カッコイイじいちゃん エディー
エディーは、知り合いのショップの大家さん。
毎日のように、ちっこい愛犬を連れてショップに来てはテナントと世間話したり、敷地内に立てた小屋でなにやら木工作業したりしてた。
知り合った頃、ずいぶん前の話だけど、オリジナルのスチール、1928 フォードモデルAのフェートンボディーを持っていて、こいつでホットロッドを作るんだ、と言っていた。そのとき、70歳半ばくらいじゃなかったかな。
地元、カリフォルニア生まれで、若い頃はボクサーやったり、飛行機で飛んでいて電線にひっかっかって新聞に載ったり、何かとお騒がせ、そして有名、人気者だったらしい。
さてさて、モデルAはというと、アフターマーケットのシャシーにマスタングⅡフロントエンド、フォード9インチ、エンジンはシボレーの350にTH350という仕様で、ゆっくりとエディーによって組まれていった。
途中で、フォード9を取り付けたものの、お気に召さずフルクロームのジャガーリヤエンド+インボードディスクという、派手なものに変更された。
ボディーはフェートンだし、まさに“おじーちゃんの憧れ仕様”って感じになるなぁ。
ほとんどの作業はエディーががんばってたけど、時々、呼び出されて手伝ったもんだ。
この頃、彼はガン治療を受けていて、なんだか時々かなり辛そうにしていた。
腰掛けて休みながら、
“子供たちは元気に育ってるか?”とか、
“日本のオヤジさん、オフクロさんは達者にしてるのか?”
なんて、よく聞かれたな。
“みんな元気だ”、と言うと、何度もうなずくんだよね。
そして、黄色にペイントされたモデルAは完成し、エディーは愛犬を乗せてチョロチョロと走り始めた。
しばらくして、ブレーキが重い、というのでパワーブレーキにしてあげたら、今度は、パワステも欲しいなぁって。おいおい。
今思えば、ずいぶんと力も弱くなっていたのかな。
しばらくして、エディーはつらいガン治療をやめた。そう希望したのだ。
よくわからないけど、もう、がんばんないで穏やかにそのときが来るのを待ちましょう、って言うことらしい。
ショップに来なくなり、入院したと聞かされてから、2週間もしないうちにエディーは遠くに行っちゃった。
モデルAに取り付けられた新品のスピードメーターの距離計は、わずか100マイルちょっとだけ刻まれてた。
エディーは80歳だった。
エディの遺言でお葬式は行われず、代わりに1ヵ月後みんながエディーがいなくなった事になれた頃、派手にジャズバンドを入れて、ビーチのそばでパーティーが開かれた。これもエディーの遺言なのだ。
湿っぽいのはいやだから、自分がいなくなってしばらくしてみんな落ち着いたら、楽しく思い出話でもしながら、送ってくれよ、ということらしい。そうは言っても、涙してる人が多かったよ、エディー。あのモデルAに色を塗ったペインターのサムなんて大変だったんだから。
パーティー当日、友人2人とエディーのモデルAに乗り込み、会場まで運んだ。
モデルAを会場の入り口に展示し、エディーがかぶっていた帽子をシフトレバーにかぶせた。
未亡人となった奥さんが用意した、車の仕様など記載されたサインボードと一緒にモデルAを展示したのだ。
エディーがいなくなってから、ずいぶんと経ってしまった。
こんなじいちゃんになっても、ホットロッドを組んでみようと思うこと、そしてホントに完成させちゃったこと、すごいなと思う。
末期のガン治療をしながらだったから、相当つらかったには違いないけど、このクルマを完成させるまでは、という意気込みがあったのかもしれない。
ショップは、エディーの3人目で30歳年下の奥さんが管理している。
ショップを手放なさず、テナントの連中がずっといれるようにすること、これもエディーの遺言だったそうだ。