5/18 (木)
三殿台遺跡を訪れました。
実際に復元された竪穴住居に入り、
縄文時代に思いを馳せました。


僕の愛読書である

古事記・日本書紀の原書と言われる、

古文書『ホツマツタヱ』には、

竪穴住居(ムロヤ)を発案したのは、

初代アマカミ(古代の天皇)、

クニトコタチ(国常立尊)

と書かれています。


(↑前回のブログ)



そして、

クニトコタチが竪穴住居を広めると同時に、

民衆(タミ)に広めたのが、

木の実の栽培でした。


クニトコタチと、その一族は、


キクサ(木草)を、

ツト(苞←土産)に、

【(高収穫が期待できる)木や草の苗を土産にして】

全国を駆け巡ったと『ホツマツタヱ』には

書かれています。


栗、クルミ、トチノミ、シイノミなど、

木の実は、

縄文時代では、今のお米にあたるような

主食でした。


また、

木の実の中でも、

アク抜きの要らない

「栗」が最も重宝されました。


縄文時代中期(5470年前〜4420年前)

の遺跡が、非常に多いのは、

気候が温暖で、栗の収穫が良好で、

安定した生活が送れたからではないかとも、

考えられています。





青森県の、

三内丸山遺跡の発掘調査では、

栗の木が品種改良されていたことが

確認されていますが、


これは、

古代の天皇(アマカミ)の仕事の痕迹と

見ることも出来て、

興味深いところです。




縄文人の骨分析でも分かるそうですが、

縄文時代の人は菜食中心だったようですよ!



さて、この日、

三殿台遺跡訪問のあと、

まだ元気だったので、

ネットで検索して気になっていた、

同じ横浜市磯子区にある、

「栗木神社」をお参りしました。


(〒235-0041 神奈川県横浜市磯子区栗木2丁目13−21 )

この神社の御祭神は、

クニトコタチ(国常立尊)です!

「栗の木とクニトコタチ!」

ピッタリですね‼️

「栗木」というのはこの地域に、
古くからある地名のようです。


栗木神社由緒

栗木神社は、横浜市磯子区栗木にある神社です。栗木神社の創建年代等は不詳ながら、江戸期には山王社と称して栗木村の鎮守社だったといいます。明治6年村社に列格、明治45年に日下町笹下明神社、氷取沢町山神社、神明社、稲荷社、峰町白山神社、矢部野町金山彦神社、田中町神明神社、御嶽神社、栗木町御嶽大神、駒形神社の10社を合祀、上笹下神社と改称し、上笹下地区の総鎮守となったといいます。昭和22年被合併社が還座、栗木神社と改称したといいます。

寺社情報サイト「猫の足あと」より


京急電鉄の「杉田」駅で降りて、

25分位は歩いたでしょうか?

結構この神社も高台でした。


一見、小さな地域の神社ですが、

茅葺きの社殿には

いにしえ(古)の風格を感じます。



小高い丘の上に、

更に土が盛られた場所に、

この神社は鎮座しています。


故郷に帰ってきたような心地のする、

不思議な神社でした。




この日は三殿台遺跡を訪れ、
栗木神社を参拝し、
クニトコタチ様にもご挨拶出来て、
とても有意義な
お昼の一時となりました。

(↑狛犬。背後から失礼します。渦の模様が見事!)



(↑横から見るとハート型に見える‼︎♥️)


(↑狭い境内に名木古木指定の樹木がひしめく。)


(手入れが行き届いていて、地元の人に愛されているのを感じる神社でした。)



また来よう🎵