先週の木曜日(10/20)、

気持ちの良い陽気も手伝って、

江ノ島に行って来ました。




片瀬江ノ島駅に着いて、


とりあえず、


ロコモコを食べて


腹ごしらえ。






この日は初めて、


「べんてん丸」に乗りました。






船に乗ると、江ノ島には、


有名な「江の島岩屋」以外にも、


洞窟が沢山あることに


気づきます。








べんてん丸を降りると


そこは


「稚児が淵」。





磯には


小魚、ヤドカリ、カニ、イソギンチャク等、


沢山の生き物たちの営みがあり、


心和みます。


珍しい魚もいました。





カジカの仲間のようです。





イソギンチャクに指を入れてみたり、


磯は僕にとって、


子ども心に戻れる


素敵な場所です。


(常に子供心かも笑…)





江島神社は、


芸術・学問の神様である、


弁天様(弁財天)で有名な神社。



「弁財天」はインドのヒンドゥーの神様、


「サラスヴァティー」の漢名です。


この女神様は、


インドで仏教が興隆してから、


仏教の守り神とされるようになりました。



 (写真 ウィキペディアより↑)



そして、


大陸の漢字文明が


日本に入ってくる過程で、


日本でもともと祭られていた、


「宗像三女神」

(むなかたさんじょしん)


と習合し、


同一視されるようになったのです。


(ここまでが一般的な話…)





さて、


古事記、日本書紀の原書と言われる、


古文書『ホツマツタヱ』には、


宗像三女神のことが、


かなり詳しく記されています。



『ホツマツタヱ』は、


古代の指導者の間で


使われていたと思われる古代文字、


「ヲシテ」で書かれています。





ここでは詳しく書きませんが、


宗像三女神というのは、


アマテラス大御神の娘さんです。




アマテラスは『ホツマツタヱ』においては、


紛れもなく歴史上の人物で、


しかも男性です。



妃には全国から由緒正しい


12人の女性が選ばれました。

 


ひと月ずつアマテラスと過ごし、


正妃が1人選ばれました。



そこで晴れて正妃に選ばれたのが、



現在スピリチュアル関連で


とても有名になっている、


「瀬織津姫」なんです。


(コチラは以前書いた瀬織津姫のブログ↓)




それで、


宗像三女神は、


瀬織津姫の子ではありません。



12人の妃の中のひとり、


「ハヤコ」というお姫様と


アマテラスの間で生まれた三つ子が、


宗像三女神になります。



タケコ(長女)

タキコ(次女)

タナコ(三女)

です。


江島神社の由緒書に照らすと、


次のように対応します。



🔷江島神社三宮の御祭神



🔹辺津宮(へつみや)

田付津比賣命(タキツヒメノミコト)

タキコ(次女)

🔹中津宮(ナカツミヤ)

市寸島比賣命(イチキシマヒメノミコト)

タナコ(三女)

🔹奥津宮(おくつみや)

多紀理比賣命(タギリヒメノミコト)

タケコ(長女)





そして、


何と❗️


三女神のお墓があるところも


『ホツマツタヱ』には、


明記されています。



『ホツマツタヱ』の宗像三女神

🔹長女:タケコ (別名:オキツシマヒメ)
墓所→竹生島(琵琶湖内)

🔹次女:タキコ (別名 エノシマヒメ)
墓所→江ノ島(神奈川県)

🔹三女タナコ (別名 イチキシマヒメ)
墓所→厳島(広島県)


このように、


江島神社は、


次女タキコのお墓があり、


古くは、


ヱノシマカミ(江ノ島神)として、


タキコが祭られていた神社であったことが、


『ホツマツタヱ』の記述から、


伺うことが出来るのです。




(↑タキコが祭られる辺津宮)



では、


宗像三女神に


宗像(ムナカタ)が付いているのは


なぜでしょう?



その経緯を少しだけ書きます。






宗像三女神の母、


ハヤコは姉のモチコと共に


アマテラスの妃になっていたのですが、


姉と徒党を組むようになり、


色々な騒動を起こすのです。



2人の姉妹は、


正妃を瀬織津姫に奪われ、


嫉妬心を増長させていきました。



最初に宮中(富士山南嶺のハラミノミヤ)に入った時は、


瀬織津姫よりも、


ランクが上の妃だったので、


なおさらでした。



2人は、


アマテラスの弟、


ソサノヲ(素戔嗚/スサノオのこと)を


擁立して、


朝廷転覆の企てまでするようになります。



それがバレてしまい、


富士山南嶺のハラミノミヤから、


九州の宇佐に謹慎処分ということで、


流されることになるのです。



幼かった宗像三姉妹は、


母親のハヤコと同行したのですが、


嫉妬と憎悪のエネルギーで


満ち満ちたハヤコは、


ろくに三姉妹のは面倒を見ませんでした。



そこで、


アマテラスの12人の妃のうち、


トヨ姫アヤコが、


九州の宇佐に派遣され、


三姉妹の育ての親になりました。



アヤコは


「ムナカタ」という、


九州北部を拠点とする


氏族の娘でした。


舟を発明したとされる、


シマツヒコを祖とし、


カナサキ(住吉大神)にも連なる、


由緒正しい氏族です。



このことが、


宗像三女神(むなかたさんじょしん)


という名前が付いた


理由になっていると推測されます。





その後、


罪を重ねていく母の過ちに学んだ、


宗像三女神は、


母の罪を払拭するように、



立派に成長して、


クニのリーダーたちに嫁ぎ、


日本の礎を気付くような


立派な子孫を残すことになるのです。



(まだまだ書き足らないことだらけですが、


この辺にします。)




さてさて、この日は、


「江の島岩屋」にも行ってきました。


平日の昼ですから、


とても空いていて、


落ち着いて見学できました。





ここが、


江島神社発祥の地と言われる場所です↓





もしかして、


タキコ姫の墓所は


ここかもしれません。





江ノ島神


タキコ姫様


永遠に


やすらかに…