今日は『人類はなぜ<神>を生み出したのか?』を読了。
前半は『サピエンス全史』の農業革命の箇所と似て、狩猟から農耕への移行は宗教が原因だったのではないか?(ギョベクリ・テペ遺跡)という話などが書かれていたが、後半は信仰の歴史だった。
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・シュメールの神々は人間そっくり(iluイルー:高位の人)
・イルー→ヘブライ語の「エロヒム」、アラビア語では「アッラー」と翻訳
・メソポタミア人は多神教信者。万神殿には3000以上の神々。
・エジプトの神々も人間の姿形を持つようになった。
・インド・ヨーロッパ語族でも人格化のプロセスが起こる
・ギリシアではオリンポス十二神→人間とは異なる神を求めるように。
・アメンホテプ四世(アクエンアテン)による一神教の試みは失敗
・ゾロアスター教による一神教体制導入の試み
・一人の神が善と悪の根源であり得るのかという問題→神を非人間化。人間的な属性を剥ぎ取り、宇宙の根底を成す独創的存在として再定義。
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それから、聖書の複数の解釈の矛盾、一貫性の無さ、混同について書かれている。
モーセが遭遇したヤハウェ、カナン人の神を信奉していた部族に、ミヤデン人の神が語り掛けるのは何故?
この辺りは聖書に詳しい人なら知っているような話だろう。
旧約聖書は少なくとも四つの文献資料から構成されている。
・ヤハウィスト(J資料)…「創世記」「出エジプト記」「民数記」の大部分で言及。紀元前10世紀~9世紀。
・エロヒスト(E資料)…「創世記」「出エジプト記」に部分的に引用。紀元前8世紀もしくは7世紀
・祭司文書(P文書)…紀元前586年のバビロン捕囚の間か直後に書かれたもの。主としてJ資料とE資料の改訂版。
・申命記文書(D文書)…紀元前7世紀~5世紀の間に書かれたと推定。
これらの資料・文書の間には沢山の違いがある。
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・イスラエル人とカナン人は同じ神々を共有していた。
「エル」「エロヒム(エルの複数形)」「エルシャダイ(全能の神)」
「エル・オラム(いにしえからとこしえまでの神」
「エル・エリオン(いと高き神)」「エル・ロイ(私を見守る方)」
・イスラエルでエルとヤハウェが同一化
ヤハウェが万神殿の最上段に格上げされた
それから、ヤハウェとイエスの関係に関する様々な解釈。
ニカイア会議で「三位一体」という妥協策が生まれた。
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ムハンマドにアッラーからの啓示
アル・イラーフ(the god)の短縮形=アッラー…人格神ではなく神的存在の霊のようなものであった可能性がある。
・神の創造力と神の一体性をどう一致させるのか?
スーフィズム(イスラーム神秘主義分派)
・神は全存在であり、全存在が神である。
原初的なアニミズムや仏教にも通じる汎神論
スピノザ
「無限の特質を表す森羅万象の中に唯一の実体があるとすれば、その実体は神と呼ばれようが自然と呼ばれようが、それは唯一、不可分の現実として存在しているはずである」
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・魂への信仰は神への信仰よりもはるかに古い。
・ギリシア人…プシュケー(心)
・ヘブライ人…ネフェシュ(魂)
・中国人…楚辞(チューツー・楚の精神)
・インド人…ブラフマン(世界の根本原理)
実体としては心と同じもの。あるいは森羅万象と共存しているもの。
この私たち人間が持つ最初の信仰が、神への信仰を生み出した。
人間に普遍的な魂(こころ)を、考え違いや間違った推論から生まれたもの、心に浮かぶ錯覚、進化の過程での偶然のいずれかだと見ることもできる。実際人は何でも、ビッグバンであろうと、時空間分布であろうと、質量とエネルギーのバランスであろうと、すべての単なる原子の偶然のぶつかり合いにすぎないと信じることも出来る。
神を信じるか否か、神をどう定義するかはあなた次第。
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タイトルから、<神>は人間が発明したものだ、(=だから神はいない。)という話かと思ったら違った。
汎神論に至るとは思わなかった。想像と違う結末もまた読書の楽しみの一つでもある。
思うに、世界にはあらかじめ決まった型や法則や動きやある種の方向性があるが、それを「必然」と呼ぶか、「偶然」と呼ぶか、というような話なのではないだろうか。
そして個々人はいずれかの選択を既にしており、それぞれその文脈で世界を見ていると言えるのかもしれない。