ズブズブのアダルトチルドレンだったころは
ゴールデンウィークは実家帰ってました
父と母を労わねば
また何かしらの罰を与えられる
と思って 帰っていました
帰ること自体が罰なんだけどね
だけど一人暮らし始めた最初のゴールデンウィークは
友達もろくにいなくて
遊び方もわからなくて
お金もないのに 帰らなかったのは覚えてる
やっと 牢獄を出られて
自分で好きなもの食べて生きて
楽しくて帰らなかったな
独身の頃は ほぼ帰っていた気がするな
父との生活に息が詰まってるであろう
母の息抜きのために
母とは別行動したいが
母を1人にして出かけるのは
後ろ髪引かれる父のために
みずから 鎹 になっていたわけです
母の愚痴を聞かなくちゃ
お母さんが死んじゃう
そのくらい母を心配していましたが
愚痴を聞かなくても彼女は死にません
父の方が先に亡くなりましたし
何度ぶっ倒れても
彼女はまだ生きてます
1人で
実家に帰らなければ東京に来られるので
きてもらっては困るので
必死に帰っていたってのもあります
防御です防御
好き勝手している一人暮らしの部屋を見て
また なにか爆弾投下されたら困るからです
だけれど 実家に帰るのを断られる時も
結構ありました
娘の願いを踏み潰すのが趣味なので
家事もやらずゴミ屋敷のくせに
今度の連休は忙しいから帰ってきても
何もしてあげられないよ
なんて 不機嫌に良く言われたものでした
帰ったら何をしてくれるのか?
偉そうに💢
そういう時は よろこんで帰りませんでした
あと 毒母はよく
次の休みは帰ってくるわよね?
といい すなわち ほんとに帰ってくると思ってたりしました
正確に答えたわけではないので
放置しておくと
何時の電車なの?こっちも予定があるんだけど
と 勝手に機嫌が悪くなったり
異常ですね
今思えば
書いてて頭が痛くなってきました
子供が生まれ
実家に泊まることも減ったら
お風呂がどんどん汚くなりましてね
私 帰るたび 風呂掃除してたんです
私しか掃除してなかったんですかね?
父が亡くなり
母とは ほぼ没交渉
事務連絡を手紙でするだけ
遺言開示まで 会うことも話すこともありません
葬儀の後の暴言の電話のあと
私は私で生きていくからもうあなたたちにはかまえません
と言い切った後なのに
23回も鬼電してきて
私が出なかったので
それからは 電話もありません
何度もなり続ける電話を見ながら
私も小さいとき
何度も何度も誤って
あなたに許しを得ようと
必死で泣いていたな
あなたも今 同じ気持ちでしょう?
そんなことを考えながら
この鬼電を眺めていました
今度は私の番
そんなふうにも 思ってしまいました
連休以外でも
ここ数年は 頻繁に救急車に乗って
入院する母の世話に
私は走り回っていました
日記に書いてあります
関東圏に住んでいる妹たちは
子育てが忙しいのもあり
コロナということもあり
一切面倒は見ませんでした
ネットスーパーで チンするご飯とか
送るだけです
楽でいいな ポチるだけで
こだわりの強い毒母の
裏の縫い合わせが肌に刺激にならない日本製のパジャマ
同じく縫い合わせが痒くならない肌着
足首が痒くならない靴下
匂いが気にならないウェットティッシュ
ざらざらしないタオル
歯ブラシ 歯磨き粉とコップ
500ミリがいいというので500の水を一箱
パットとおむつのセット
セブンでしか売ってないティッシュ
ウェルシアでしか売ってない手袋
会計が終わった後に言われた
肌着は前開きのやつ
病院は暑いからパジャマは薄手にしてほしい
転ぶといけないから靴を持ってきて
などなど
退院してからも
お水はあれがいい
チンするご飯は少なめのやつを買ってきて
あのヨーグルトがいい
あのウーロン茶がいい
あの しんどさを妹たちも経験しやがれと
思う時もある
けど もうおしまい
異常な世界にいたんだなと
改めて自分がおかしかったことを
認識してます
ありがたいことに
父が亡くなり 母は自分から壁を作りました
土日も ゴールデンウィークも
お盆も年末年始も
ぜんぶ 私時間です
人生後半
自分中心で行かなくちゃ!