められていた人間にとって、この天候はかなり効きます。

正直この時点で、私はかなり機嫌が良くなっていました。

人間、天気が良いとだいたいの問題はどうでもよくなります。

とりあえず外に出て一服つくことにしました。

すると空港入口の前に 喫煙所 がありました。

これはありがたい。

そしてここで、ちょっと面白い光景に気付きます。

この喫煙所、各国の国旗に囲まれている。

おそらく空港の装飾なのでしょうが、喫煙スペースの周囲に世界各国の旗が並んでいます。

つまりどういうことかというと、世界各国の人間が国旗に囲まれながら煙草を吸っている。

なんというか、国際会議感があります。

ぜひWHOではここでの議論の結果を踏まえて喫煙者対策の方策を考え直して欲しいものです。 (´ー`*)ウンウン

 
うん。

腹が......減った......

JFKでは 手羽先6000円事件 が発生しましたが、今回は慎重に店を選びます。

結果選ばれたのはバーガーキング。非常に堅実な選択です。

そしてここで、井之頭五郎こと私は小さな感動を覚えることになります。

会計、15ドル。

もちろん安くはないですが、さっき 手羽先6000円 を経験しているので、感覚が完全に壊れています。

しかも内容はかなり重めのベーコンバーガー。

つまり私はニューヨークで手羽先6000円、マイアミでバーガー2000円という、なかなか振れ幅の大きい食生活を送ることになりました。

さて、ここからは LATAM航空 に乗り換えです。

いよいよ 南米行きの飛行機

ここまで

羽田

JFK

遭難

マイアミ

と、かなり遠回りしてきましたが、この時点でようやくリマまでのルートが確定しました。

残すところは

マイアミ

リマ

 

ここまで来れば、もう大丈夫でしょう。

......たぶん。(・×・)

 

↓マイアミでの著者。NYは-4℃でしたが、マイアミは28℃。

大変過ごしやすく、風が気持ち良い。偶に降る通り雨も素晴らしい冷房効果を齎してくれます。

 

 

  弾着、今!!!

さて。

こうして私は LATAM航空のリマ行き に搭乗しました。

フライト自体は特に問題なく進みました。

むしろここまでの旅程に比べれば、驚くほど平和です。

機内ではスペイン語がかなり聞こえてきます。

乗客の雰囲気も、明らかにラテンアメリカです。

「ああ、もう南米なんだな」

という実感が、このあたりでようやく湧いてきました。

羽田を出発してから、すでに2日近くが経っています。

JFKで13時間遭難したこともあり、体感時間はもう 丸一週間以上 です。

 

そして数時間後。

飛行機は ペルー・ホルヘ・チャベス国際空港 に着陸しました。

ついにリマ到着です。

地球の裏側です。

なんだか不思議な気分になります。

 

飛行機を降りてまず思ったこと。

暖かい。

そして

空気が少し重い。

南米特有の空気です。

空港の案内表示もスペイン語/英語の二言語表記。

周囲から聞こえてくる言語も、すべて スペイン語 です。

さっきまでアメリカにいたのに、完全に世界が変わりました。


ちなみにこの時点での私の状態は

・時差ボケ
・睡眠不足
・名前がKevin(暫定)

という、なかなか微妙なコンディションでしたが、

とりあえず言えることがあります。

 

私はペルーに到着しました。留学生活、開始です。

 

 

  あとがき

ちゅーわけで、私は無事 ペルーに到着しました。

到着してもUber運転手に詐欺られかけたり等大変でしたが、なんとか生きています。

 

普通に考えれば

「日本 → 南米」

というだけの移動のはずだったのですが、気が付けば、なかなか濃い体験をしてしまいました。

正直、まだペルーに着いたばかりなので すべてはこれから です。

この先どんなことが起こるのかは、まだ分かりません。

治安の話や、大学の話や、生活の話など、書けそうなネタは色々ありそうなので、気ままにメモしていきたいと思います。

未来の留学生の参考になるかどうかは分かりませんが、少なくとも「こんな人もいたんだな」くらいにはなるでしょう。

 

御後が宜しいようで、それでは。

 

 

Kevin(仮)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんにちは、一般男性のはせがわです。

 

取り急ぎ、このブログの開設意図についてメモをしておきます。

 

私は昨日(2026/3/3)ペルーにやってきた学生です。

巷には、ペルー旅行記なるブログはたくさんありますが、殊留学をまとめたものは、私の拙い検索能力では見つけることは叶いませんでした。

したがって、自らを人柱として捧げ、ペルーに来たる未来の若者たちに希望と絶望を与えるため、私はこのブログを開設しました。

 

メインとしては、写真と体験談をつらつら気ままに、自らの備忘録も兼ねて綴りたいと思っています。(学チカになんねぇかなぁ......)

何卒、よろしくお願いします。

Photo taken by Fujifilm GFX 100ii + Fujinon GF Lens 32-64mm 1:4 R LM WR (64mm f/4.0 ss1/500 iso80)

※取り急ぎ、何も写真がないので、私の現在の宿泊先の窓からの眺めを置いておきます(一枚3MBまでアップロードできるんですね、いい時代だなぁ......)。

 

では。