ただの王などいないのでは? | typeofappleのブログ
例えば、世界に国が100人いたとしよう。
そうなると、王が100人いる。

何度も言っているように人間とは優劣をつけたがるものである。
そのため、このような呼び方をされる王が現れることになる。



「王の中の王」


コレは王100人の中のただひとりに与えられる称号である。

つまり、残り99人の王は


「王の中の市民


であるのだ。


しかし、ここでも優劣が発生する。
よって、

99人の中でも「王の中の王」が選ばれるのだ。

ソイツは「王の中の市民」の中での王だ。

つまり、



ソイツは「王の中の市民の中の王」なのである。


もうわかっただろう。

そう、残りひとりになるまでその集団の王が選ばれてしまうのだ。


ここで、
「じゃあ残されたひとりはただの王なんじゃないの?」と思った人がいるだろう。


良く考えてみて欲しい。


100人のグループの中から99人に何かの称号が与えられてそのグループを出て行ってしまったのだ。


そのため、そのグループはその王ひとりになってしまったわけだろう?



グループでひとりになるということはそのグループの主権を完全に握ることになるのだ。



だから、その残された王はその時点でその王たちの集団(その集団は今はひとりになってしまっているがそれでも集団である。空集合でないのだから。)の中で最も偉いのだ。




つまり、ソイツも
「王の中の王」
になってしまうのだ。






ただの王などいないのでは?

ただの人などいないのでは?

自分はただの人だと思っている人は世の中のあらゆるものに優劣をつける行為、
つまり、世の中のあらゆることに勝とうとしていないだけなのでは?