人はなぜ人を殺すのか――河内音頭のスタンダードナンバーで実際に起きた大量殺人事件<河内十人斬り>をモチーフに、永遠のテーマに迫る渾身の長編小説。殺人者の声なき声を聴け!
とても面白かったです
太宰治の人間失格と比較された文章をいくつか読みましたが、
いまいちぴんとこない、でもわかる、不思議な気分
しいていえば、人間失格と読後感が似てるな、と思ったのです
いちいち偉そうな批評まがいなことを言いたがるわたしは
小説を読みながらこのほんのメッセージは、魅力はと
偉そうな立場からほんを読んでしまうのですが
このほんは、ただ惹きこまれ、そして、なんだったのか、釈然としない、
けれどなんか熱を帯びて面白かった、ひきこまれた、と強く感じる
そういうほんです
偶然同時期に同じタイトルで違う作者のほん(湊かなえ)を読んでいたけど
今おもうと同じ告白、でもなんというか質というかレベルというか全然違うなぁ,,,
もちろん、こちらの告白のが真の告白です
一冊で842ページもあり、とても読み応えがあります
時代背景とコテコテの河内弁が、読みなれてないわたしには最初とっつきにくく、
この調子でこんな厚い一冊を読めるのかな、、と思っていましたが
数ページで物語に引き込まれました。
内容も辛く重いほんかと思ってたけど、
むしろきらりとひかる文章のセンスとユーモアに、小気味よく軽妙な河内弁が魅力をあげて
何度も噴きだしてしまう面白い一冊でした。
人間失格の主人公のように同じ内向的につっぱしるとはいっても、気取ったところはなく
このほんの主人公、熊太郎は誰よりもまっすぐで人間味溢れていて、だけど不器用で、
こういう思弁的でしょうもない面って、結構自分にもあるわよね、と熊太郎に愛着がわきます
長い話も無意味に長いわけでもなく、じっくりと思考と言葉の耐えられない不一致をあらわしていき
犯罪者というものも、訳あっての犯罪者よね~と、ダメ人間思考な自分は共感するダメっぷりでした
本当に、8割、いや9割がリズミカルで惹きこむ、面白い文章と展開なので
漫画を読むテンションで読み進めたけど、最後は考えさせられるものになり
ただの娯楽ではなく、これは非常に練り込まれた、深く重い、はなしだったんだなぁと唸りました。
犯罪者であろうが、堕落したやくざ者であろうが、その心理描写は見事で
私小説で心理を描くものよりも、ひとつ冷静な視点というか、立ち位置で描けているので
太宰治の人間失格よりもすぐれてるといってもよいのではないかと思えます
考えてもしょうがない、自分の真実なんてどこにもない、自分に甘く、正当化して、何度も何度もやりすごした熊太郎は最後に気づく。そう、賭博と一緒のことを。
「大きな厭な気持ちから逃れようとしてあえて小さな厭なことをやったらもっと厭な気持ちになった。救 われるのではないかと思ったけど結局は救われなかった。どっちにしろ負けを取り戻すことができないということがいま分かった。だから俺はもっと早く勝負を 降りるべきだった。そうすれば負債は負債でもより小さい負債ですんだ。それがいまわかった。」
子どもの頃に戻れたら、そう24歳の時に思った熊太郎。
30代でまた24歳、あの頃に戻れたら、そう思う熊太郎。
その自分自身の思考回路のしょうもなさにはなかなか気付かない。
「まだ、ほんまのこと言うてへん気がする」
しかし、最後の最後まで熊太郎に真実の言葉はなかったのだ
徹底的に自己正当化し、人生における負けをとりもどそう、取り戻そうとしてる内にどうしようもないところまできてしまった。
そして、最後の最後まで、残虐に人を殺しても自分の指の痛さには耐えられなかったり、自分が救われたいが故に無二の友を切っても、それさえもより多くの人の死を防ぐためだと正当化していた自分がいた。
なんらの言葉もなかった
なんらの思いもなかった
なにひとつ出てこなかった
客観的にみれば、実にばかげている、あほか、といいたくなるであろう。
しかし、熊太郎的人間じゃないと、あなたは言い切れますか?
最近のヒット作は、自己正当化した、癒しのような話が多いです
悪と自分はまるで別の次元かのような、ひたすら自分(=主人公)を魅せるほん
そんなほんに飽き飽きした時、人間のズルさを捉えたこの作品は逸材
結局周りを批判することにより自分を確立するなさけない人間なのです
熊太郎と、わたし、まさに同族です
あなたはどうでしょうか