100%の恋愛小説という「帯」がバカ売れした理由の一つのようだけど、

最初は 100%のリアリズム小説 って呼ぶつもりだったけど、それじゃあ

売れそうにないから変えたそうですね

 

リアリズム って言葉から想像すると、人間がリアルに書いてあるのかな

(出てくる人の行動を全て(不合理性も含めて)合理的に理解できるかという意味)

とも思えるし村上さん本人もそのつもりだったのかもしれないけど、

下記のように私はその点すこし疑問は残っている、

 

しかし ファンタジーが入ってないという消極的な意味では、

100%のリアリズム小説とは村上小説の範囲内では

まあ 間違ってはいないかな と。確認のために年表を見てみましょう

 

 

の年表を拡張し、私の読んだものを足します(一部誤り修正)

 

小説題名、(本人の年齢, 西暦)(僕の年齢、出てくるものは)

風の歌を聴け(30歳、1979)(21)

1973年のピンボール (31歳、1980)(24)

羊をめぐる冒険(33歳、1982)(30)

蛍・納屋を焼く・その他の短編(35歳、1984)(20くらい)

世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド(36歳、1985)

パン屋再襲撃(37歳、1986)

ノルウェイの森(38歳、1987)(20くらい)

ダンス・ダンス・ダンス(39歳、1988)(34)

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わかりやすいように私が ファンタジーと思うものを色つけしてある

ここにある短編は ほぼ全部 ファンタジー、童話のようなものだし

ファンタジーの極め付けは、

羊をめぐる冒険、世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド

ダンス・ダンス・ダンス

 

だろうな。(私は、世界の終わり。。のファンタジー感はかなり好きな方だ)

1973年のピンボールはまだ微妙な感じでどっちでもないかもしれないが、

やはり 双子の話しはあまりに現実離れしていてほぼファンタジー

 

これを見ると、本人として リアリズム宣言 しておかないとならない

って思ったのだろうけどね、

 

ーー

私は村上作品の登場人物って大なり小なり不合理的に行動していると

思っていて(文系っぽいし、それが良さなのかもしれないが

 

多くの小説家って、頑張ってかどうか知らないけど

突拍子もない設定を持ってきても、その設定の中で合理的に動く、ことを

目指している? 私はそれを綿矢りさ に感じて、そこが少し物足りない

とも感じる所以かなとも思っている

 

村田沙耶香は 設定の突拍子もなさが想像を絶しているので、その中で

登場人物がある程度合理的に動いても、それに負けないだけの想像の絶しさ

を持っていると思い、かなり好きな方。あと合理的かもしれないが、行動が

現代日本の常識に囚われていないところも、すごいなと思っている(脱線)

 

ーー

100%のリアリズム宣言で、村上春樹はノルウェイの森では

登場人物を合理的に行動させようとして、そのために色々な設定の

付け加えや修正が「蛍」や「風の歌を聴け」に

行われているのかなと思っている。例えば、やりまくる、とかもその合理性の

ために必要と思ったんだろうけど、それは果たしてどうなんだろうかということは

後日また考えてみたい

 

しかしそれで直子の自殺理由に関しては、完全に合理的な説明を行ったんだろうと

思っているんだけど、だけど私はそのせいか、それとも不必要だと思い

書かなかったのか、直子の姉とキズキの自殺理由については納得はいっておらず

リアリズムかねえ? と思っている

 

これもちょっとメモがわりに添付

 

いや、そもそも小説にリアリズムなんていらないんだと思うけど

もちろん、あったって良いんだけど