堂山物語 第125話 | エラー|Ameba(アメーバーブログ)

堂山物語 第125話

入社2年目くらいから僕は、なぜか社内報に連載を持つことになった。

 

月一で発行されていた、誰も読まない総務のおばちゃんが作っていた

 

社内報も例に漏れずおもんなかったので、僕のページは好きなような事を書いて連載していた。

 

意外にも好評だったらしく、社内で僕の顔はしらなくても名前を知ってる奴が増えていった。

 

 

この会社では主任に昇格する前に一度、異動が必ずあった。

 

配属店舗が違えど、上手く回していけるかどうかを判断する為らしい。

 

僕は本社の1階にあった店舗に異動した。

 

僕は、この異動が自分でも良かったと思っている。

 

飲食業、堂山町w出身の僕からしたらパチ屋の片番なんてヒマだった。

 

 

 

早番が終わってもウダウダ店や本社で彷徨いていたので、この時期に

 

エクセルやフォトショなどパソコンスキルをマスターしたと言える。

 

 

 

店のホームページを意味なく無茶苦茶にする遊びもこの頃に覚えた。

 

 

そんなこんなで、普段仕事をしない本社のおばちゃん達とも仲良くなり、

 

早番おわりに本社事務所でPOPデザインの勉強をしていたら

 

経理のY課長に「堂山くーん。電話なったら、お願いねー」と

 

Y課長がどっか行くときに本社事務所番も任せてもらえるくらい、信頼度がアップしていた。

 


 

自分の店の周年の時に、自店の朝のメールで社内のチェーン店の誹謗中傷してしまい

 

その店の店長から大目玉を喰らったが、アナルの小せぇ奴だと思った。

 

 

 

 

で翌春に主任に昇格した。

 

同期の社長次男のケン兄が、一緒に昇格出来なかったのは残念だった。

 

 

この頃、ケン兄は、

 

コーヒーワゴン嬢と梅田のホテヘル嬢と二股をかけていて、

 

どっちに絞るか

 

僕は相談を受けていたが

 

本気で愛するならホテヘル嬢という

 

僕の案を支持しながらも

 

やはり体裁上、堂山案は却下し

 

コーヒーワゴン嬢を選ぶハメになっていた。

 

 

ボンボンはボンボンで自分の意のままに生きれない事もある。

 

それに比べると僕みたいな雑種は幸せなのかもしれないw

 

 

そもそも僕は、この会社の連中に風俗遊びを覚えさせた責任があった。

 

 

悪い意味の真面目で免疫力の低い民族で社員が構成されていたので

 

まず

 

ヘタレのNは、ヌキキャバ嬢の色恋営業にハマってしまった。

 

 

連絡がフリーメールのみ、お父さんが事業に失敗した、お金を貸して欲しい

 

お菓子の袋に入れて14万持って来て欲しい、などなど

 

 

どう考えても色仕掛けだろうし事業の失敗が14万でどうにかなるか?

 

当の本人は色ボケしていたので、

 

僕は店舗責任者と交渉し

 

その嬢の色仕掛けをやめさせた。

 

ヘタレのNは当時、僕に怒りの矛先を向けて疎遠になったが

 

数年後には打ち解けたので、免疫力って大事だなって思う。

 

 

他にもケン兄の結婚式に呼ばれた僕は二次会を抜け出し

 

ケン兄の従兄弟のKが行きたいと言っていたマンヘルに連れてった。

 

 

当時でも違法とも言えるぶっ飛びマンヘルだった。

 

7階建てマンション一棟を借り切って全ての部屋がプレイルームと

 

スケールのデカイマンヘルだった。

 

 

Kもここの嬢の深夜に渡る営業メール連発に日々悩まされる事になるww

 

 

そんなこんなで僕は逆にそんな色に引っかかってみたいと思うほど

 

どんな可愛い嬢を選んでも、本番が出来たりしても

 

同じ嬢を選ぶ事も無く、テケトーな感じで風俗遊びをしていた。

 

 

その日も、その一棟マンヘルで

 

Kが

 

本番出来ました

 

と報告してきた嬢目当てに

 

遊びに行こうと難波の黒門近くを歩いていたときに

 

出会った女の子が、いっこ だった。

 

追記、どんだけーのヒトとは関係ないですw