人の脈拍を測る計器は、
死亡とともに波形が消えて直線になる。

そうした場面に知り合いの看護師は
何度か立ち会ったことがあると話していた。

淡々とした語り口にも驚く。

すごい内容なはずなのに、
彼女にはごく普通のことのようだった。

看護師になって2、3年でもそうだから、
ベテランならなおさら普通の光景
なのかもしれない。




先日、父の入院に付き添った。

姉と私という2人の子供がそばにいると
やはり安心しているようだった。

いまのご時世、見舞客は病室には
原則入れない。

そのため、手術に向かう前の
ほんのわずかな時間だけ、
患者と話ができる。




父が手術に向かうまでの時間。

全く日常とはいえない光景に出くわした。

病院には不釣り合いな、スーツ姿の男性。

患者には見えないし、病院のスタッフにも
見えない。

少しして、ストレッチャーというのか、
間違いなく病人に使う器具を運んできた。

病室に入っていく。




その病室前には、中高生らしき子たち。

しばらくして、ストレッチャーに
亡くなられた方が乗せられて出てきた。

ああそういうことかと合点が行く。

その子たちは、恐らくは目の前の事態を
事前に受け入れていた様子だった。

泣き叫んだり、取り乱す感じは全くない。

日常的な光景ではないのに
すでに覚悟ができていて、受け入れて、
消化している。

先の看護師のような淡々とした雰囲気が
印象的だった。




ある人にとっての非日常は、
またある人にとっては日常。

不思議だし、ある意味怖い。

なにげなく過ごす日々の中では
見えないか、あるいは見ていない景色が
おそらくたくさんある。

今日、園芸店で、カーネーションの値段が
例年より高いことに気づいた。

なんとなくカーネーションの相場感は
あるけど、今年は値上げなの?

これもまあ、日常のなかの非日常。

ダチョウ倶楽部の「聞いてないよ〜」は、
覚悟が出来てないから受け入れられずに、
つい口をついた心の声なのだろうとか、
別にどっちでもいいことを思った。